There are no whole truth.(なとなと)

□1章
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1.二度夢の午後

 ぱち、そんな音がするほど、目覚めだけは鮮やかだった。

意識が少しずつでも戻ってくると、体はまだ動いてないっていうのに、もう既に完全に起動したところなんだー、と思い込んでしまったらしい。起きて歩こうとして、うまくいかず、寝ていたソファーから盛大に転げ落ちた。ついでに、かけてあった布団も落ちてきた。

うげっ。腹を打ちながら倒れて、布団からなんとか這い出て、ため息をつく。……最近、疲れているんだろうか。例えようの無い不安が襲ってきて、静寂が、気味悪く感じて、なんでもいいから喋ってみることにした。

「頭が、いたい。起きてすぐに、二度寝というか、居眠りは、あまりよろしくないよなあ……」

 まったく、おかげで今朝は嫌な夢を見てしまった。きっとよく眠れていなかったのだ。起きてみると、内容もあまり思い出せないけれど。

「ん? ソファーから落ちた?」

辺りを見ると、フローリング。淡いオレンジの壁。そしてオレンジのソファー。壁には謎の小さな絵画。



──一瞬、ここはどこなんだ? と焦りかけてから、ここが、ぼくの自宅の、しかもリビングだった、と思い出した。引っ越して何日も経ったのに、どうも慣れない。
そういえば、昨日は夜更かしして、寝室に戻らなかったのだ。せめてこれからは夜更かしに気を付けようと自分に誓っておく。


 手に違和感があると思ったら、クラッカーの袋が握られたままだった。食べていて寝たのかな。頭がぼーっとしている。


 なんてやってたら、そこへ、何かに気付いたのか、気まぐれなのか、同居人の、佳ノ宮まつりがやってきて、ぼくを、不思議そうにちらっと見ると、手に持っていた袋を奪うように雑に持っていった。



 そして自分の髪どめ、にしてはちょっと幼い子向けという感じの(めったに髪なんか結んでないが)、うさぎさんのゴムを無言でくくりつけると、袋を渡して、それでまた、奥へと消えていくので、あいつどうかしたのかなー、と、頭がぼーっとしていたぼくは、しばらく、ぼんやりと目線のみで見送っていた。


しばらくぼんやりしてから、慌てて、もう一度消えかけた意識を、保つ。礼さえ言えなかったと気付いたのは、周りに誰もいなくなってからだ。


 寝起きに、輪ゴムなどを使うのには、どうも抵抗があり、結構感謝したいところだったのだが。

 ──というのも、ぼくは、フック状のもの、それから、輪ゴムや球体なんかは、今になっても、どうも苦手なのだ。

昔よりはマシだが、弾力があったり柔らかいものは好きじゃない。ぱっと見、凶器になりにくそうな、優しい肌触りのものだって、だからこそ、ちょっと恐ろしいと思う。

 力一杯、誰かに向けても、平気な気がしてしまうのかもしれないから。これなら死にはしないだろうと、警戒を緩めてしまうこともあるから。

ぼくが単に困ったひねくれものってだけでなく、それは、身をもって知っているのだ。

 昔、ぼくは、兄の遊び道具や実験台にされたことがたびたびあって、それのトラウマみたいなものである。『年下だろ』の言葉の下に、ぼくはただ支配されていた。

 そのときいつも、母は仕事だった。どきどきは、電話をかけた。決まって、喧嘩するほど仲が良いのねぇ、と切られていた。あまり、関わりたくなかったのだろうか。

父はよくわからない。

当時の家族にほぼ共通して言えるのは、誰も、ぼくを望んでいなかったような、そんな目をしていたこと。
 しかし結局ぼくも、喚くだけで、どこかに突き出したり、最終手段のような、抵抗はしていなかった。
 まあ、そのときの気持ちは、そのときにしかわからない。

 今日は暇だったので、さっき会ったばかりのその人物を探す。布団をかけてくれたのもあいつだろうか? ちょっとした幼なじみだ。詳しい年齢はよくわからないが、同年代くらいだと聞いている。

 それからここは借家で、家賃は半々きっちり分けている。

 なんで一緒にいるかだが、ぼくが、そいつのツテで、転がり込んだような……そいつが、そもそもぼくを監視下に置いているような、ぼくがそいつを監視下に置いているような、そんな感じである。


 部屋にいるかと思ったが見つからないので、どうしたのかと思っていると、まつりは、一階の窓際で、自分の洗濯物を取り込んでいた。洗濯は別々だ。


「おーい」


部屋の中から声をかける。開いた窓からの光で、フローリングはぽかぽかだった。

うん、今日もいい天気。電気は付いてないのに、一階は結構明るい。室内をぼんやり見ていると、少しして、やっとまつりが振り向いた。

物干し竿から衣類を外し終えて、かごにいれながらこちらをうかがう。
少し伸びてきた髪を鬱陶しそうに耳にかけていた。
そろそろ切るのだろうか?

「何?」

「あ、うん」

その手に持たれたハンガーの針金の先がこちらを向いて、少しだけ怯んだ。いまだに、過去、それで付いた傷が、背中にうっすら残っている。


まつりは、要件は何、と、じっと見つめてきた。
そんなにシリアスな話じゃないよ、と伝えるべく、トーンをあげて誘う。

「あのー、暇かなってさ」

「んー、どうしたの」

「外に、食べに行かない? たまにはさ」

「うぅううぅううーん」

すごく悩まれる。
出掛けたくないのかもしれない。

もし嫌なのだったら、と言おうとしていると、行くよ、と返ってきた。

「迷ってたんじゃ」

「いやー。この前あの店でチャーハン頼んだら、油ギトってたし……あそこの店のオムライスなら……」

まつりは目を輝かせて、既に頭の中の、地図だかガイドブックだかを広げているようだった。早い。

「なんだ。もう既に何食べるかに迷ってたのかよ。で、決まった?」


「……靴も、買いに行きたいし、駅のところの百貨店のフードコートで! ハンバーガーと、おにぎりと、ラーメンと……」

「了解。内容はあとで」


たぶん、勢いが良すぎただけなんだろうが、飛び付かれた。なんだか知らないが満面の笑みだ。びっくりする。

 よけたら転びそうだったので、なんとか腕を掴んで支えつつ、ハンガーを持つ右手を、さりげなく視界から遠ざける。

まつりはほとんど一人で外出はしない。一人で行動するにはするが、近所に限られる。あまり一人で遠くまでは行きたくないらしい。
だから、久しぶりの外出ということになる。

なにかいいことがあったのか、るんるん、といった感じにまつりは、ちょっと重たそうなかごを持って、二階に上がっていった。
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