□■ ノベル ■□

□ぱうだぁ しゅがー。
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 何処からか自分を呼ぶ声がして、作業していた手を止めて顔を上げた。
 屈めていた背を伸ばす様にして体を起こせば、邸内から手を振るユーロパの姿が目に入った。
 しきりにこちらを手招いているので、軽く手を挙げ合図を返しておいてから、両手の埃を打ち払う。
 アトランダムが日課にしている敷地内の整備や修繕は、誰が見ても今ではすっかり板に付いていた。
 使用していた用具をひとつに纏めて手にして邸内に戻れば、二階のリビングでユーロパとカシオペア博士が待っていた。

「お茶にしましょ、アトランダム」

 ユーロパは楽しそうに鼻歌を歌いながらティーポットを手にして、不思議な香りのするお茶を、これまた不思議な形のティーカップに注いでいた。
 テーブルの上に並べられたクッキーやキャンディ、ケーキは、普段あまり目にしない色や形をしていた。

「これは」

「だって今日はハロウィンだもの」

 にこやかに答えたユーロパは、程良く注いだ紅茶をそれぞれの席にかちゃりと微かな音を立てて置いていく。
 自分の前に置かれたカップを不思議そうな目で見下ろすアトランダムに、向かいの席から声が掛かった。

「エモーションが届けてきたのよ」

 先日エララから贈られてきた淡い鶯色の膝掛けを掛けて、ゆったりと安楽椅子にもたれていた博士は、柔らかく微笑んだ。

「音井家で盛り上がっているとコードが言っていたのを、で耳にしたらしくてね」

 それでは私も何かしなければ!、とちょっと方向性の間違った使命感に囚われた様で、趣味のネットサーフィンで見つけてきた品を贈ってきたと云うのだ。
 ユーロパの手の中にあるティーポットとそれぞれ三人の前に置かれたティーカップは、落ち着いた色合いではあるが、滅多に見ないオレンジ色をしたカボチャを象った物だった。
 確かに毎日お茶の時間を持ってはいるが、このチョイスは如何なものなのだろうか。
 けれども、そう思った所で博士の娘でありユーロパの姉である、この家のホームセキュリティ・ロボットガールのエモーションには、言うつもりなど元より無い。
 シンプルな真っ白い平皿に手作りのケーキやクッキー、そして生クリームやジャムなどを手際よく取り分けて、ティーカップの横に添え置く。

「こっちはみのるさんとカルマ君からなの」

 そう言いながらユーロパは、ドライフルーツのたっぷり入ったカップケーキが盛られたバスケットをアトランダムの前に押し遣った。
 香しい甘酸っぱい香りを漂わせるそれは、手作りとは思えない程整った形をしていた。

「音井教授のお宅では、カルマ君の手料理は大人気なんですって」

 アトランダムの弟でもあるカルマは、A-ナンバーズの統括者でもある傍ら、音井家ではハウスキーパーでもあると聞いたことがあった。
 始まりは母親を亡くした正信の為に始められた事だと云うが、当時封印されてたアトランダムは後で聞き知って、酷く驚いた記憶がある。 

「平和だな」

「良い事だわ」

 優しく、落ち着いた声で博士が後に続いた。
 起伏のある、落ち着く事のない過去を経験してきただけに、何事もない、日々が退屈だと言える位、平凡な暮らしが本当は幸せなのかもしれない。

「そう、ですね」

「さあ、お茶が冷めちゃう!」

 長いドレスの裾をさっとさばいて、アトランダムの隣りへユーロパは腰掛けた。
 博士、ユーロパはエモーションからのカップを手にして、口にするには程良く冷めた紅茶に、そっと口を付けた。
 アトランダムは二人に倣ってカップを手に取ると、紅茶にしては嗅いだ事のない香りがしたのでユーロパを窺い見れば、楽しげに種明かしをし出す。
 コードからの情報をエモーションと一緒に聞いていた、世間知らず、と云うレッテルを相棒に貼られてしまっているオラクルからの贈り物だそうで、初めて詳しく知った”ハロウィン”にちなんで、”パンプキンパイの紅茶”だそうだ。
 オラクル本人が選んだ、とは思い難いので、エモーションと二人で選んだ物だろう。

「あちらはあちらで、楽しくやっているようね」

 ボディを持たない彼らも、電脳空間で伸び伸びと彼ららしく過ごしている証だ。

「コード兄様はどちらで過ごしてるのかしら」

 音井家でも、電脳空間でも、大騒ぎになっている事は間違いないでしょうね、とユーロパはくすくすと笑った。
 今日は10月31日、それぞれできっと、ハロウィン・パーティーが開かれている最中なのだろう。

「これは私が作ったの」

 手作りならではの味わいのある形のケーキを指差して、早く食べてみて、と急かされる。
 一口大に切り分けたオレンジ色をしたスポンジを、クリームもジャムも付けずに口に含んでみる。
 ふんわりと口中に広がったのは、オレンジ色から想像していた味とは違った、オレンジ色の味。

「実はキャロット・ケーキなの」

 ハロウィンと言えばカボチャ、なのかと思っていたが、予想に反してこのオレンジ色の正体はニンジン色だった。
 甘い物が不得意なアトランダムと、老齢の博士に合わせた、仄かにニンジンの甘みがする、優しい味だ。
 ゆっくりとアトランダムが自分の前に取り分けられた菓子を食して、不思議な香りと味のするお茶を飲んでいれば、女性二人は早速バスケットに手を伸ばしていた。
 見目も綺麗なカップケーキは、フォークで切り分ければ、更に香しい匂いを放つ。

「あらあら、さすがね」

「すっごく美味しい、悔しいけど」

 改めてカルマの作った物を口にした事のなかったユーロパは、カップケーキの出来の良さに少し眉を寄せた。
 甘い物を好む女性の素直な感想と、女性としてのプライドとの狭間に困惑している表情だった。
 一欠片、口にしただけで、手が止まっている。

「確かに卒のない味だな」

 博士、ユーロパと口にしたのを見て、続いてアトランダムも一口、口にした。
 美味しい、と電脳は認識していると思う。
 たまに口にする事のある、有名なホテルやパティシエが作ったというお茶菓子を思い出す味だ。
 けれど、それだけだ。

「私は、ユーロパが作った物の方が好みだが」

 続いたアトランダムの何気ない感想に、博士はまぁ、と少し驚いた顔をし、ユーロパは一瞬目を見張った後、きゅっと目を眇めて瞳を潤ませた。

「ユーロパ?」

 淡い緑の瞳から、ふわっと涙が浮いて零れるかと手を伸ばしかければ、向こうから両手を伸ばされ、戸惑っている間に、きゅっと首に抱き付かれた。
 宙に浮いた手を、そのままユーロパの背後から彼女の肩に手を掛ける。
 そっと抱き締めたユーロパは、小さく、本当に小さく、体を小刻みに震わせていた。

「有難う、アトランダム」

 ユーロパ越しに見遣った博士は、優しい微笑みを浮かべ、こちらを見守っていた。



 モニター越しに出て行くタイミングを見計らっていたエモーションは、結局出て行けずにに引き返した。
 カシオペア邸のハロウィンはどう過ごしているのか、自分達の贈った品を喜んでくれているのか。
 様子が気になり覗きに、正確にはエモーションもティータイムに乱入してしまおうと思っていただけに、思わぬ出来事だった。
 それでも大変良いものが見られたと、戻った先で、先程の妹達の遣り取りを楽しげに披露した。
 オラクルは穏やかに笑って喜び、オラトリオはオーバーに嘆く振りをして、コードは不機嫌ながらも嬉しそうだったのは、言うまでもない。



...End... (08/10/11)


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