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□恋と云ふにはまだ早い
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こうして二人で床の中にいると、いつかの銃撃戦が夢のように感じられる。


土埃、硝煙、同胞たちの血飛沫………



今までの戦で何人失ったのだろう。
きちんと供養することも出来ず、私はこうして床の中にいる。

怠惰だろうか。侮辱だろうか。
亡くしてきた同胞たちの命への、冒涜だろうか。


本当は、眠る暇など無いはずだ。
かかとを浮かせて、官軍とやらの襲撃に備えるべきだ。
弾を込めた銃を抱きかかえて、微睡むことだけが、せいぜい許されることだろう。



でも、昨夜の私は両手を空かせて、隣で眠る人の腕に抱かれていた。

刀で鍛えられた、豆だらけの堅い大きな手で愛撫されていた。

無骨なこの人らしくない、
今までに受けたことのない、
ひどく優しい愛撫に泣いていた。



きっと最後だ。
日が昇って、この館を発ってしまったら、きっともう二度と顔を合わせることができないだろう。

この人はもう、その覚悟なのだ。
だからあんなに優しく私を抱いた。



いつかこんな日が来ることはわかっていた。
一国の男子として、覚悟もしていた。



「おい、起きろ」

横になった私の肩が、あの大きな手でゆすぶられる。


「もう、とっくに、起きています」

涙は出ない代わりに、胸がつかえたように苦しい。
心ノ臓を、誰かに強く握りしめられているように。

「それなら早く、支度をしろ」

「わかっています」

彼に背中を向けたまま、動けない。


すると空気が動いて、彼の気配が間近に迫るのがわかった。

私の背中に、やさしくくちづけが落とされる。


私の覚悟が、揺らぐ。


「きっとこれで終わらせる。そうしたらもう一度、」

彼の言葉がつかえる。私と同じ気持ちになってくれているのかもしれなかった。


「今日で終りになどさせない」


深い息とともに吐きだされた言葉。
たったこれだけの私のために、こんなにやさしい言葉を、この人は吐くのだ。


「そんな言葉でいいのですか」

私は起き上がり、振り返る。
西洋の薄衣を纏った彼が、なんだというように片方の眉で私を促した。

「そんな覚悟で臨むのですか」

やっぱりまた、胸が詰まる。息がつかえてしまう。


「わたしは、これで最後でもいいと、そう思って、あなたに、」


彼の手が、惑ったように私の腰をさすった。
彼の瞳も、揺れている。


「あなたの手に、抱かれたのです」


腰に回っていた彼の手を、そっと口許に引き寄せる。


「もう二度と逢うことがないとしても、悔いなど、ありません、」


そう言って大きな手にくちづけをしたところで、頬を熱いものが滴った。
両の目から、雫が一つずつ、伝っていた。


彼の目が揺らぎを失い、私をいとし気に、まっすぐ見つめた。


「……そうだったな、すまなかった」

私が捕まえていた手は、私の頬をぬぐい、そして私を彼に引き寄せた。


渇いた口唇が、やさしく触れる。
お互いの熱が、別れを惜しむように深く深く交わり合った。


ひとしきりくちづけを交わしたあと、彼は私をもう一度強く抱きしめ、そして言った。


「今まで振り返らずに来たのに、情けない姿を見せてしまった。すまない」

耳元できこえる厚い声。
何故私に、ここまで自分を許してくれるのだろう。


「わたしも、出過ぎたことを言いました」


ふっ、と彼が笑う。
抱擁が解かれたとき、彼は似合わぬ珍しい微笑みで私を見つめていた。


「言わずともよい」


深呼吸する一間。


彼は意を決したように立ち上がると、上着を羽織り、兼定を腰に掛けると部屋の入口に立った。


「ではまた、」








廊下を踏みしめる、重い足音。
彼の後ろ姿は、昇って来る朝日に飲み込まれていった。



「もう逢わないと、言ったではないですか、」




私は震える声を抑え、涙が溢れてくるのをこらえて、戦支度を始める。




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