彩るは、白

□第四話
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「んっ──」




目を覚ますと、私はソファの上で横になっていた。
うっすら目を開くと、蛍光灯の真っ白な光がやけに目に沁みた。


しんと静まり返った部屋。
私の全身をを覆うように厚めのブランケットが掛けられていて、起き上がるのが勿体ない位に自分の体温で温まっていた。
そして、隣の部屋から聞き慣れた歌がかすかに漏れ聞こえている。
これは……乃木坂の曲?


何だろう──とりあえず、起きないと。


腕の力で、上体を起こそうとする。
けれど、体が重くて思うように動かせなかった。
何より、頭痛が酷い。
ズキズキと脈打つような鈍い痛みに耐えるも、起き上がる瞬間、頭が割れるような鋭い痛みが走り、再びソファに横たわってしまう。


「痛……っ!」
「なぁちゃん?」


鋭い痛みに小さく呻くと、誰かの心配そうな声が聞こえた。
それと同時に、左の側頭部を抑える私の手に、そっと手を重ねてくれる。
重ねられた手から伝わる優しさに、幾分か、痛みが和らいだ気がした。




目を開くと、傍にいたのは──まいやんだった。




内心、パニックになった。


(な、何でまいやんがななの部屋に……!?)


夢でも見ているのかと思ったけど、意識も感覚もはっきりしている。
間違いない、これは現実だ。
でも、一体、何がどうなっているんだろう……。




まいやんは、ソファで横たわる私の目の前で屈むと、心配そうに顔を覗く。


「大丈夫? 頭、痛いの?」
「まいやん……ここって」
「ここ? あぁ、レッスンルームの隣の空き部屋だよ」


私はぽかんとする。


寝ぼけていて頭が上手く回らない。
とにかく、状況をいまいち飲み込めない。


レッスンルーム?
隣の空き部屋?
おかしい……だって、さっきまでななは自分の部屋におった。
お風呂を出て、テレビを見て、ベランダで洗濯物を入れてたら”アレ”を見つけて、それから、それから──。




それからの記憶が、かなりぼんやりしている。


思い出せそうで、いまいち思い出せない。




「……なぁちゃん? どうしたの、浮かない顔してるけど」
「なぁ、まいやん。何でなな、こんなとこで寝とるん?」
「何で、って、覚えてないの? なぁちゃん、ダンスのレッスン中に倒れたんだよ」
「えっ」


まいやんから告げられた思いがけない事実に、私は耳を疑った。


ななが、倒れた?
レッスン中に?


「今日のなぁちゃん、隈が酷くて顔色も真っ青だったから、皆でもの凄く心配しててさ。一斉に休みな休みなって言っても、
『大丈夫』って聞かなくて……。結局、全員参加でレッスンは始まったんだけど、なぁちゃん、途中で急に倒れたの」
「……そう、やったんや」


まいやんの話を聞く内に、ぼんやりしていた記憶が蘇る。
頭痛で思い出すことが億劫になるけど、何とか記憶を遡る。




そうや、思い出した──。




昨日のあの出来事の後、私は一睡もできないまま朝を迎えた。
当然、体のコンディションは最悪。
先週から続く睡眠不足や精神的な疲労が溜まりに溜まった結果、いよいよ体調を崩してしまった。
頭もあまり回らないし、倦怠感もあった。


それでも、休もうとは微塵も思わなかった。
皆に迷惑を掛けられないという思いや、センターとしての責任感からか、身体は自然と動き出して、身支度を整えて今日のレッスンへ向かったんだ。


後は、まいやんが言った通り。


昨晩の出来事と徹夜の影響で、私の表情は暗くて、目の下の隈もかなり酷かった。
私の体調不良っぷりは誰の目にも明らかで、メンバーからは「休んだ方がいいよ」と声を掛けられたけど、それを押し切ってダンスレッスンに参加した。


ただ、案の定、体調不良と睡眠不足でフラフラだった私は、しばらくするとその場に倒れ込んでしまったらしい。
そして、まいやんがこの部屋へ私を運んでくれて、目を覚ますまでずっと傍で介抱してくれたみたい。



頭痛が大分収まったから、体を起こす。
倦怠感は相変わらずだから、かなりゆっくりした動作でソファにきちんと座り直す。
掛けられていたブランケットを何度か折り畳んで。膝の上に掛けた。


あまり見慣れないこのブランケットは、まいやんの私物だった。
風邪を引かないようにと、寝ている間に掛けてくれたみたい。



まいやんはというと、楽屋に備え付けてあったポットをこの部屋に持ち込んでいたらしく、二つの紙コップにお茶を淹れて、片方を渡してくれた。
「あったまるよー」とまいやんは笑顔で言うけれど、温まるどころか口内が確実に火傷しそうな程にお茶は熱かった。
手に持っただけで分かる。何より湯気が凄い……。
それでも、まいやんの気遣いが嬉しくて、ちびちびと飲んでいく。


「ん、あったかい」
「でしょ〜」


私が笑顔でそう言うと、私の隣に座りながらまいやんも満足げに笑った。
まいやんは浮かれ気味だからか、特に何も考えずそれなりの勢いでお茶を一口飲んだせいで、「熱ッ!?」と天上に向かって叫んでる。
大丈夫かな……、なながあったかい言うたから、ほんまにあったかいと思ったんかな。
まいやんの口の中が、少し心配になった。


口を開けて冷ますように手で仰ぎながら、まいやんは話し始める。


「そ、そういえば、過労かもしれないから、一度病院に行こうってマネージャーが言ってたよ」
「病院、かぁ……。うん、ありがとう」
「午後は元々オフだったし丁度良かったよ、とも言ってたけど。もう倒れちゃってんだから全然良くないのに! もう!」
「ま、まぁまぁ。他のメンバーの担当もしてて忙しいから、ななに付きっ切りって訳にはいかんし、しゃーないよ」
「それでもさぁー」


さっきまで優しかったまいやんが突然黒石さん化して不服そうに唸り出す。
ちょっと焦ったけど、白石さんに戻るように何とかなだめた。




「体の具合はどう? 朝よりマシになった?」
「んー。まだちょっと頭が痛いし、体も怠いかな。熱はないから、ほんまに過労なんかも」
「……そっか」
「まぁ、自己管理とかちゃんと出来てへんだななが悪いんやし。それに──」


それに。
今日に関しては、メンバーに迷惑を掛けまいとして、制止を振り切ってまでレッスンに臨んだけど、結局は倒れて迷惑を掛けてしまった。
特に、私が目を覚ますまで傍にいてくれた、まいやんには。


身体の向きを隣にいるまいやんの方へ向ける。


「まいやん、ごめん。ななのせいで、迷惑掛けてしもて……。今日なんて、レッスン中やったのに」


頭を下げて謝ると、ほんの少し間が空いてから、まいやんが口を開く。


「大丈夫だよ、気にしないで。私が周りに勝手言って、ここに残っただけだし。今日のレッスンの振り入れも、後で二人でメンバーに聞けば問題ないって」
「……うん。ありがとう」


顔を上げてお礼を言うと、まいやんは微笑みながら私の頭を二、三回撫でてくれた。


そして、まいやんは続ける。
笑みは消えて、真っ直ぐ、私を見据えながら。
ほんの少し、躊躇うように続けた。



「ねぇ、なぁちゃん」
「ん?」
「昨日の夜、何かあったの?」


昨日の夜。
その言葉に、ぴくりと反応する。
まいやんと一瞬目が合ったけど、動揺して直ぐ横に逸らした。


「いや……別に」


誤魔化し方を考えるより先に、何事もなかったと咄嗟に嘘をついて否定する。
けれど。


「なぁちゃんって、嘘つくの下手だよね」


まいやんは浅めの溜息をついた。
そんな事は全部お見通しと言わんばかりの台詞。
図星だから、返す言葉なんてなかった。


「なぁちゃん。昨日の帰り際に話したこと、覚えてる?」
「……『ななが話せる時が来たら、相談に乗る』って言ってくれたこと?」
「そう。あれからずっと考えてたんだけどね。なぁちゃんが言うまで、何も詮索しないーなんて言ったけど。あれ、やっぱり止める。前言撤回」
「撤回、って」
「……なぁちゃんの様子がおかしいことには気付いてるのに、相談されるまでそれを見て見ぬふりをするのって、結構辛いんだよ」


さっきまで私を見据えていた凛々しい瞳が、憂いを帯びていく。
大切な誰かが傷つく悲しみ。
それを助けられない無力な自分に対する悔しさが混ざり合ったような瞳。
それを見て、私は心が酷く痛んだ。


まいやんは私から視線を外して、続ける。


「前にも言ったけど、事務所やマネージャーから呼び出されて面談する時点で、なぁちゃんや私達だけじゃ手に負えないレベルの問題なのは理解してるつもりだよ。
 でも、大切なメンバーがたった一人で、体を壊しかける位に苦しんでいるのを、これ以上黙って見過ごすなんて出来ない」
「……それでも、話したら絶対負担になるし、もしかしたら、迷惑も掛けるかもしれへん」
「だから、話したくなかったの?」
「……うん」
「…………」


部屋に、沈黙が広がる。


まいやんは黙ったまま、自分の手元に視線を落として、何かを考えているようだった。




もしかして、信頼されてない、って思わせたかな。


何年も一緒に活動してきたメンバーやのに。
Wセンターに選ばれて、お互いの距離が前よりもっともっと縮まったはずやのに、まだ信頼されてないんや、って。


もし、そうだとしたら。
まいやんに迷惑を掛けたくないという思いからの言動が、却ってまいやんを傷つけてしまっていたら。
そう思うと、悲しくて、辛くて、胸が張り裂けそうで仕方がなかった。


どうしよう、どうすれば──。




無意識の内に、膝に掛けられたブランケットを強く握り締める。
すると、私の手の上に、まいやんが手を重ねた。


「こら、そんなに握り締めたら、毛抜けちゃうよ」
「え、あっ……ごめん」


咄嗟にブランケットから手を離すと、まいやんはその手を握っくてれた。


いや、それよりも──。


「もう。なぁちゃんのバカ」
「えっ」


「ブランケットの毛が抜ける」の次は、「バカ」。
思いがけない言葉の連続に、私は驚いてばかりだった。


「いい? なぁちゃんが思っている程、誰かに頼られることを嫌う人なんてそうそういないよ。少なくとも、私は頼られたら嬉しいし、
 むしろどんどん頼って欲しいなって思う。なぁちゃんが自分のネガティブな部分とか、それこそ今抱えてる悩みを打ち明けることを
 躊躇う理由もよく分かる。でも、だからこそ、私くらいにはいくらでも話してくれて良いんだよ」


まいやんは、私を見る。


「仮に負担になって、迷惑を掛けられたとしても、それでも私はなぁちゃんを助けたい」




私に対する、まいやんの想い。


言葉の端々から伝わる、意思の強さ。
それがとても頼もしくて、とても嬉しかった。


絶望の淵に追い詰められようとしていた私を助けたいと願って、この手を掴んでくれている。




「今まで、一人でよく頑張ったね、辛かったよね」




まいやんが、包み込むように優しく抱きしめてくれた。


「まい、やん……、なな……ななは……ッ!」


まいやんに抱き締められたまま、嗚咽する。
どうしようもない程に、溢れて溢れて、止まらない。
今までどこかに押し込められていたような、有りっ丈の涙。


零れた涙は、私の頬を伝って、次第にまいやんの服を濡らしていく。
それでも。


「大丈夫、もう我慢しなくたって良いんだよ」


それでも、それを含めて、まいやんは私の全てを受け止めようとしてくれた──。








しばらくすると、静かな部屋に、私のすすり泣く音だけが響く。
私が落ち着き始めたのを確認すると、まいやんは抱きしめていた腕を離して、私の頭を撫でてくれた。
涙で濡れそぼった私の頬を手で拭うと、くしゃくしゃの前髪を綺麗に整えてくれる。


「ね。なぁちゃん」
「ん?」
「えっ、と。あんなかっこいい決め台詞を言っておいてなんだけどさ……。私なんかじゃ、不満だったりする?」
「…………」


予想外の質問に、私はぽかんとした。
まいやんの言う通り、あれだけのかっこいい決め台詞を自信満々に並べておいて、今更何を言ってるんだろう。


決め台詞なんかより、もっと自分に自信を持ったらええのに……。


「……どう、かな?」
「……ふふっ」
「なっ、わ、笑わないでよー! こう見えて結構不安なんだからさぁ!」
「ごめんごめん。……ううん、全然不満とちゃうよ。めっちゃ、めっちゃ嬉しい」



目を逸らす理由なんてない。
さっきまでと違って、今なら、面と向かって視線を合わせられる。


「ありがとう、まいやん」


まいやんの瞳を真っ直ぐ見据えて。
嬉しさで顔をほころばせながら、私は言った。


それを見て安心したのか、まいやんは私の名前を大声で叫びながら思いっきり抱き着いてきた。
勢いのあまり、まいやんが私に覆い被さるような形でソファに倒れ込む。
まいやんときたら、倒れても抱き着いたまま「良かった良かった」と連呼して、まるで子どもみたいにはしゃいでいる。
さっきまでのかっこいいまいやんはどこへやら。


でも、まいやんらしい。
そんな嬉しそうなまいやんを見て、不思議と元気が湧いてくるし、私も一段と嬉しくなった。


「これからはどんな事でもいっぱい頼るんだぞー」
「うん、それなりに」
「それなりなの?!」


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