□■ アンダァ ■□

□悪夢
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 夏樹はいつもの様に、わざと塞がない隣家への抜け穴を乳母(めのと)の桂に見つからないようそっとくぐり抜ける。
 全くと言っていい程人の手の入っていない庭を、両手で草木を掻き分けながら進むと、夏樹より頭二つ分はでかい『人物』の後ろ頭が見えた。

「あおえ」

 夏樹の声にあおえと呼ばれたその『人物』は、くるりと振り向いてみせ月明かりの中顔の全貌を現す。
 あおえ本人曰く、つぶらな青い瞳につややかなたてがみ(以下略)だそうだが、夏樹に言わせればただの馬面である。

「おや、夏樹さん。こんな遅くにどうしたんです?」

「一条はいるかい」

 あおえの問いには答えず、友人の所在を尋ねる。

「自室じゃないですか。早くにお休みになりましたけど」

「そうか、ちょっと上がらせてもらうよ」

 礼もそこそこに勝手知ったる他人の家で、一条の自室までの最短コースである簀子(すのこ)から上がり込む。
 桂が見たらくどくどと小言を言いそうな光景だったが、今の夏樹にはどうでもよかった。

「一条?」

 部屋の間仕切りの御簾の前まで辿り着いた夏樹は、焦る気持ちを落ち着けて静かに呼び掛ける。
 が、返事はおろか物音一つしない。

「一条、いないのか。開けるぞ」

 バッと力任せに御簾を引き上げ、中に入り覗いた几帳(きちょう)の向こう側には掛け布団代わりの大袿(おおうちぎ)が無造作に放り出されているだけで、一条の姿はどこにもなかった。
 何故だか嫌な感じがする。

「あいつ、どこへ」

 直ぐに夏樹は屋敷中の部屋を探して回る。
 探せる所は端から端まで。
 それでも、何処にも見つけることができない。

「何でいないんだよっ」

 苛立たしくて握った拳を無意識に握り締める。
 手の平に爪先がくい込み、一筋の血が流れ落ちた。
 その時、視界の端に真っ白い物が映る。

「・・・!?」

 それは少しばかり開いていた妻戸の隙間から覗いていた。
 邸の裏までは探していなかった事を思い出す。
 夏樹はもしやと思い、慌てて妻戸を開け簀子に出る。

「・・・一条っ!」

 そこには。
 長い髪をいつもの様に結いもせず真っ白い狩衣を身に付けた一条が、簀子に横たわっていた。
 瞳はしっかりと閉ざされ、ただでさえ透き通る程の白い肌が月の明かりに照らされて造り物のよう。
 まるで死人(しびと)の様な・・・。
 夏樹は確かめたくて一条の傍に寄る。
 ちゃんと血が通っているのか、息をしているのかを知りたくて。

「一、条?」

 夏樹はそっと手を伸ばし、不自然な程紅く色づいた唇に触れる。
 色の無い中で、そこだけが熱を帯びている様に見えたから。
 それは幾度となく触れた時の感覚のままで。
 夏樹は少しばかり安堵する。
 しかしまだ、その瞳は閉じられたまま。

「なあ、起きてはくれないのかい」

 紅い色に吸い込まれるように顔を近づけ、愛おしい人にそっと口付ける。
 早く琥珀色の瞳を見せてほしい。そして自分だけを映して・・・。
 途端、不意にものすごい力で引き寄せられる。

「んっ! ・・・んんっ」

 軽く触れるだけの口付けが、深く荒々しいものに変わる。
 一条の舌が無理矢理侵入して口腔を蹂躙する。

「っんふ・・・」

 夏樹は息が接げなくなって一条を力いっぱい引き剥がした。

「なっ、だよ、起きてる、なら、言えっ」

 荒く肩で息をしながら、目尻に薄く涙を浮かべ切れ切れに怒鳴なった。
 一条に見つかった恥ずかしさと興奮で、夏樹の顔は朱く色づいている。

「せっかくの夏樹からのお誘いだったし」

 まだ簀子に寝転がっている一条は、両手を伸ばして夏樹の頬を包み込む。
 他人には絶対に見せない優しい眼差しで夏樹を見上げる。

「いつから起きてたんだよ」

 憮然とした声で一条に問う。

「庭を抜けて来た時からわかっていたさ、気配で気付く。まあ、面倒臭くて起きなかったけど」

 では何か。邸中駆け回り一条の姿を探していた時も、それを知りつつここで寝そべっていたという事か。
 自分は身の裂かれる思いで探していたというのに。
 わかってはいた、こういう性格だという位。だが、

「もぉいいっ、帰る」

 伸ばされていた一条の手を振り払い、すっくと立ち上がり回れ右をする。

「悪かったから、まあ待てよ」

 去ろうとする夏樹の狩衣の裾を引っ掴んで、ようやく勾欄を支えに一条は身を起こした。

「そっちこそこんな時間に、何か用でもあったんだろ」

 一条は自分の隣に腰を下ろすよう夏樹を促す。
 一条を見つけた後ではどうでもいい、いや、どちらかと言うと聞いて欲しくない所であったが、あれだけ大騒ぎしといてこのまま帰る訳にもいかず、渋々夏樹は腰を下ろす。

「で?」

 暫し沈黙の後、俯いたまま蚊の鳴くような声で夏樹が答える。

「・・・を見た」

「聞こえない、もう一回」

「夢、見たんだよ! お前が死ぬ夢っ」

 一条の視線を感じ、夏樹は恥ずかしさに顔を上げられずにいた。
 我ながら子供っぽい理由(わけ)なのはわかっていたが、もしや一条の身に何かあったのではないかといても立ってもいられず飛んできたのだ。

「夢って、また・・・」

 ふと、一条は思い出す。
 以前、一条が危険な目に遭っているとき、実体のない夏樹が現れ彼の放った太刀で難を逃れたことがある。
 その後夏樹は夢を見ていたと言っていた。
 その夢の中には一条がいて、太刀を振るったと。

「ま、心配で来てくれたんだ」

 そう言って、俯いたままの夏樹の顔を無理矢理上げさせる。
 まだ朱に染まる顔を見られたくないのか夏樹は顔を背けようとするが、しかし一条の前では無駄な抵抗に終わった。

「感謝位はするさ」

 片手を夏樹の顎に当て上向かせ、今度は一条がそっと、口付けを落とした。



(いぃやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。こ、これわぁぁ)
 これはあおえの心の悲鳴である。
 妙に慌てて夏樹が一条のもとへすっ飛んでいったので、これは何かあるのではとこっそりと様子を窺っていたのだが。
 まさかこんな光景が見れるとは。
(その時家政婦は見た!。もとい、その時馬頭鬼(めずき)は見た!ていう感じですかねぇぇぇ。)



 調子に乗ったあおえがうっかり隠れていた妻戸をぶち破り、そろって二人にぶちのめされたのは言うまでもない。



...End... (01/05/18)


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