長太郎受けメイン

□オダマキの花
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狂い始めたのは、いつからだったのか。

知らず知らずのうちに、毒に犯されていた──……。





「じゃあ長太郎、行ってくるな」
「はい、行ってらっしゃい」

朝から仕事へ行く宍戸さんに、玄関でキスをする。これは、毎朝の恒例と化している。
嬉しそうに目を細める宍戸さんを送り出して、俺はのろのろとした足取りで、リビングへ戻る。

仕事は、やめた。

しなくてもよくなってしまったから。



「……はあ」

この暮らしを始めたのは、数ヶ月前。
全ては、宍戸さんが宝くじで大当たりを当てたことが、同棲のきっかけだった。

世間には宍戸さんの意思で発表されなかったけど、宍戸さんが当てた金額は、なんと三億円超え──……。
目が眩むほどの大金を手に入れたからか、宍戸さんはその頃から少しおかしくなってしまった。

自分が生活費を稼ぐから、と俺に仕事を辞めるように迫り、宍戸さんの職場の近くに借りて、同棲しているマンションで、俺は専業主婦のような立ち位置になっている。
大金が手に入ったからと、高級な車や腕時計を買う訳でもなく、宍戸さんは仕事を辞めずに働き続けている。
お金は貯まりに貯まっていく一方だ。
俺が無職でずっと家に居たって、永遠にお金に困らない人生を歩むのだろう。

宍戸さんからは月に二万円のお小遣いを貰っているものの、異常な独占欲と束縛の激しいこともあって、外に出ることもあまり良しとされていないのだ。


「旦那が浮気ばっかりしてきて、もううんざり!」

テレビからふと聞こえてきたのは、旦那に向けた主婦の怒りの声。
浮気……、宍戸さんが浮気でもしてくれたら、この異常な生活から抜け出せるのかな。
なんて考えたりもするが、宍戸さんのことは嫌いではない。むしろ好きだ。
それでも、時折この暮らしから抜け出したくて、堪らなくなる。

リビングのソファに寝そべって、瞼を閉じる。
朝食で使った皿は、夕方にでも洗えばいい。掃除は昨日したから、もう数日はいい。
洗濯も、後に回して大丈夫だ。

「眠い……」

自分は働きもせずに、いつまでも養ってもらっている。慣れない仕事に追われる同年代のみんなから見ると、羨ましく思われるかもしれない。
休みは時々あるから待ち遠しいものであって、毎日が休みだと、暇が苦痛になってしまう。

だから、こうして一日何時間も、苦痛から逃れるように眠っている。














「長太郎、どっか行きたいとこあるか?」
「行きたいとこ……」


朝、机を挟んで向き合って食パンをかじっていると、宍戸さんがふと質問を投げかけてきた。


特にこれといってない。
何も欲していない。
心底つまらない人間だと思う。


今日は宍戸さんの休み。宍戸さんが行きたいところなら、どこでもいい。

「特にありません。宍戸さんは行きたいところあるんですか?」
「うーん、その辺散歩したい」
「いいですね」

どうしてだろう。
いいですねなんて、これっぽっちも思ってないのに、口からポロッと言葉が出てしまう。

「じゃあ、食べたら準備するか」
「はい」

自分の気持ちが分からない。
ただ、宍戸さんが楽しそうにしているので、心のどこかで安堵している。

どうしてかな。











外は、生温い風が吹いていた。
少し前に外に出た時には、冷たい風が刺すように吹いていたのに。

「もう春なんですね……」

桜の花びらが風で舞って、自分の足元へと落ちた。
満開時には綺麗と言われていたって、この落ちた花びらたちは、人々に踏まれていくんだ。
一瞬だけの、命。

「長太郎?どうした、ボーッとして」
「えっ、あぁ……いえ……。宍戸さん、帰りにホームセンターに寄ってもらえませんか?」
「いいぜ。何か買うのか?」
「はい、欲しいものが出来て……」

普段欲しいものを聞かれても、思いつかなくて答えない俺からの提案に、宍戸さんは喜んでいるみたいだ。
帰り道、落ちた桜の花びらを踏みながら、ホームセンターへと足を運んだ。

店内に入って真っ先に向かったのは、人の少ない園芸コーナー。
そこで、見た目の良さは勿論、家でも育てやすそうな花を吟味していると、隣に宍戸さんがしゃがみ込む。

「花なんて興味あったんだな」
「急に育てたくなったんです。部屋で育ててもいいですか?」
「全然構わないぜ。これとかどうだ?」
「うーん……。俺はこっちがいいです」

手に取ったのは、オダマキの苗。
まだ芽が出た状態で、花は咲いていないけど、開花後の写真が印象的で、不思議と惹かれてしまった。
綺麗なのに、遠慮がちに下向きに咲く花に心を掴まれた。

「中々変わったやつを選ぶんだな。後は植木鉢とか、土とか霧吹きとかも買わねぇとな。買ってやるよ」
「えへへ、ありがとうございます。……大事に育てますね」

それから必要なものを揃えて、大荷物を抱えて家まで帰った。
何を張り切っているんだろうね、俺は。

低い棚にトレー敷いて、赤茶色の植木鉢を置くと、花を育てるんだと実感が湧いてきた。
植木鉢の底に石を敷き詰めて、土を入れて、オダマキの苗を入れた。
根が隠れるくらい土をかぶせて、霧吹きで水をかけて完了だ。

「うまく咲けばいいな」
「無事に育てばいいですね」

この時には気づけていなかった。
どうしてこの花に惹かれたのか──……。











「長太郎、また寝てたのか」

目を覚ますと、オダマキの鉢が置かれた棚の前。
どうやら、ここでうとうとしていたみたいだ。

「また……?」
「さっきも寝てたじゃねぇか」
「あれ、そうだっけ……」
「おいおい大丈夫か?久しぶりに外に出たから、具合悪いんじゃないか?」

やだなぁ、暫く外に出てなかったからって、体力が衰えるとは考えたくない。

「……分かりません。ベッドで寝てきます」
「あぁ、何かあったらすぐに呼べよ?」
「はい、ありがとうございます」

こうして現実から目を背けるように、また俺は眠るんだ。

瞼を閉じて、 布団の中でふと思う。

そう言えば、オダマキの花言葉って──……。



眠い頭で、リビングから持ってきた携帯を開いて、オダマキの花言葉を調べる。

「…………あはは、……」




オダマキの花言葉は、【愚か】

なんだ、自分自身のことじゃないか。

心が虚無に支配されても、籠の中の鳥のような生活を歩んでいくんだ。
異常に愛を注がれながら、オダマキと一緒に、育っていく。


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