+ のべる +
□ひとひら。
1ページ/1ページ
軒を支える柱に頭を預けて、見るともなしに空を見上げていた。
灰色の雲が空一面を覆い隠し、澄んだ青は見えない。
−ひとひら。−
「何してるんだ、こんな所で?」
ふと後ろから掛けられた声に振り向くと、彼が立っていた。
彼の屋敷内ではよく見られる、藍色の和服姿で。
「別に、何もしてないよ」
首を横に振る私に。
彼は並んで、縁側に腰を下ろした。
さわさわ、と音を立てて。
朝から降り続けている、雨。
昼を過ぎた今も、まだ止まない。
「陽が出てないと、まだ冷えるだろうが」
私の手に触れた彼が、あまりの冷たさに一度手を引いて。
けれど直ぐに、彼の暖かい手に包まれた。
「止みそうにないね」
今日は彼と、桜を見に行く予定だった。
彼だけが知る秘密の場所に、二人で行く事にしていた。
雨が降ったりなど、しなければ。
さほどの雨でなければ、大丈夫だろうと思っていたけれど。
生憎と、地に落ちた雨が跳ね返って、足を濡らす程には降っていて。
だから今日はこうして、屋敷の中から空を見上げるだけ。
この雨で、花は散ってしまっただろうか。
ここの所、随分と暖かくなってきていたというのに。
「来週は、見に行けるかな」
ぽつり、と呟く私に。
「桜の季節はこれからだから、まだまだ見れるさ」
彼はそう言って、腕を回して私を引き寄せた。
じんわり、と彼に触れた部分から、温もりが伝わってきて。
かなり体が冷えていた事を知る。
「そうだよね。でも、やっぱり残念」
尚も渋る私に、くつくつと彼が笑う。
二人の距離が近くなったせいで。
彼の息を直接肌に感じて、何だかこそばゆい。
「花が見られないのは、残念だったが」
「ん?」
低い、囁く様な声に、彼の言葉が聞き取れず。
彼に頬を寄せてみれば。
耳元にあった彼の口唇が。
すぅっ、と肌を滑る様に、首筋を降りてゆき。
辿り着いた先の襟元が、ちくり、と痛んだ。
「・・・っ!」
突飛な彼の行動に、目を見開いて彼を振り返ってみれば。
口端を上げて、にやり、と笑う彼と目が合って。
「俺は、これで十分だ」
無意識に、痛みの発した部分に当てていた手に。
彼は自分の手を重ねて、そっと、私の手を外して。
熱を持ち始めた、彼自身が付けた印を指先でなぞる。
白い肌に浮かび上がった、その痕は。
ふわり、と淡い、朱い色をしていて。
それはまるで、散った、桜の花弁の様で。
彼は再度、同じ場所に。
今度は口唇を押し当てるだけの、接吻をした。
「こんなに近くで、桜見ができる」
恥ずかしげもなく、しれっと吐く彼に。
私は、口をぱくぱくさせるばかりで。
どうしよう、身体が熱い。
「あの、ね」
早鐘の様に、どきどき、と打つ心臓を。
深く呼吸を繰り返し、何とか落ち着けて。
漸く、喉の奥から絞り出した声に。
「どうした?」
何て真面目に、そうに訊いてくるけれど。
目は、笑いを納め切れていないよ、意地悪だね。
「・・・それじゃ、私が見れない」
私はそれだけ言うと、彼の首に、するり、と腕を回して。
広めに抜いてある、和服の首筋に。
噛み付く様な、接吻。
今度は彼が、目を見開く番で。
にやり、と笑った私に。
我に返った彼は、盛大に吹き出した。
私と、彼の身体に。
ひとひらずつの、桜の花弁。
やがては薄れてゆく、その印が。
消えてしまう頃には、二人で、本物の桜を見に行こう。
...End...