ストーリー

□企画参加・お題『虫さされ』
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お題「虫さされ」 “真夏の峻玲大作戦2019”企画

【泉玲Side】

 助手席に乗り込むや否や、私は、サンバイザーを倒して、その内側のミラーに首筋を映した。あごを上げ、首を右、左と回して確認すると、一センチくらいの赤い腫れが5つ。

「あ〜やっぱり。かゆいと思ったんですよね」

 もうっ、と口を尖らせると、ギアをドライブに入れた峻さんが横目でちらりと私を見た。

「なんだ、蚊にさされたのか」
「はい、首に5か所もですよ?! ひどくないですか? バリバリ休日出勤してるのにこんな目に合うなんて、まさに『泣きっ面に蚊』!」
「……ハチだろ」

 鼻を鳴らした峻さんがアクセルを踏み込むと、車は、真夏の熱気で熟れきった街を、切るように走り出した。



 今から30分ほど前、私と峻さんは、まったくの予定外に、とある空き地の草むらに身を隠すハメになった。麻薬の密売が疑われる男のアパートは、まるごと、会社名で借り上げている寮となっているらしく、実際に男が住んでいる部屋を確認するには張り込みしか手段がない。エアコンのきいた車を目立たない場所において、そこから男の部屋の出入りを確認すればいい、なんて思っていたが、現場に行ってみると、甘い予見は見事に裏切られた。肝心の出入り口のドアすべてを見渡せ、かつ、不自然でなく車を止められる場所がなかったのだ。そして最も適当だったのは、私たちが潜んだ、草むら。

 いまどき、都会の建物群にかこまれた空き地というのも珍しかった。ほとんど手入れされていないのだろう。背丈に近い雑草が、自由気ままに生い茂り、むせかえるほどの草いきれが鼻孔を通り抜けていく場所だった。

 幸い、男は規則正しく生活をしていて、交代の勤務を終えて午後2時には帰宅するはずだった。ほんの30分程度なら、太陽光線が最も乱暴をはたらくこの時間であっても耐えられそうだと、私と峻さんは、車を降り、草むらでの張り込みを決行したのだった。


「男の部屋は303号室」と関さんに報告を入れてから、私はさらに首筋を掻いた。

「おい、あんまり掻くなよ。化膿するぞ」
「だって、このかゆみ、掻かずにはいられません! てか、私ばっかりで、どうして峻さん刺されてないんですか。半袖なのに」

 峻さんは、私が指10本を全部使って掻きむしっている隣で、涼やかな顔をしている。
私は日焼け防止に長袖のパーカーを着ていて、腕こそ刺されずにすんだものの、ノーカバーだった首はこのありさまだ。峻さんはといえば、半袖、開襟といういで立ちながら、赤ポチのひとつもない。

「わかった! 普通に見えて、実はアルマジロ並みの鋼鉄皮膚体質とか? で、刺そうとした蚊のほうがやられちゃうっていう」
「わけねー」

 フンと鳴らした鼻息が示すのは、恒例の、バカなのか、だ。

「じゃあ、低体温! 体温が低いと刺されにくいって言いますよね。峻さん、流れる血が冷たそうだし!」

 私は、運転席に身体ごと向いて人差し指を揺らした。

 時おり意地悪な物言いをする峻さんに、たまには言い返したっていい。

 どうだ、今大路峻。

 私だって、いつも言われっぱなしじゃないんだから! 

 峻さんは、無言だ。

 よし。

 胸の中でだけガッツポーズ。

 でも、少しだけ勝った気がしたところで峻さんが笑った。

「ははは」
「ハハハ?」

 車が赤信号で緩やかに止まると、峻さんがゆっくりと顔を向ける。両の口角を上げた優しい笑みは、白大路だ。

「玲さん、今、南米は冬ですよ。ご希望でしたら、極寒の地で涼んでいらしたらどうですか。お連れしますから」
「うっ、で、でた……南米送り」

 とたんに勢いをなくした私を、峻さんが息だけで笑う気配が感じられた。

 口で勝てる日なんか永久に来ないと思いつつ、こんな軽口のたたきあいも幸せだなあとかしみじみ思ってしまっているから、いいかげん、私の頭もオールシーズンお花畑だ。

 ぽりぽりと首を掻きながら、窓に流れる夏景色を追う。

 街は、強い光が照りかえってすっかり白金色の世界だ。

 私は思わず目を細めた。

 峻さんと過ごす3度目の夏は、今年もまぶしい。
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