小説
□Gutta〜しずく
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(1)
「当機は間もなく着陸態勢に入ります」
生徒会の3人が乗った飛行機は、日本のとある国際空港を午後に飛び立って、順調にフライトすること12時間、ようやく留学先であるイギリス(仮)に降り立とうとしていた。
「あー、やっと体が動かせますね」
「阿古哉は、フライト中もひっきりなしに動き回ってたじゃない」
「機内と陸の上とでは、違うんですよ。若いんですから、こんなに長く一か所にとどまっているのは不健康、美容の大敵です」
「はいはい。若さの特権ってやつだね。僕より何か月かだけ」
「そうですよ。ご年配の方と同じようにはいかないんです」
2人がこうして他愛のない掛け合いに興じて(?)いる間も、草津は上の空だ。
「あっちゃん……見送りに来てくれた……」
鬼怒川がギリギリで間に合って、離陸する飛行機に向かって手を振ってくれた。その、時間にして何分にも満たない出来事が、草津の頭の中で幾度も幾度もリピート再生されている。12時間に及ぶフライト中、何十回、いや何百回かもしれない。思い出しては小声でつぶやき、頬を赤らめ、表情をほころばせる。さすがに軽くウトウトすることもあったようだが、眠っている間はますます顔にしまりがなくなる。普段の凛々しい様子とは雲泥の差だ。
有馬と阿古哉は、ほほえましさ半分、鬱陶しさ半分で、見てはいけない光景から目を逸らそうと、つとめた。
彼らにとっては当たり前だが、座席はファーストクラスである。
「庶民は横並びに10列のギュウギュウづめの席に座るって、本当ですか? あり得ない! 信じられない!」
阿古哉はショックを受けていたが、座席は横に3列、1/2に分かれたゆったり幅広シート。ファーストクラスのスペースに他に人はいなくて、貸し切り状態になっている。庶民には一生涯経験できない。それでも、「専用機をチャーターすれば良かったのに」と阿古哉はぼやいていたものだが。
「あーあ。窓際に座っていたって、なんにも見えやしないです」
「雲海を飛んでいるから、しょうがないよ」
「あれ、有馬さん、そっちの座席、ひじ掛けの高さが違うんじゃありませんか?」
「ああ、こっち側は通路だからね」
「へえー。ちょっと替わって下さい」
落ち着きなく立ち上がって、有無を言わさず有馬の膝に乗り上げんばかりに座席を奪いに行く。よほど退屈しているのだろう。
「ちょっと、もう少し静かに……また錦史郎に怒られるよ」
「その点は、ご心配なく」
「……まあ、今の様子じゃあね……」
結局、初めての長距離フライトでテンションが上がって落ち着きをなくしている阿古哉を、有馬が相手してやる流れになった。
用もないのに何度も立ち上がってストレッチをしてみたり、席を交替したがったり。有馬がウトウトしようとすると、座席モニターを起動させて、「ゲーム機能でバックギャモンが出来ますよ。教えて下さい」、ギャレーに行ってドリンクサービスのメニューを見渡したかと思うと、イマイチ気に入らないのか、
「ねえ、いつものハーブ、手荷物に入れてあるんでしょ? あれでお茶淹れて下さい」
傍若無人のはしゃぎっぷりだ。
かたや草津は、
「あっちゃん……」(以下略)
貸し切り状態で良かった。有馬は、しみじみ感じていた。
草津は進行方向に向かって左側の窓際に座ったきり脳内トリップしたまま。そして今は、その隣の中央席に阿古哉、右の窓際に有馬が座っている。
そんなこんなで、ようやくイギリス(仮)の空港に着陸だ。
「錦史郎、阿古哉。時計の針を3時間進めて」
「時差は9時間じゃありませんでしたっけ?」
「そう。日本とは、地球上で最大の9時間差。アナログ時計の場合は、3時間進める方が簡単なんだ。それから、着陸したら真っ先にファーストクラスの出口が開いて優先的に入国手続きを受けるから、パスポートはすぐ取り出せるようにしておいてね」
有馬がテキパキと指示を飛ばす。代々、海外を渡り歩いてきた有馬家の者として、慣れているのだ。
「さすが有馬さん」
珍しく、阿古哉が素直に賛辞を贈る。阿古哉は、何だかんだで今まで機会がなくて、これが初めての海外だ。己の美しさは世界水準を軽く超越しているという自信も好奇心も揺るぎないが、心の中では有馬を頼りにしている。
(有馬さんが一緒で良かった。この美しい僕が、慣れない異国で万一困ることがあったら、手を貸さずにはいられないだろう。何たって、僕はこんなに美しいんだから。あくまで、万一の場合だけど)
「あっちゃん……」
それでも草津は、依然として上の空だ。
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