□■ アンダァ ■□

□sweet trick
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 ふと窓の下に目をやって、心底驚いた。
 見覚えのある金髪が、薄布の衣ひとつで中庭を駆けていくのだ。
 よくよく見れば足元は素足で、風で舞い上がる裾からちらちらと真っ白い色を覗かせていた。
 一体何をしているのだ、あれは。
 焦って立ち上がったアラゴルンは弾みでガタンッ、と酷い音を立てて倒れた椅子などお構いなしに、羽ペンを投げ捨てると直ぐ傍のバルコニーから身を躍らせようとした。
 生憎と中庭との差は一階分だけなので、この位なら飛び降りても十分に着地できる自信と余裕があった。
 だが、すんでの所で後からマントを勢いよく引かれ、あえなく断念せざるを得ない。

「何だ、ファラミア」

「何だじゃありません、陛下」

 バルコニーの手摺りに手を掛けた体勢のまま首だけを捻って、アラゴルンは己を引き留めた相手を振り返る。
 悪戯をした小さな子供の襟首を掴むように、しっかとマントを握りしめているファラミアは、片方の手を腰に当てて態とらしく、はぁと溜め息を吐き出した。

「大きな音に顔を上げてみれば。まだ机に向かって小一時間ですが、早くも職務放棄ですか」

 冷ややかな眼で見られて、普段から無断でちょくちょく抜け出しては執政達を困らせている前科のあるアラゴルンは、後半の台詞に思わず反論の余地もなかった。
 しかし同じ執務室内に居たとはいえ面を付き合わせて仕事をしていた訳でもなく、物音に気付いてからの行動の素早さには恐れ入る。
 が、今はそうも言っていられない。

「今、下をボロミアがだがな」

 そりゃあ同じ塔内にいるのだから居るでしょうよ、と軽く流してさあ仕事の続きをと促してくるファラミアに、ではなくそれどころではないのだ、と焦って掴まれたままだったマントの裾を外させた。
 こんな押し問答をしている間にも、あれはどこかへ行ってしまうではないか。
 あれ以上あの生足を人様に晒しては非常に目の毒と言うものだ。

「あんたの大切な兄上が薄衣一枚でこの庭を駆け抜けていったのだが」

「何ですって!」

 アラゴルンの発言にファラミアはさっと顔色を変え、否、常日頃無表情で仕事をしている彼なので変えたと言うより怒りと興奮を表に出したというべきか、何せ感情を露わにし、今にも目の前の仮にも主君である王の胸倉を掴み上げんばかりだ。
 周知の事実ではあったが、こと彼の兄ボロミアの件に関しては容赦のない弟君である。
 アラゴルンが、私はまだ何もしていないぞ、と小さな声で反論してみせれば、「そんなことはわかってます!」とビシッと返された。

「そんな事よりも、早く追って下さい!」

 ファラミアが実際に見た訳ではないのでどんな状態でボロミアが走り去って行ったのかはわからないが、それでもアラゴルンが慌てて出て行こうとした位なのだから早く見つけた方が良いに決まっている。
 本当はファラミア自身が探しに出て行きたかったが間違いなくこの王はここでじっとしている筈もなく、だからと言って王と執政の二人が王宮内を猛然と疾走する姿は流石に家臣達には見せられる訳がない。
 この場合はアラゴルンに任せた方が良いだろう。
 例え走る姿を見られたとて、この人が落ち着きのない王だという事は誰もが知っているのだから。

「すまないな、ファラミア」

 許可を得たのでアラゴルンは当然そのまま手摺りを掴んでバルコニーから飛び降りようとしたが、ちゃんと出入り口から出て行って下さい、とファラミアに釘を刺され渋々扉を開けて廊下へ出るのだった。




 取り敢えず一つ下の階へ駆け降りたアラゴルンは、中庭の見える回廊で侍女を捕まえてボロミアを見かけなかったか尋ねると、彼女は直ぐ其処の廊下の端で擦れ違ったそうだ。
 ボロミアの格好に大層驚いていた彼女に、どうか内密に、と言い置いてボロミアが去っていったという方向へ駆け出す。
 その先には、執政家の私室が並んでいる。
 まあ自室に戻るのが当然であろう、アラゴルンは一目散にボロミアの私室を目指して走った。

「ボロミア、居るか?」

 辿り着いた部屋の前で、扉にぺたりと張り付いて、きっと近衛兵にでも見られれば間違いなく引っ捕らえられるだろう王とは思えぬ格好で、人の気配がしないか様子を窺うが一向に返答はない。
 主の了承はないがこのまま此処で待ち続ける訳にもいかないので、この際目を瞑って頂こう。
 するりと身を滑り込ませたボロミアの自室は、しんと静まり人が居るであろう暖かさはなかった。
 何処にいったというのだ、あれは。
 まさかボロミアの事だ、あんな姿で其処彼処をうろつき回る事はしないだろうが、だからといって行ける所もないだろうに。
 部屋を後にすると、次の思い当たる場所を探して走り出す。
 敬愛する我が国の王が走り去って行くので、途中々々で何事かと近衛兵や侍女に不審の目を向けられながらも、どう見ても胡散臭い笑顔でかわす。
 ファラミアの私室を始め、良く彼が一人で考え事をする塔の上や地下の書庫、果ては厩にも行ってみたが、まあまず居ないとは思っていたが、かの姿はどこにも見当たらない。
 全て考え得る場所に行き尽くして、神経が焦りを通り越して肩を落とす程に疲労感を覚える頃、はたと思い当たった所があった。
 即座に踵を返して向かうのは、そう、アラゴルンの自室だ。
 まさか居るまい、とは思うものの、何処かで居てくれればとも思うと顔がにやけてくる。
 さすがに先程も走りはしなかったが、気持ちは自然と逸り足早に廊下を進むと、己の部屋だというのにその前で一呼吸置いてから扉を開いた。
 扉を開けて直ぐの部屋には誰も居らず、今朝アラゴルンが出て行った時のままだったので、そのまま部屋を横切り奥の続き間である寝所に入ると、寝台の上でシーツにくるまる金色が見えた。
 気配を消して入ってきたつもりはないので人の気配に気付いているだろうに、こんもりと山になった物体はその体勢からは寝てはいないだろうがぴくりとも反応を示さない。
 ああ、どうか長期戦になりませんように。

「執務室からあんたの姿が見えたが。どうしたのだ」

 ぎしり、と音を立てて寝台の端に腰掛けると、金髪の覗くシーツの端を摘んでゆっくりと引き下げた。
 現れたくしゃくしゃになった金髪が額からはらりと落ちて、目の縁が少し赤くなっているのが見て取れる。
 シーツの端をしっかり握りしめているのか残念ながら見えたのはそこまでで、鼻先から下はシーツに覆われた状態でギロリと睨まれた。
 だがボロミアには悪いが、柔らかな金糸の髪が幼子の様に鳥の巣頭にして、体を小さく丸めてシーツにくるまっている姿は、非常に愛らしくて。
 多分にもれず怒っているだろう目つきでさえ、可愛らしく見えてしまうのは、果たしてアラゴルンの目が腐っているからか。
 睨むばかりで何も発さないのを良いことに、絡まる金髪に手を添えてゆったりと梳いてやった。

「何故、私の部屋に?」

 よっぽど脂下がった酷い面をしていたのか、それともアラゴルンの放った「私の部屋」という単語にボロミアは言外に含みを感じ取ったのか。
 避ける間もなく、目の前の山から軽く鳩尾に蹴りを入れられた、すらりとしたしなやかな脚で。
 ボロミアがかなり手加減していた事と、王位に就いたとはいえ元々の鍛え方が生半可ではないアラゴルンの腹筋ではあったが、それでも不意打ちを食らい一瞬うっと息が詰まった。
 幾ら女性の身であろうとも総大将の地位は伊達ではない。
 本気で蹴られていれば、無様に寝台から転がり落ち肋にひびでもいっていたかもしれない。

「一発、殴ってやらんと気が済まないと思って」

「それがここで待っていた理由か」

 今のは確実に拳ではなく蹴りではあったがそこは敢えて突っ込まず、はて、一体何をしでかしただろうか。
 明日には青く痣にでもなるかなと蹴られた所をさすりながら首を捻るアラゴルンに、ボロミアは胡乱な目を向ける。

「今日は採寸があると言っておいた筈だったな」

「ああ、昨日しっかりと聞いたぞ」

 胸を張って言わんばかりの態度に、ボロミアはがばりと寝転んでいた上体を起こして肩からシーツを払い落とした。

「じゃあ何故痕があるのだ!」

 ここに!、と着衣の上から指差したのはボロミア自身の乳房の丸みの一番下の部分だった。
 薄布一枚で胸を強調するボロミアに、何とも魅惑的でそそられるなぁ、と下半身が元気になりそうなアラゴルンではあったがあくまでも本人は無意識なのだからと宥めすかしそこから意識を逸らして、落ち着いて、落ち着けるか?、いやいや真剣に会話を成立させなければ。
 怒りで上気して頬を赤く染めるボロミアは、どうやら採寸の際に全くの身に覚えのない痕を侍女に指摘されて、恥ずかしさのあまり逃げ出してきたらしいのだった。
 採寸の為に脱いだ衣服の事も、すっかり頭から抜け落ちていた様だ。

「その、持ち上げた時に見えたと」

 無い胸ならば持ち上げて測る事も必要ないが、残念な事に、否これは非常にアラゴルンにとって喜ばしい事に豊満なバストの持ち主だった。
 女性歴がまだまだ短いボロミアにとって、アンダーバストを採寸する為に胸を持ち上げるという行為ですら耐え難い事なのに、ましてやアラゴルンとの昨夜の情事まで見透かされてしまってはあまりの羞恥に顔から火が出そうだった。
 昨夜、アラゴルンが軽い悪戯心でしでかしたのだった。
 いつも全身痕だらけにされるのを見越して、採寸の際人に見られるからと絶対に痕を残すなと先に言い置かれていたにも関わらず、アラゴルンの与える熱に浮かされて思考のはっきりしないボロミアに、何もないのも寂しいとばかりにこっそりと付けたキスマークが原因で。
 まさかそんな所に付けたものが見咎められるとは思うまいて。

「そんなに目がいく程付けた覚えは」

「しっかりと、はっきりと残っておるわっ」

 真珠の様な白い肌の頬を赤く羞恥に染めて、ぷりぷりとボロミアはお怒りだ。
 確かに痕を残したが、どれどれ、と簡単に合わされただけだった着衣の前身頃を指先で軽く開こうとして、左耳をぐいっと思いっ切り引っ張られた。

「あーんーたーはー!」

「あはは、すまんすまん」

 ぱっと手を離して助平心を乾いた笑いで誤魔化してみせたが、容赦がないのか相当痛い。

「あ、あんなうら若い侍女に見られるなんてっ」

「まさかそんな所まで見られるとは思ってなかったからなぁ」

 起こした身体を大仰にがばりと伏せて、今にも態とらしくおいおいと泣き伏しそうなボロミアに、今度は引っ張られた耳をさすりながら実は内股にもひとつ付けたとは今更言えないアラゴルンだった。
 そして、知られてはいけない事がもうひとつ。
 執務室に残してきたファラミアに、まだ何もしていないと言って出て来たが、既に昨夜の内にしでかしてしまっていたとは、どんなに追求されても口が裂けても言えない。
 見た目冷静沈着無表情な執政殿は、彼の最愛なる兄ボロミアに関しては人格が豹変し、王と言えど血を見るのは明らかだった。
 思わずアラゴルンは、静かに激昂するファラミアに追求されている己を想像してしまい、ぶるりとひとつ身震いをする。
 ああ駄目だ、これ以上想像するのは止めておこう。
 明日は明日の風が吹くのを祈って、このまま今日の執務はさぼってボロミアと愛を紡ぎ合おうか。
 明日はこの身がどうなるのかわからないのだからして。

「すまなかった、ボロミア。詫びとは何だが、今日はたっぷりと」

 そのまま寝台に引き倒し抱き込むが為にボロミアの手首を掴もうと手を伸ばせば、寸での所でするりとかわされ素早くボロミアは裸足のまま寝台から床に降り立った。

「ボ、ボロミア?」

 どうしたのかと問いかけるアラゴルンをボロミアは冷えた表情のまま無視して、すたすたと続き部屋との境目まで行きそこで立ち止まると、振り返りざまギッと睨み付けアラゴルンに特大の爆弾を投げ付けていった。

「この痕が消えて採寸が全て終わるまで、私に一切触れてくれるな、良いな!」

 それはドレスが仕上がるまで、という事か。
 だとしたら一月、否、白の総大将が身につける物だ、二月は掛かろうて。

「そ、それは手厳しくは」

「自業自得だ!」

 ばたばた、バンッ、バタンッ、どたどたどた。
 盛大に文字通りの音をさせて、焦って縋るアラゴルンをあっさり見捨ててボロミアはとっとと出て行った。
 最後まで、己の現状の着衣に関して触れる事も気付く事もなく。

 一人自室の、しかも寝所に残されたゴンドールの王は、それこそ、おいおいと泣き崩れるしかなかったのであった。



...End... (07/09/15)


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