Short

□俺たちの間に
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恋しいなんて、思っちゃいない。









ただ、誰かといたいだけ。












真夜中に携帯のイルミネーションが光る。

風呂上がりに開いて見れば、『寝てたらスルーしてくれ』という遠慮がちな題名と、『起きてたら連絡くれ』という本文。


すぐに返信を返す。


『いいよ、おいで』










玄関を開けると、寒そうに身を縮めるマサヤンが、わりぃな、と呟くように謝罪した。

「いーから、入んな」

俺が招き入れると、マサヤンはささやかなお礼のつもりか、肉まんの入ったコンビニ袋を手渡してきた。

「毎回毎回、別にいいのに」

俺が苦笑すると、マサヤンはいいから受け取れと言いながら電気カーペットの上に座った。

「慎吾には、迷惑ばっかかけてるしな」

申し訳なさそうに呟くマサヤンの横顔は、高校時代のそれより少し痩せたと思う。

マサヤンが夜中に俺の家に来るようになったのはこの11月からだ。

きっかけは9月の中旬あたりか。山ちゃんから、マサヤンとモトが上手くいってないみたいだとは聞かされていた。モトがマサヤンを放置することが増え、急激に距離を置き始めたという。

大学に進学してからは、旧友がどんな状態でいるのかなかなかわからなかった。
マサヤンの通う国立大学のすぐ近くの私立大学にどうにかして滑り込んだモト。
親のあてがった下宿をすぐに払い、マサヤンとの同棲生活にこぎつけて幸せを噛み締めてますと言い放ったのはつい去年の新年会。すぐにマサヤンの鉄拳の餌食になっていた。

あれから一年弱。

山ちゃんが二人の仲をいぶかしみ始めたとき、にわかには信じられなかった。だって、二人の関係が冷めるなんて今まであり得なかったことだ。
もしも冷めることがあるなら、それはマサヤンの暴力によってモトがなにがしかの障害を持ってしまったときだろう。

しかし、それが事実だと、俺は知ってしまう。

駅3つ離れた場所に住む俺に、「飲もう」と電話をかけてきたマサヤンに、驚きを隠せなかった。理由を問えば、昔の仲間と飲みたい気分だけど近くにはお前しかいない、だそうだ。

お前恋人はほっといていいのかよと冷やかすと、俺と同じような乾いた笑い声で即答された。


『モトはここんとこ無断外泊だよ』


あれから、幾度となく二人で会った。そして、必ずマサヤンは明るくなるまで帰らなかった。

二人でいろんなことを喋った。お互いの近況、バイト、サークル、昔話。俺が今家庭教師のバイトをしていると言ったらマサヤンは「嘘だ」とすぐに否定し、マサヤンが今留学を考えているという話題には、俺はかなり興味を持った。何度会っても話題は尽きない。
でも、マサヤンはモトとのことについて何も語らなかった。不満も、悩みも、逆に惚気も。俺もマサヤンが語りたくないことをわざわざ聞きだすことはしなかった。それでいいと思った。



俺たちの間に、本山裕史はいない。



「今日は酒切れてるよ。どうする?買いに行く?」

俺がジャケットをとろうとすると、マサヤンがいいよ気にすんなと笑った。

「お前はここにいろ」

そう言ってマサヤンは自分の横を指した。

「わあお。すんごい誘い方」

「うぜえ」

「はいはい、よっこらせっと」

わざとぎりぎり肩がくっつくところに座る。最近気づいた。マサヤンは俺がどれだけ近づいても、避けるそぶりをしなくなった。

肉まんをほおばる。あの甘みを帯びた豚肉の味がしみた。

「そんで?今日はどうしたんでしょうか」

とりあえずいつもの質問。これに答えてくれた前例はない。いや、正確に言うと、答えるがはぐらかされるのだ。

しかし、今日は違った。

「別れようと思ってる」

小さな声は、俺の狭い部屋に漂った。

心臓が跳ねた。

表情を維持するのにカロリーを消費し始める。

「別れるって…」

「あいつと、別れようと思ってる」

その言葉は震えていて、でも静かに鋭く、俺の耳を抉るようだった。

「けど、ぜんぜん会う時間ないから、別れたいって手紙書いて出てきた」

「へえ…」

「おどろかねえの?」

「驚いたよ。すごくね」

「あいつさ、どうするかな…」

マサヤンはまるで明日の学食は何を食べようかとでも言うように呟いて天井を見上げた。

そして、

「止めるかな、俺のこと」

震える声に背中を押されたか、俺は何も言わずにマサヤンの肩に手を置いた。
マサヤンは俯いてしまった。

「…どうしてこうなったかわかんねえ」

「……」

「でも、どうやっても戻らねえし、どんどん遠くなるんだよ…」

「……」

わんわん泣き出すかと思いきや、マサヤンは割りと冷静だった。その声には、諦めがあったからかもしれない。

裏腹に、弾んでいく俺の心臓を、どうすればいいんだろう。

「マサヤンさ…」

ブブブ、ブブブ

言いかけた俺の言葉を遮るかのように、マサヤンの携帯のバイブレーションが耳障りな振動をした。しかもその音は途切れず、ずっと持ち主が応答するのを待っている。

「悪い」

マサヤンがポケットから携帯を出す。どうやら電話の着信らしい。ディスプレイには、「モト」と短く表記されていた。

一瞬躊躇って、通話ボタンを押そうとするマサヤン。


『止めるかな、俺のこと』


俺たちの間に現れた、本山裕史の存在。
いや、本当は、最初から俺たちの深いところにずっともぐっていて、俺たちを苦しめていたんだ。


気がつくと、俺はマサヤンの携帯を奪っていた。

「え!?おい慎吾!」

すぐに電源を落とし、部屋の隅に放り出した。

「お前、なにしやがんだ!」

突然のことに驚き憤慨するマサヤンの胸倉を掴み、強引に引き寄せて唇を奪った。

殴られると思った。
が、不思議と彼は身動きしなかった。

唇を離して至近距離で見つめあう。

ああ、もう、どうして耐えられるんだろう。

「……マサヤンさあ、純情な若者を弄ぶのは趣味が悪いんじゃない?」

「誰が純情だ」

挑むような眼で睨まれる。

「酷いなあ。分かってたんだろ?」

俺がいつかこうするってこと。

電気カーペットの上に、マサヤンを組み敷く。

眼の中の光が、揺れる。

「分かってて誘ってたんだろ?いいよ、乗ったげる」

めずらしく抵抗を見せないマサヤンに気をよくして、俺は淡々と事を進めていく。
全身への愛撫、脱衣させ、いたるべき好意の準備を施そうとする。

マサヤンは、何も言わなかった。
ただ、何かを決意したような、諦めたような、でもその実どこかすがるようなさびしげな眼で、俺じゃない、どこか違うものを見つめていた。

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酷くうなされた。
夢の内容は目覚めと共に忘れた。おめでたい頭だ。

隣に人の気配を感じた。昨晩の行為を生々しく思い出した。

夢にまで見た、マサヤンだったのに。
まるで、一人裸で氷の部屋に閉じ込められたような行為だった。

頭が痛い。

「慎吾…」

となりから掠れた声がした。

「何だよ」

「悪かった…」

「いや、どう考えても襲ったの俺だし」

「違う。お前を誘ったこと」

小さな声のトーンは、穏やかで、感情を感じさせない。

「お前なら、俺を無下にしないってわかって近づいた。お前なら、俺のこと大事にしてくれるとわかって近づいた。……お前が俺のこと、好きだってわかってて近づいた」

「…ほっほう、確信犯ってわけですね。見事なもんです」

「お前なら、ぎりぎりのところで俺を大事にしてくれるから…。甘えた。いつかはこんなことになるってわかってたし、自分が悪いからしょうがないって、自分の掘った墓穴なんだからってわかってる。お前を責める権利は俺にはない」

「………」

マサヤンはベッドから抜け出し、服をまといながらそこまで話した。

「だけどできれば」

振り返ったマサヤンの目は、悲しみの色だった。
自分に対してだけじゃない、俺に対しても、だ。

「できれば、こんなことにはなりたくなかった」

…ああ、そんなこと言われて、どうして出て行くお前を止められるだろう。
今更そんなこと、ずる過ぎる。俺はもう、戻れないとこまで来てしまって、そして最後に自分自身を一番苦しめたというのに。

俺は、本山裕史には、なれないのに。



誰もいなくなった部屋で一人、膝を抱えて夜明けを待った。




島崎編、おわり。
 

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