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□なみだ歌、えがお歌
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カーテンは閉まったまま。
あなたは僕が最後まで見送っていることを知っていますか?

運転手の気だるげなアナウンスと共にドアが閉まる。
エンジンの音が鳴り、バスはゆっくりと乗り場から車道へ出る。
その後は早い。
すぐに通り過ぎる車の流れに溶けて、遠く、遠く、小さくなっていく。

でも、


他の車より大きいせいで、なかなか消えてくれないその豆粒のような後姿に、

胸は苦しさから解放されないまま。

後ろから来た大きなトラックに視界を奪われ、やっと踵を返すことに成功。






なみだ歌、えがお歌








もと来た道を早足で歩き出す。
日中のぬくもりが残った夜の街は、仕事帰りの大人たちが大事そうな鞄をさげてせわしなく行き交う。

僕は手ぶら。
だって、あなたを見送りに来ただけですから。
ポケットの家の鍵が重い。
次に家のドアを開けたときに、あなたはいない。
そんなこと言い出したら、あれだ。さっきここを歩いたのは数分前なんだ。
ほら、もう一人になっているじゃないか、気にするな。

あなたがここに来てくれて、僕は何かできたわけじゃない。
気の利いたもてなしも、とっておきの計画も、何もできなかった。

それでもあなたはとても綺麗な笑顔で、

「会いたかった」

「会えて嬉しいよ。」

「ありがとう。」

ねぇ、ずるいよ。
僕の台詞を取らないでよ。
僕がその台詞を言えば、君が少し微笑んで、「こちらこそ」って簡単に答える。
台本はそうなってたでしょう?
よけいな台詞を外すのが僕の流儀。
アドリブはよしてくれ。

間近で見たあなたの笑顔は、想像してたよりずっときらきらしてて、すぐに僕の心をぽかぽかにしたちっちゃなお日さま。
歩いて、話して、食べて、眠って、笑って、励まされて、嬉しくて、嬉しくて。
こんな短い時間で、あなたが僕に与えたたくさんのこと。
情報許容量ぎりぎりラインで、僕に幸せのシャワー。

「会いたかった」

「会えて嬉しいよ」

「ありがとう」

先に言わせて、お願いだから。
そうやって笑えたら、僕は笑顔で眠れたはずだ。

僕たちが過ごした短い時間。
ついさっきまで未来だった短い思い出。
あなたに会って、また頑張ろうと思えたから、
だから最後まで感謝の気持ちでいたかったのに。

あなたのアドリブのせいで、僕の情報許容量ははちきれた。
笑顔がよみがえる。
ありがとうが切なさに変わる。
行かないで。
涙が出た。

明日の今頃は、また日常に戻り、こんなふうに思うことなんてなくなってるんだろう。
なんだかあなたと会えたことが星空にゆらめく夢おぼろ。
だけど。

鍵を開けて部屋に戻ると、確かにあなたとの思い出の跡。
こんな情けない僕によりそってくれる、あたたかい跡。
窓のそばがあなたの定位置。

「ねえ、僕、頑張るからね。」

嘘じゃない。だけど言葉とは裏腹の情けない顔をして、一人空気に呟いた。
大丈夫、大丈夫だから。
今だけはこのどうしようもない寂しさに酔いたい。
コントロールできないんだ。



窓の外の星はいつの間にかいなくなる。
カーテンの隙間から差し込む光が、時の流れを教える。
あの涙さえ、もう思い出になっちまった。

でも、

忘れない、ぜったいに。

気持ちが溢れて、ことばにならない。こいつらに種類の少ない言葉をくっつけるなんて難しい。

ありがとう。

僕には、これが精一杯です。

ありがとう

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