忍たま小説

□夜明け前にはしのぶれど
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 今は子の刻。 ここは、サンコタケ城三の丸の一角。


 夜空に浮かぶ、筋のように細い月を横眼で見て、侍女は薄い微笑みをその唇に浮かべた。



「ほんにそちは美しい。さぁ…近う」


 夜闇の中、悪趣味なほどに煌びやかな裃を緩ませて、男はいやらしい笑みを隠そうともせずに手を伸ばす。


 侍女は恭しく頭を下げると、たおやかな仕草で男の腕の中へ入った。


 水のように流れる黒髪、高い鼻と薄い唇、すり寄りながらももたれかからずに、目を伏せて俯く恥じらい。それら全てが男を魅了する。


「よいよい…さぁ、恥ずかしがらずにこちらを、向いて…」


 男の脂ぎった手が侍女の顎をつかみ、俯いていた顔を上向かせる。



 視線がぶつかった瞬間――侍女は笑い、つぶやいた。






「――まいどあり」






 殺気が放たれたと同時に、天井から複数の忍びが音も無く部屋の中に降り立つ。



 しかし、男がそれに気付くより先に、忍びは全員、息絶えていた。



「ひっ…!」


 一斉に倒れた忍びの喉元に突き刺さった矢を見て、男はだらしなく腰を抜かして手をついた。


 そして、いつの間にか男の元から離れていた侍女は、帯の中に隠していた縄を手にして勢いよく引っ張る。




 瞬時、男の脇の下から血飛沫が飛んだ。




 断末魔すら上げられないまま、男は倒れて動かなくなった。侍女――――の姿をしていた者は、身に着けていた小袖の袖や裾で返り血をあらかた拭いとると、その小袖をあっさりと脱ぎ捨てる。




 現れたのは、緑色の忍び装束。




「悪ぃな。俺はただでもらうものはあってもあげるものは何も無いんでね」




 血まみれになった高価な裃に少しだけ名残惜しげな視線を向けると、きり丸は縄鏢を懐に仕舞い、疾風の如く部屋を後にした。












(きり丸! こっちだ)


 三の丸の城壁の外。笠を被った馬借姿の団蔵が、矢羽音で呼びかけながら手を振った。


 城壁を飛び越えて堀を抜け、外に降り立ったきり丸は、団蔵の元へ一目散に駆ける。合流するや否や、団蔵はきり丸に小奇麗な女物の小袖を羽織らせると、手を取って二人駆け出した。


(きり丸、どうだった? 首尾は)


(聞くまでもねぇだろ。俺が、銭の出る仕事をしくじるかってんだ)


(はは、だろうね)


(まぁ、お前のおかげだよ。団蔵。弓の腕、また上がったんじゃねぇか?)


(ふふ、まぁね。さ、早く戻ろう。この先に馬を止めている)


 夜風がごうごうと吹き抜ける竹藪を抜けた先にて、団蔵の愛馬が呑気に草を食んでいた。だが団蔵ときり丸が背に跨り、手綱を引いた瞬間、目つきを変えて走り出す。団蔵の躾けの賜物だ。


(しっかし毎度のことだけどよ、忍者が馬で逃げるって、派手じゃねぇか?)


(これでいいの。今の僕らは、ただの馬借と、ただの侍女なんだから)


(はいはい。さ、飛ばしてちょうだい。若旦那)


(了解。きりちゃん)


 女らしい仕草で若旦那の腰に腕を回すと、侍女はふっと息をつく。そのまま、目の前の逞しい背にもたれかかった。


 久しぶりの暗殺忍務でずっと張っていた気が、今、ぷつりと切れたのだ。


 きり丸のそれを察した団蔵は、前を向いたまま、矢羽音にもならない小さな音で、呟いた。




(――お疲れ様)
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