掌編

□間違い1
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 いきなり好意に切り替えることが与える影響は当然だった。詐欺師は天使の顔をすると、よく言うと思う。なおのこと、混乱が深まっていたのだろう。身体で覚える認知科学。パニック状態が解消されないままで見た笑顔や言葉は、怒った顔よりも恐ろしい。
それは、それこそホラー映画のメインヒロインの優しい笑顔のようなものである。どんなに綺麗な顔をしていようと、いっしょにあそぼうと、優しい言葉だろうと、それがよりいっそう混乱を深くし、動揺を誘い、見ているひとを揺さぶる。罵倒されるよりも、殴られるよりも、苦しくて、この場で首を吊ってやろうかというような日々がそこからスタートした。
 ただ、そう、被害者面をしている場合じゃない。これは、あのハゲたちが社会の信用を取り戻すための儀式に過ぎない、私のためではないのだから、うぬぼれてはいけない。
ただ、また絡まれないためだけに、私は耐えなくてはいけない……のだけど。

 
退院した頃にはすこしずつ春の気配がちかづいてきていた。

「駄目だ、うるさい……」

私は軽く眩暈を覚えながら、アパートの窓から顔を出した。
「あぁ、うるさい」
目につくものも、聞こえるものも、うるさかった。
うるさくて、不快なものに変貌していた。
総てが不快だ。こんなことは初めてだ。
スポンサーだったらしい番組が、急に交通事故の危険性だの、優しい人も居るだのとあの日々を思い出すような優しい内容にかわっていたので、私はネットに書いた。
「嫌な番組!」

あはははは!!
私はわらった。なにかが、哀しい気がした。
好意を受け取れない、感情を受け取れない自分だけが、世間に残されたことを知ってしまったのだ。
そう、あの退院の日は、独りになった。本格的に根本的にいよいよ、孤独になった私の、誕生日ということ。

笑顔を返せない 駄目な人間のレッテルを
どう張ってやろうかと、世間から、世界中から監視されている……もうだめだ。逃げ場なんて無かった。
「どうにかして死ななくちゃ……」
世界がどう考えても背中を押している。
服を着替えても髪をとかしても、私は、醜く歪んだまま監視されていて、もう何処にもいられないんだよと、囁かれている気がするのだから。
「どうにかして……」
こんな、こんな世界に、私の価値なんか無いじゃないか。

衝撃的な感覚と、諦めのような感覚が同時に私のなかを駆け巡った。
優しくされなくても、死ねと言われても、生きていけたのに。

「あー、やっちゃいましたね」

玄関のドアを開けると、知らないスーツ姿の男が私を見てにやっと笑った。
「あなたに優しくしたあの番組、怒ってますよぉ」
くすっ。
私はふきだした。
「あはははは!」
「よくも、こうやって、感情を踏みにじれるもんですね。簡単な二択でしょうに」

「そうかもしれませんね。人って優しくて、暖かくて、実に素晴らしいです、ええ」


 人を好きになれる人なんて、いくらでも怒ればいい。
私は、実に、死んだほうがいいと、
あなたも思うでしょう?
孤独が和らいだのは、その一瞬。嫌な番組だと、感想を零した、その自分への正直な、自分からの保証のみだった。

「この前も、二択で間違えたんです、私!
とても間抜けで、愚かで、そう思いませんか」

私はどこに行くのだろう。
何をしに、何のために。
どうしてこの孤独を、そうまでして
手に入れることに、慶びすらあるのだろう。
知らない芸人に頷くより、ずっと価値のあることに思えてしまう。

じろりと私を睨んでから男はどこかに去っていった。


 狂人の道を歩み始めてしまった。

この前はビデオレターをゴミ箱に捨てようとして、それはいけない行為だったので、怒られた。もしも私の感覚を他者に植え付けられたとしてうるさくて、不快で、孤独で、苦しいことから逃げられるならいくらでも、やるはずなのだが、残念ながらそういうことはなく、私は少しずつ、おかしな人物になっていくようだった。



「大人しくしていなさい、いいね」
 教室にちょこんと座る私は、特別授業を受けていた。簡単に言えば補習生で、事故のせいで遅れた分を自習させてくれるというので、
ひたすらプリントに取り組んでいた。
先生は大人しくするように言い、すぐに職員室だか教室に戻っていく。
プリントに途中から、異物がはさまっていた。
「あなたが事件を起こしたというので、一時は騒ぎになりましたが、ごめんなさい、あなたいい人だったのね」
手書きの付箋の、文字。

読んだ瞬間に食べた弁当が戻ってきそうな、不快感が胃をせりあがってきて、混乱した。
酷い孤独だ! プリントというのは、問題と解説があればいいのだから、こんなものをあえて入れるのは、やはり監視の証拠だった。

ストレスから逃れるには、
この紙を破るしかないという考えが脳裏をうめつくした。
おとなしくして何になるの?

誰か、いつもどおり、殴って、罵倒して、蹴飛ばしてくれたら、私はきっと冷静になれるのに。
また、聞いたことも無い優しいことを言われて、蹴飛ばすわけでもないのにじろじろ見られる、あぁ、それがただしいんだっけ。

そんなものを、受け取るようなまっとうな人間かどうかをテストして、評価して、そしてまた二択で決めるのだろう。私が許されるに値する人間か?

どうせその試験を受けたって、私は笑うことすら出来ないだろうし、優しくされても、耐えられないものに混乱し、驚愕し、叫ぶだけだ。 なによりも、そんな評価をうまく騙して手に入れたってなんの意味も無い。
孤独な自分を殺してまで生き延びるほどに価値のある世界だろうか。

 人間としての試験。いつの間にかあの儀式から始まった、私のレッテルをどうするかという試験。それを正面からうけてしまっては、私はもう立ち直ることもないだろうと、そういう気がした。

少しでも期待を持たせるより二択を間違い続けるほうが容易い。
その紙だけ破り、それから、できるだけ大人しくしないために何が出来るか考えた。
みんな敵。みんな敵だ
人間試験を受けさせて、
結果をにやにや楽しみたいだけの悪趣味だ。
なにをして、大人しくしないか。
なにをして……
ふっと、大人しくそうされれば不都合があるのかと一瞬考えた。


笑う、感謝する、優しい言葉、好意、受け取る、受け入れる。
無理、無理、出来ない。
出来ない。出来ない。出来ないよりマシだ。なにをしたら大人しくしないでいいだろう。ゲームや携帯があるわけではないし、他の生徒をつれてくるわけにもいかない。
混乱してきてそのまま叫んだ。
「ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁああああああああああああああああああ」
笑う?
感謝する?
優しい言葉?
好意?
「できない、出来ない、出来ない、出来ない」

誰も感謝しない。
誰も優しくしない。
誰も許さない。
誰も。
誰も誰も誰も。

「嘘だ!!! 嘘だ!!! 世界のほうが嘘なんだ!!! こんな、こんな世界」

 嘘だ、そうか、嘘なら納得できる。
あの先生も偽者なんだ。
悪者なんだね、と書かれていたのを読み間違えたんだ。
それを証明してやるためにもやはり暴れなくては。だまそうったって、そうはいかないから。本性を暴く。

近くを通りかかった先生が、教室をのぞいた。私に近付くと「うるさいぞ! 大人しくしろっていわれなかったか!」と注意した。
「私本当は悪い人かもしれないね、そうかもしれないでしょ?」

「よくここまで、チャンスを踏みにじれるなお前」

先生は冷めた目をした。
私が向けられるべき、ただしい視線という気がして、なんだかほっとするような気がした。

「大人しく、するか、しないか、たった二択! わかるか? 普通間違えない二択だ」


「あははははは!!」


人を好きになれる人から何を言われても一緒だ。彼らから勝ち取った、二択の不正解。
それには孤独が薄れる一瞬があって、
ほんの一瞬でも、その光を見たかった。
一瞬でも私が保証される。他人を好きになれないことが、許される、そのひと時。
「私、そういう、二択で間違い続けるよ」
どこにもいられくなっても
「的確に、間違えてみせる」
みんな誰かが好きだという。
みんだ、誰かが優しいとか良い人とか。



死にたいくらい


つらくて。


「私、この世界に合わないのかもしれない」


まちがえたほんの一瞬だけ、
孤独を認めてくれる何かが
そこに居るような気がする。

2:17


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