□■ ノベル ■□
□ダブル・デート<1>
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秋吉家にしては珍しく静かな夕食後。
長女の万葉は、明日提出の課題を必死で片付けていた。
いつもはそうではないのだが、最近バイトの方が忙しく、どうしても課題などは期限ギリギリまで溜がちになってしまう。
ちょうど今日はバイトが休みの火曜日なので、万葉は朝から机に向かっていた。
本来なら杉本真紀とのデートの日なのだが、仕事の都合で急遽キャンセルされてしまったのだ。
「仕方ないけどさ」
その時、廊下で電話のコール音が鳴り響く。
万葉は慌てて机を立ったが、ドアノブに手を掛けたところでコールは途切れ誰かが話す声が聞こえた。
しばらく万葉はその場に立ち尽くし耳を傍立てる。
自分宛であることを期待したが、悲しくも呼びに来る気配は一向にない。
万葉は一つ溜息を吐いてベッドの上に寝転がった。
万葉のバイト先である「雅」でも忙しい時期なのだ。真紀の仕事先の方が何倍も忙しいのはわかっている。
それでも電話くらいしてきてもよさそうなものではないだろうか。
「カズハー。・・・何やってんの」
枕をボスボス叩きながら愚痴をこぼしていたところへ、千鶴が顔を覗かせた。
「え、なっ何でもないよ」
まずいとこを見られたと万葉は慌てて枕を直し、体を起こす。
「それより何か用なんじゃ」
「あぁ、電話」
千鶴はふてくされたようにぷいっと顔を背け、コードレスの電話を万葉に向けて差し出す。
万葉はそれを受け取り目で誰からか訊ねたが、この千鶴の拗ね様からいって相手は一人。
「ちい。杉本からの電話、素直に取り次いだことないね」
「うるさい。それに何であいつってわかるんだよ」
べっと舌を出して足音荒々しくも千鶴はさっさと部屋を出て行った。
あれはあれでかわいいんだけどな、と万葉は無言で見送る。
そして、いつもの如く千鶴に嫌味でも言われたであろう電話の相手にそっと声を掛ける。
「・・・杉本?」
『きゃーっ万葉ちゃーん、お元気かしらー?』
いきなりの悲鳴に万葉は一度耳にあてた電話を、バッと勢いよく離した。
てっきり落ち込んでると思いきや妙なテンションの高さに、ついに壊れたのかと思ったが、まあそんな訳はないとして。
『あらやだ、ちょっと聞いてる?万葉ちゃん』
出来る限り遠くまで離した電話から杉本の声が聞こえる。
しかし何という嬉しいタイミングだろう。
万葉は一息ついて高まる気持ちを落ち着かせた。
「聞こえてるよ、ちゃんと」
大好きな杉本の声、しっかり聞こえてる。
『今日はごめんなさいね、せっかくのお休みだったのに』
「いいよ、仕事だったんだし。それよりお疲れさん」
言いたい我が儘はいっぱいあるのだが、それは胸の奥にしまい込む。
『ありがとう。だけど万葉ちゃんの声聞いただけで、疲れも吹っ飛んじゃったわ』
「ばーか、言ってろ」
飽きもせずに毎回同じセリフを吐く杉本に、万葉はクスクスと笑う。
万葉とて同様、想い人の声を聞くだけで先程までブルーだった気分が一気に浮上する。
とはいえその元凶は杉本本人のせいなのだが。
『今日の代わりといっちゃ何だけど、来週の火曜日は朝から晩までめいいっぱい遊びましょうか』
「朝からって、前の日も次の日も仕事だろお前」
電話の向こうで杉本がフフンと笑った。
『万葉ちゃんとの時間の方が今は大事なの。まぁ、朝早いから寝溜めしとくわ』
「何時?」
『9時に迎えに行くから』
だとしたらその数時間早めに起きなくてはいけない事になる。
『モーニングコールで起こしてくれる?』
「イヤ」
万葉は間髪入れずに即答する。
『は、早・・・。そんなに嫌かしら』
杉本のしくしくと啜り泣くような声が響いてくる。
ちょっとイジメ過ぎたかなと、泣き真似とはわかっていても万葉は少し可哀相になる。
「ウソ。してやるよ、モーニングコール。遅刻されたら待ちぼうけさされるのこっちだし」
途端、復活したのであろう明るい声が返ってくる。
『ホントにっ、やだマキ嬉しー』
「現金なヤツだな、まったく・・・」
ピッとコードレス電話の通話ボタンを切る。
簡単な約束と近況報告をしあって、また電話するからというのを最後に杉本からの電話は切れた。
「来週まで指折り数えちゃいそー」
にやけそうになる口元に手を当てながら、さっそく何を着ていこうかなどと考え始めてしまう。
机の上に放り出されたままの課題を横目に見ながらも、もう今日は何も手につかない。
明日、扇子か麻子に見せてもらおう、借り覚悟で。
万葉は一度直した枕を、今度はぎゅーっと抱きしめた。
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