karaの文

□月と約束
1ページ/3ページ

それは爽やかな秋の空。

それは正しく青天の霹靂。

江戸の天下を揺るがす轟音に次いで八百八町に降り注いだ紙吹雪は、講武館の庭にも例外なく舞い下りた。

「き、清木様……。“御前試合”とは一体?我々は何も聞き及びませぬが……」
「構わぬ。私の知り得ぬ所、お主らの耳にだけ届いていては問題だ」
先の轟音に未だ胸の早鐘を治められない門弟らを尻目に、清木は破天荒な頭上からの知らせの主を察し息をついた。
「いつ如何なる道場に挑まれようと問題は無い。放っておけ。いずれ何食わぬ顔で元凶の方から出向いてくる」


そして夕刻。
言葉通り、“元凶”は何食わぬ顔で現れた。
「これは、鰐淵様。今日の稽古はもう……」
「あぁ、良い良い。終わる頃を見越して来た。清木はおるかな」
挨拶もそこそこに、鰐淵は馴れた足取りで道場へ顔を覗かせた。
「おったおった。清木、少し良いか」
「来ると思っていた。……やはり、お主か」
「さすが、察しが良いな。あれだけで俺と分かったか?通じ合えているなぁ」
嬉しそうに板縁に腰掛けて笑った鰐淵に、清木は吐き捨てた。
「あんな“大うつけ”を仕出かす者が他におる筈もない」
見下ろす視線の冷たさに鰐淵は髪を掻いた。
「もしかして、怒っておるか?」
「怒っておらぬと思うのか?」
更に怒気と冷気を増した口調に鰐淵が折れた。
「……すまん。その事で、話をしたいのだが出られるか?」
「……行かぬわけにはいかんだろう」




二人は町へ出た。
「どこへ行く」
「良いから付いてこい」

世間話をしながら歩く鰐淵に付いていく清木。そろそろ日も落ち、辺りは暗くなりつつあった。

「……鰐淵」
「……それに長家で飼われている犬のシロの腹が最近大きくなってなぁー……」
「鰐淵!」
「なんだ、厠でも行きたいか」
「団子屋のマツの色恋も長家のシロの腹も私に何の関わりもない。何故お主がそれほど市井に詳しいのかも問い正す必要は感じるが、今話すのはそんな事ではなかろう。それに、この角を曲がるのはもう三度目だ!」
わざわざ外へ連れ出すのだから漏らせぬ話も有るのだろうとしばらくは堪えもしたが、そろそろ四半刻程も当てもなく同じ道を歩いていた。限界だ。
「気付いておったか」
「当たり前だ!」
苛立つ清木の表情に、鰐淵は仕方ないな、と呟いて行き先を変えた。

「まぁ、そろそろ頃合いだ」




やっと足を止めた鰐淵。そこはすすきの揺れる河原だった。
「ふむ、人けも無い。ちょうど良いな」
清木は気持ち身を固めた。鰐淵の言うまでもなく夜の河原に人影は無く、聞こえるのは水のせせらぎと虫の声、風にそよぐ草葉の音だけ。
「こんな所に何の用だ……」
「清木」
「!」
袖を引かれた。石ころに足を取られたところを抱き止められてしまった。
「すまん。大丈夫か?」
耳元で聞こえた声に過敏に身を震わせた清木。その反応に、鰐淵の方が驚いた。
「あ?……あぁ!いや、すまん。そんなつもりでは無い!……無いぞ!?怒らんでくれ」
身を振り払い清木は表情を見られぬ様に背を向けた。
「どんな“つもり”で、こんな場所へ」
「……いや、まぁ。……座れ」
鰐淵は腰掛けるに程良い岩を選んで上を払った。
「酒も団子も無くて悪いがな」
鰐淵の指差した空には円い月。清木も仕方なく隣りに掛けた。
「十五夜は……」
「ああ、昨日だった。ひとりの月見は退屈だったよ。団子は美味かったがな」
お前と見たかった、と呟かれ清木は目を逸らした。昔から、鰐淵に“お前”と呼ばれるとおかしな緊張をして顔を見られなくなって困る。
「お前も昨夜は月を見たか?」
昨日清木が宇田川伍助の屋敷に出向いた事は知っていた。何が有ったかも報告が入っている。
それでも素知らぬふりで清木に聞いた。
「……そんな暇は無かった」
「そうか。忙しかろうからな」
「嫌味か」
「いや……」
清木の横顔を眺め鰐淵は目を細めた。
「お前は……月の様だな」
「……?」
「その髪のせいか、静かなくせに有無を言わさぬ性質のせいかな。月を見ているとお前に似ていると思うよ」
「なんだ、それは……」
反応に困った顔の清木に、鰐淵はくく、と喉で笑った。
「そして月に飛びかかろうとする兎がいる。上手く出来た話じゃないか」
清木は眉を寄せた。
「……どういう意味だ」
「あぁ、何でもない」
怪訝な清木に鰐淵は肩をすくめた。
「それで、鰐淵。他に話はないのか。昼間の馬鹿騒ぎに関して聞けるものと思ったが」
「む。……怒っておるか?」
「話に寄る」
鰐淵は襟を正し観念した風で話し出した。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ