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□やさしいひと
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雨が窓を叩く音が部屋に響く。ラジオのノイズのようなそれは、きっとモノンノの耳には届いていないだろう。
不規則で、だからこそ気が滅入る雨音に、部屋の主は反応を示さない。
ふと、唐突にそれとは一線を画した別種の音が響く。
扉を開ける音、傘を閉じる音、服についた水分を乱暴にはたく音。
足音が響いて廊下からリビングに通じる扉が開かれると、音の主は慌てたようにモノンノに近寄る。
「また切ったのかよ」
何をするわけでもなく床に座り込み窓の外を眺める彼女の腕からは鮮血が流れていた。反対の手には鋭利な刃物が握られていて、彼はとりあえず刃物を取り上げて処置に移る。
焦点の定まらなかったモノンノの目が彼を写し、乾いた声で名前を呼んだ。
「トミー」
「……おう」
対した彼はなんと答えて良いかわからず、腕に包帯を巻いたままぶっきらぼうに言葉を返した。
「もう、こんなことすんなよ」
真っ新な包帯は早くも血が滲んできている。
手のひらで包み込む腕は前より細くなった気がして、彼は眉をしかめた。
「前作ってった有り合わせは食べ、てないな。」
ラップがかけられたままローテーブルに置かれているそれを見て首を降る。
「食うもんぐらいはちゃんと食わねえと、本当に死んじまうぞ」
「それで、いい。」
か細い声が聞こえて、モノンノが包帯の上から腕を撫でる。
「むしろ、はやく、」
その先は続かなかった。
のろのろと視線をあげて、彼女は不思議そうな顔をする。壊れきった笑みが口元に浮かんだ。
「トミーは、こんな私に、どうして、優しくしてくれるの?」

三週間ほど前、モジヤンが交通事故で亡くなった。隣には、モノンノがいたのだ。
晴天で、雲一つない日だったそうだ。
信号無視で突っ込んできた車は最初モノンノを付き飛ばそうとしていたらしい。場所的に、死ぬのはモノンノだったはずだそうだ。
それでも、そんな事をモジヤン が見逃すはずもなく、相方は彼女に体当たりをして、結果……。
モジヤンが守りたかったはずの彼女は死んでしまった。もうどこにも以前の
モノンノはいないのだ。
「お前のせいじゃない。それに、カンタも心配してる。」
「今日も、晴れてるんだね。忌々しいくらいの晴天だ。」
俺の言葉を聞き流し無感動に窓の外を見上げる彼女に我慢ならなくて手を引いて腕の中に閉じ込め、無理やり景色から目を逸らさせる。
「……今は雨が降ってる。太陽は見えねえよ。」
「雨?そうだね、雨が降ったらあの子は帰って……」
呟いて彼女は腕の力を解いた。柔く、背中を握っていた手が離れる。
「トミートミートミートミー」
呪文のようにつぶやき、閉じられていた目が開かれる。
「トミー大好き。チューしよ、トミー」
「……」
意味なく笑ってみせるモノンノは、きっと俺のことなど眼中に無いに違いない。彼女の頭を占めるのはやはりモジヤンの事なのだろう。
そばに居るのに、こんなにも遠い。

願いに答えてひび割れてかさついた唇に自身のそれを重ねる。幾度も傾けて、温もりを分け与えるように食み、呟いた。
「戻ってこい、モノンノ」
ぎゅうっと、音がしそうな程に強く彼女を抱きすくめる。痛いだろうに彼女は非難の声をあげず、ただ呟く。
「雨、降らないかなぁ」

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