karaの文

□爪先
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「俺が勝ったら、何をしてくれる?」

清木は鰐淵に手合わせを申し込んだ。
幾度挑んでも敵わないのに。
毎度鰐淵の他愛もない我が儘に付き合わされる羽目に遭うのに。

清木は鰐淵と手合わせをしたがった。


「共に散歩をしてくれ」

鰐淵は清木に外出を申し込んだ。
ただ頼んでも袖にされるばかりだから。
勝利の報酬には安い願いかもしれなくとも。

鰐淵は清木と並んで歩きたがった。




そしてその夕。
「屋敷の庭を見にきて欲しい」と言われ、清木は鰐淵邸を訪れることになった。
散歩と言うから町なかをべたべたと歩かされるかと思った清木はいくらか安堵したが、いざ通された庭と周りの建物に人影は無く、人払い済みだと気付いた清木はただの散歩で終わらぬ様な不安を感じた。

見た目と裏腹に、粋に通じるのは清木よりも鰐淵。あつらえ直した風雅な庭を案内する表情はそれは楽しげで、清木が立つことで完成したその景色の出来に心底満足の様だった。
確かに清木の目にも趣きある風情。不安は杞憂で終わるかと思われた。

「見ろ。銀桂の時期だ。良い香りだろう」
銀桂、銀木犀の盛りだった。
「お主は丹桂よりこちらが好きかと思ってな」
丹桂は金木犀。比べれば銀桂の香りはよほど仄かで奥ゆかしい。
「何故私に合わせる……」
「それが俺の楽しみなのだ」
白い小さな花弁に寄せた清木の横顔は夕陽に染まり、鰐淵の目に驚く程の調和を見せた。

息を飲む光景だった。

つい。そうとしか言えなかった。
つい、鰐淵は花を愛でる美しい清木の背から腕を伸ばし抱き込んだ。

「何を!」
「すまぬ」
「謝る前に放せ!」
「……少しだけ」
人目は無いが、気を利かせてか二本の銀桂の間に清木を押し込んだ。
こちらを向かせ秋の香に埋もれる清木に頬を寄せた。

「……早く放せ」
「うん」
「『散歩』に来たのだ。何だこれは」
「うん」
「お主でなければ、斬っている」
「……うん」
言葉より柔らかい調子が鰐淵の胸をことさらに疼かせた。

『お主だから許している』

清木の口から、そんな『特別』を匂わされては。
心地良い高揚。優越感。

湧いた劣情を自嘲して、銀の髪の先に有る柔らかな耳たぶに唇を向けた。伝えたのは、ずっとずっと言わずにおいた、おうむ返しの様な本心。


「俺もな、清木。お前でなければもう、……疾うに斬っておるよ」


「!」
清木は咄嗟に鰐淵を押し退けた。喉首に修羅の刃を突き立てられた思いだった。

鰐淵はすまなそうに微笑んだ。
「心外か?不本意かな」
驚いているのか恐れているのか、見開いた清木の瞳は揺れていた。
背を濡らす冷たい汗を感じながら、平静を装い気丈な声を押し出した。
「……安心した。歯牙にも掛けられていないものかと思っていた」
「そんな事は無いさ。お前のやる事はいつも俺を逆撫でておる。……刺してしまおうか、などと感じる程な」


鰐淵の伸ばした小指が清木の喉に触れた。
陶器の様な肌を、つう、と上へ滑り喉仏で止まった。爪が食い込んだ。

「……っ!」
「震えておるのか?ただの爪だ。殺せんよ」
小指一本に押さえつけられ動けなくなった。力を込められたが、呼吸がままならないのはそのためではなかったろう。

「すまん。怖がらせるつもりなどなかった。……いや」
更に顎へと撫で上げていくと、清木の身がびくりと跳ねた。
「──ぁ」
「怖がっている訳ではないのか。清木」
小指は唇を押し開き、その隙間へ。
前歯を擦りながら奥で濡れる舌までを侵した。
舌に立つ爪先の感触に、清木は眉を寄せ浅い息を吐き出した。
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