彩るは、白

□第三話
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お風呂に入るのは、昔から好きだった。

疲れが取れてリラックスできるから、とか。
身体の芯から温まる感覚がとても心地良いから、とか、理由は意外と単純だったりする。


でも、一番の理由は、その日にあった嫌な事を全部綺麗に洗い流してくれる気がするから。


何も考える必要のない時間。
湯船に浸かりながら、天井を見上げて、ただひたすらボーッとしているだけでいい。
ただそれだけで、溜まった疲れは段々と抜けていき、私の心が安らいでいく。
最近の私にとって、一日の中で一番心が休まる時間。


ずっとこんな時間が続けば楽なのになぁ──なんて考えてみる。


「はぁ……」


まぁ、そんなん、永遠に来やへんけど。


今日一番の、大きな溜め息。
雑念を追い払うように、手でお湯をすくって勢いよく顔にかける。
疲れも取れたし、身体も十分温まったし、もう出よかな。


若干逆上せたのか、少しふらつきながらも立ち上がって、浴室を後にする。








お風呂から上がると、濡れた髪をきっちり乾かして、再び部屋に戻る。


ソファの隅に座って、ぬいぐるみを抱きながらテレビを眺める。
録画しておいたお気に入りの番組をあらかた見終わる頃には、残り数分で日付が変わるような時刻になっていた。


疲れが取れたとは言っても明日に響くかもしれないし、今日はもう寝よう。


寝支度を済ませると、ソファに置いていたコートやバッグを棚へ片付ける。
テレビの電源を消した時、ふと、朝からベランダに洗濯物を干したままにしていたことを思い出す。


(危なっ、しまうの忘れるとこやった)


カーテンと窓を開けてベランダへ出ると、お風呂で温まった身体が冷たい夜風に晒される。


「うっわ、寒ッ……」


流石、真冬の夜。
外の空気は室内と比べ物にならないほどに冷たくて、風が吹く度にぶるりと全身を震わせる。
寒さをしのぐ為にそれなりに着込んでいるつもりだけど、外に出てしまえば薄着同然だった。


身体が冷えない内にと思って、私はぶら下がっている洗濯物を手早く取り込んでいった。




その時。




不意に、洗濯物を掴んだ手が止まった。








誰かの視線を、感じる──。








空気が一瞬で張り詰め、私は息を呑んだ。
恐る恐る、視線を感じる先──ベランダから見えるマンション前の道路を見下ろす。












「…………!」












ものの数秒で、すぐに見つけた。












──あの人を、見つけた。












歩道に並ぶ街路樹に隠れる様にして、私の部屋の様子を伺う黒い人影。
最初に遭遇したあの時と同じ格好をした、黒服の人。
私がベランダから顔を覗かせても、全く微動だにせず、静かにこちら様子を伺っていた。


(嫌……、嫌ッ!)


私は掴んでいた洗濯物を強引に引っ張ると、急いで部屋へ飛び込んで、窓とカーテンを勢いよく閉める。


力任せ引っ張ったせいで、洗濯物を挟んでいた洗濯バサミや掛けてあったハンガーがベランダの床に落ちる音が聞こえた。
手に持っていた洗濯物が私を囲う様な形で部屋の床に散乱する。
せっかく洗濯したのに。
けれど、そんな事を気にしている場合じゃない。


「はっ……はっ………っう……!」


脚の力が抜けて、その場に力なくへたり込む。
あまりの恐怖に呼吸は乱れて、次第に涙が溢れてくる。
全身の震えが止まらない。
心臓の鼓動も、さっきまでと比べ物にならない位に速い。


まさか、見られていたなんて。


一体いつからあそこに居たんだろう。


ついさっき?
私が帰ってきてからずっと?
それよりもっと前から?


分からない。


分からないから、怖い。




ポストの中を確認した時、盗撮写真が入っているあの白い封筒がなかったから、今日は何もないものだと思っていた。


何もないのだと、思いたかった。


それでも、あの人は現れた。
街を出歩く姿だけじゃ飽き足らず、部屋の中での様子まで覗き見ようとしている。




ベランダに出るまで忘れかけていた恐怖を、再び思い出す。




「もう止めて……! お願いやから、どっかいって……っ!」


誰の耳にも届かない悲痛な泣き声が、部屋に空しく響いた。




今になって、ようやく気が付いた。




もう、限界だった。
これ以上は精神的に耐えられそうにない。


誰かを被害に巻き込むのだけは、嫌だった。
根拠は何もないけど、自分一人でどうにかできると思っていた。
「きっと、何とかなる」と。


でも、現実は甘くない。
そんな強がりは、何の意味もなさなかった。
ましてや限界を迎えた今、強がって自分を奮い立たすことすら、とうとう出来なくなってしまった。




誰かに助けを求めるだけで、精一杯だった。




誰か、誰か助けて──。




「助けて……、まいやん……!」


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