まともななにか

□距離と実感の間
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距離と実感の間

1:距離と実感の間

死体を見たことがあるか。
と聞かれるシーンはめったにないだろうが、もし、そんな場面に遭遇しても、ボクはただ目を伏せるだけだっただろう。

肯定も否定も、なんだか失礼という気がしてしまう。
第三者にところかまわずペラペラ語るものでも、誇ることでも、まじまじと見ようとしたいものでもないと、ボクは思った。


届け物をしに行った先の、知り合いの一人が、そこに既に横たわっていたときさえも、だから、見なかったのだ。

急いで、しかるべきところに、電話をするだけだった。
少しは見たのかもしれないが、覚えるほど意識的に観察してはいない。

それなりに親しかったが、こうなってしまうともう近付きたくなかった。

嫌悪でも愛情でも労りでもなく、直視することで、いずれ、自分の中の危険な何かに目覚めてしまいそうで、それが怖かった。

もし、お前も見なさい、と誰かに言われでもしたら、すぐにでも近寄って、好奇心やいろいろな感情で、じっと静かに観察しそうな自分を恐れた。静かな表情で、心はどこか興奮してしまいそうで、だから、ダメだ。
嫌悪というのは、こういう一線を越えないためにも必要なのかもしれない。

周囲の誰かへの基本感情が好意だとしたら、
自分が例えばこんな、人として危険な何かに目覚めないために、そんな影響を自分に与えかねない人を、本当は大好きな人を嫌いになるのかもしれない。
なんて、適当に考えてみる。

いい人かどうかなんて、あまり関係なく、どんな人も、嫌いになる可能性があるし、嫌ってきた。
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