小説
□美しさと機能との相反性に関する考察
1ページ/2ページ
Side:阿古哉
僕が庶民を嫌いな理由。庶民は無能だ。金がなくて困ると言うが、必要な金さえ稼げないのは、能がないからだ。
それは、親から子へと受け継がれ、退避路も突破口も奴らの屍で塗り固められてしまう。そんな、無能の連鎖をループしている。努力も向上心も忘れた愚か者たちだ。
教室にいる時の阿古哉は、シールドなりバリアなりを半径1メートルに張り巡らせて、醜い庶民とは別の空間にいるのだと意識を飛ばしている。
だから、生徒会室に行くと、ほっとする。清浄でキリッとした空気が心地よい空間は、居心地がよい。
この部屋は、阿古哉と2人の先輩たちだけのものだ。
阿古哉は、草津を見ると安心できた。どこか自分と同じにおいを感じるせいだろう。高貴な家に生まれ育った者同士の共通点がたくさんあるので、話も合う。
優秀で文武両道の先輩として尊敬できるのは言うまでもないが、たまに見せる子どもじみたこだわりや、阿古哉よりも狭量な一面を垣間見ると、可愛くなってしまう時があるのだ。絶対、口にはしないけれど。
一緒に出かけた時や記念写真を撮る時などは、隣に並んで腕を組むくらいのスキンシップを自然としたくなるし、草津もまた、それを許容してくれる。
有馬は、また別だ。
彼の容姿は、どこがどうだと言うわけではないが、整っている。非の打ちどころがないのだから、それはすなわち十分に美しいということだ。
有馬には、たとえばうっかり頭頂部に付いたままになっている埃を見つけられそうだ。その上で、指摘もしてくれないでニヤニヤ笑われそうだ。だから、有馬が近くにいる時には背筋をいっそう正して、隙のない姿を見せようと考えてしまう。この男がため息をつくくらい、美しく整った自分でいなければ、と。心理的に隔てがあるというのとも、違う。
けれど、不用意に無防備なところを見せられないような、そのくせ、いつも自分の方を見ていてほしいような気持ちになる。
そんな3人が3人とも、高貴な家の生まれで、美しさと、世界を統べるべき資質と覇気とを兼ね備えているわけだが。
(ハキ……)
阿古哉は、ふと生徒会室の片隅でお茶を淹れる先輩をチラリと見やる。
何か違う。有馬には、覇気などという言葉は似つかわしくない。有馬は、何を考えているのか、さっぱりわからない。
でも、いや、だから。気になる。
そこで、機会を見つけては話しかけてみたり、するのだが……
「庶民って、とことん醜い愚か者ばかりですよね」
「阿古哉、気持ちはわかるけど、辛辣すぎだよ」
言うと、有馬さんが独特の透明な声でたしなめてくる。たまに角ばった印象をはらむものの、この人の声は高原の新緑を吹き抜ける風みたいに澄んだ、張りのある声だ。
悲鳴とか絶叫とか、することがあるのかな。聞いてみたい気もする。いつだって、薄いベール一枚を隔てた向こう側にいるみたいに、腹の底を見せない人なんだから。
だから阿古哉は、なおも言いつのる。
「いいんですよ、これくらい言ったって、どうせあいつらは自覚してもいないんですから。その点、有馬さんは使える人だし、容姿も整っているから合格ですよ」
毎日のように顔を合わせて、長い時間を共有しているから、ついこんなことまで口にしてしまうほどには、阿古哉は有馬に親しみを持っていた。仲間意識と言っても良いかもしれない。
「ふふ……そこまで言っちゃう阿古哉に認めてもらえて、嬉しいよ」
少し目じりの下がった穏和そのものといった風情で、有馬は言う。想定内の反応だ。
「ん、阿古哉どうかした?」
「こんな言い方して、失礼な後輩だとか思わないんですか?」
「んー、ふつう後輩が言うセリフではないと思うけど。僕以外には言わない方がいいだろうね。錦史郎なら『無礼な! 長幼の序をわきまえろ!』とか一喝すると思うよ」
「有馬さんになら、いいんですか」
阿古哉はどうしても、この男に対して、こんな風につっかかってしまう。この男の何がそうさせるのか、阿古哉自身にもわからないけれど。
「阿古哉になら、言われてもかまわないよ」
ああ、また……温厚そうな瞳で口角を上げて微笑む表情は、大理石に刻んで寺院や教会に飾れそうなおもむきだ。ただ、それは、絶対的な「善」であるからではなく、人間的な感情が読み取れないからだ。
人間を超越した存在に、何段か高い位置から見おろされているような気分になる。
(どうして?)
阿古哉は思う。
もっと感情をさらけ出してほしい。目の前で、生々しい感情を見せてほしい。その感情を、自分の方に向けてほしい。
それなのに。何が「阿古哉になら」だ。
「僕に、なら……ですか」
どの口がそれを言うか! いまいち品格に欠けるものの、言ってやりたくなる。だって。
(有馬さん、それは、僕が特別だという意味に聞こえます。それで、いいんですか? どういう「特別」なんですか?)
そこは、口にできない。だって。
(有馬さんにとって、本当に特別なのは草津さんだけだって、僕はとっくに気付いています)
違うとは言わせない。阿古哉には一度も執事然としてかしずいてくれたことなんてないのだから。
(有馬さんに、僕を、ご主人様と呼ばせてみたい)
ねじまがった感情は熱を持って、言葉にされないまま行き場を失う。そして、心の中に澱のように溜まる。
下呂阿古哉の容姿を、ますます美しくさせる。
.