彩るは、白

□第二話
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二時間後。


事務所での面談を終えた私は、マネージャーの車でマンションの出入り口まで送ってもらえた。
降車した後に「ありがとうございました」と会釈をして、走り出した車を少しの間だけ見送る。


スマホで時刻を確認すると、今は20時過ぎ。
思っていたより早めの帰宅となり、少しだけ嬉しくなる。
今日は久々にゆっくりお風呂に入って、のんびりできるかな。
ただ、それよりもまずは……。


右手に持っているコンビニのビニール袋を胸の位置まで軽く持ち上げると、その中身を眺めた。
道中に立ち寄ってもらったコンビニで買った、今日の夕飯たち。
正午に昼食をとってから何も食べずにいたせいか、どれもこれもとてもおいしそうに見える。


そんなことを考えていると、不意にお腹が鳴った。


「……お腹空いたな」


早くお湯にも浸かりたいし。
とりあえず、部屋に戻ろう。


マンションの出入り口を入った先にある集合ポストへ歩み寄り、自分の部屋番号のポストの中身を確認する。
入っていた2、3通の封筒をまとめて手に取り、差出人を確認する。


(……良かった。今日はないみたい)


内心、ホッと一息つく。
そのまま奥へ進み、玄関ドアのオートロックを素早く開錠してエレベーターに乗った。












「ただいまー」


自室に入ると、後手にドアを閉めて鍵を掛ける。


帰った時の第一声は、いつもこれ。
別に誰かと同棲している訳じゃないけど、一種の防犯対策として毎日続けている。
最近は一人暮らしを狙った物騒な事件も多いし、事が起きてからでは手遅れになるから。


ただ、ななに関してはとっくに起きてしもとるけど──。


倒れ込むようにソファへ飛び乗って、テレビの電源を付ける。
バラエティ番組でお笑い芸人のトークが聞こえてくる中、私は肩に下げていたバッグを下ろして、脱いだコートと一緒にソファの隅に置く。
そして、手に持っていたコンビニ袋を漁り、夕飯のおにぎりを頬張った。


お腹が空いたとは言ったものの、実際、コンビニで買ってきたのはおにぎり一つだけだった。
元々、食べる量は普通だけど、先週からは食欲がなくなって食べる量はかなり減っていった。
今日に至っては、昼食のロケ弁とこのおにぎりだけ。
撮影中は気が張っているから空腹感はないし、他の仕事でもさして影響は出てないからあまり気にしていないけど、流石に食べなさ過ぎかもしれない。


それに、数日前のメンバー全員との打ち上げであまり食べられなかったのは、ちょっと申し訳なかった。
皆が楽しそうに盛り上がっているのに、余計な心配を掛けてしまったりで……。


そう考えると、今日のまいやん達とのご飯に行けなくて良かったのかもしれない。
せっかく、まいやん達から誘ってくれたに断るのは辛かったけど。
まぁ、今回は事務所との面談があったから、しゃーないよな……。
面談の内容も内容やし。
だってななは今、ストーカーに──。




ドクン。




心臓が一際強く脈打った。




ストーカー。


有名人だけでなく、一般人でもつきまとい行為といったストーカー被害に遭うニュースをよく耳にする。
グループ内でも、過去にメンバーがストーカー被害に遭ったという話も、聞いたことがある。


アイドル故に、熱狂的なファンは少なからず存在する。
中でも私達は、握手会のようにファンの方と触れ合う機会があるからこそ、気持ちに歯止めが効かなくなり、推しのメンバーの
プライベートな部分にまで干渉して追い回すといったストーカー行為に及んでしまうのかもしれない。


自分とは、一生無縁であって欲しかった。


けれど、ついこの間、その願いは叶わないものとなった。


それどころか、今では字面を見るだけで激しい嫌悪感を抱くほどに、私自身に影響を及ぼしている。












ストーカーが発覚したのは、先週の出来事だった。


私はいつものように仕事を終えてマンションへ帰ると、出入り口の少し先にある集合ポストで自分の部屋番号のポストを確認する。
入っていた何通かの郵便物を順番に眺めていると、ふと、一通の白い封筒が目に留まった。


その真っ白な封筒には、切手も、消印も、差出人の名前もなく、封すらされていなかった。
恐らく、誰かがこのポストへ直接投函した物なんだろう。
それでも、一体誰が。


不安に駆られて、ふと、辺りを見回す。
人がいる気配は特にない。


それでも、嫌な予感がした。


手に取った封筒の感触や重さ、その大きさで、何となく中身が分かったから。


(これ……写真?)


冷たい汗が、背筋を伝っていく。


単なる勘違いであってほしい。
質の悪いドッキリでもいいから、どうか──。


恐る恐る、折り目すら付いていない開いたままの封筒の口に指を入れ、ゆっくりと中に入っている写真を引き抜いていく。




その瞬間、恐怖で全身が鳥肌立った。




中に入っていたのは、私の写真。
帰宅途中の姿を、正面、横、後ろから捉えた三枚の写真が入っていた。


全く身に覚えのない写真。
間違いなく、誰かに盗撮されたものだった。


「何……これ……」


ただ、中身はこれだけじゃない。
写真の後ろから、三つ折りにされた一枚の白い紙が顔を覗かせている。


見たくなんかない。
見ない方が幸せなのかもしれない。
いっそ破り捨てて何もなかったことにしたい。
でも、そんな事したって、解決に結びつくわけじゃない──。


意を決して、勇気を振り絞って、三つ折りにされた紙を開いた。








『きょうも おつかれさま いつもみてるよ』








そう書かれた、手紙だった。


その瞬間、マンションの出入り口から人の気配を感じた。
同時に、誰かが立ち止まるような足音と同時にカメラのシャッター音が響き、咄嗟にその方向へ視線を移す。




出入り口の先に見えたのは、人の影。




片手でカメラを握っている黒服の誰かが、そこに立っていた。




「……ぁ」




私は戦慄した。
途轍もない恐怖を感じて、その場に立ち竦んでしまった。


全身の震えが止まらない。
嫌な汗が全身から吹き出る。
喉が何かで蓋をされたようになり、上手く声が出せない。
頭の中が真っ白になりかけたけれど、今すべき行動を何とか導き出す。
早く、この場から離れないと……!


私は逃げるように玄関ドアへ走り出し、オートロックを素早く開錠する。
中へ入って力任せにドアを閉めると、オートロックを待たずに自分の手で内鍵を回した。


息を切らしながら、ドアの取っ手にもたれて全力で押さえつける。


鍵は掛けたのだから、それを開錠しない限り入れない。
押さえつける必要なんてそもそもなかったけれど、そうせずにはいられなかった。
それ程までにパニックに陥っていたし、恐怖で頭が回っていなかった。
それに、万が一、オートロックが開錠されてこの人が中に入ってきたら──。








数秒後。


ぎゅっと瞑っていた目をゆっくりと開き、再び出入り口を確認すると、先程までそこに立っていた人の姿は無くなっていた。


まるで何事もなかったかのように、誰の気配もなく、辺りは静まり返っていた。
ただ、私の右手に握られている写真と手紙が、現実を突きつけてくる。


「嘘や……こんなん……」


緊張から解放された影響で、脚の力が抜け切ってその場にしゃがみ込む。
今まで恐怖でせき止められていた涙も、一気に溢れ出てきた。




その日の晩は、一睡も出来なかった。
気持ちも酷く混乱していたから、マネージャーに相談したのは次の日になってからだった。
その後は、スケジュールの合間を縫って事務所と何度か面談を重ねて、色々と対策を打ってもらう事になった。


けれど、手紙や盗撮写真は毎日の様にポストに投函されて、一向に止む気配はない。


ストーカーの姿は、最初に遭遇したあの日以来見ていないけれど、送られてくる盗撮写真はつい最近撮られたものばかり。
時には、日中に移動している姿を捉えた写真も混ざっていた。


ストーカー犯の特定の為に調査してもらっているけれど、手掛かりが全く掴めないまま一週間が過ぎた。
今日の面談も、私が受けた被害の連絡と今後の対策についての相談だけで終わってしまった。


けれど、私自身への影響は深刻になる一方だ。


ストーカーの行動に対する不気味さと嫌悪感、不安と恐怖は日に日に募るばかり。


いつ、どこで何をしていても、常に監視されている様な気がして落ち着かなくなった。
食欲は徐々になくなり、寝付きも悪くなった。


それでも、周りに迷惑を掛けないようにと仕事はスケジュール通りこなしていく。
そんな日が一週間も続いて、肉体的にも精神的にもかなり追い詰められていった。




"話せる時が来たら、いつでも相談においでよ──。"




ふと、まいやんの言葉を思い出す。


私の異変に気付いて、声を掛けてくれたまいやん。
まいやんなら、きっと力になってくれる。


それでも、あの時は相談しない方を選んだ。
まいやんは毎日仕事に追われているし、まいやんだってまいやんなりの悩みをたくさん抱えているはず。
そんな中、私の悩みを相談してしまえば、まいやんは私と同じ悩みを抱えてしまい、負担が増す事になる。


何より、内容が内容なだけに、まいやんの手に負えるようなレベルでもなければ、万が一、巻き込んでしまった時の事を考えれば、安易に相談することなんてできる訳がなかった。



もし、まいやんを被害に巻き込んでしまったら?
もし、まいやんにも私と同じ苦しみを味あわせることになってしまったら?


そんなの、そんなの絶対に嫌や。


大切なメンバーを巻き込んでまで、迷惑を掛けてまで解決させたくない。


そんな事になるくらいなら、なな一人ででも──。












──その瞬間、スマホの通知音が部屋にこだました。


意識が現実へと一気に引き戻される。


(びっくりした……)


テーブルの上で画面を光らせているスマホを数秒間ぼーっと眺めてから、ゆっくり手に取る。
夕飯のおにぎりは、考え事をしている間に食べ終えたのか既になくなっていた。


画面を確認したけれど、単なるアプリ更新の通知内容に私は溜息をつく。
ついでに時刻を確認すると、21時になったところだった。



「……遅くなる前に、お風呂入らな」


疲労が溜まり切った重い体を動かして、私はお風呂場へ向かった。


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