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□こんな風にひどく蒸し暑い日
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その日は確か記録的な猛暑が日本中を襲っていたから
涼を求めたのは俺達だけじゃないはずだった。
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今日は部活が休みだったのもあって、宍戸さんを映画に誘った。
「ほらよ、長太郎」
2本のサイダーを片手に颯爽と現れた彼にときめいた俺はやっぱりどうかしている。
「ありがとうございます」
その日は珍しく新作のシリアス系作品を選んだ。
2人で映画を見るときはアクション系の洋画が好きな宍戸さんに合わせていたが、今回は俺が純粋に気になったものを選んだ。
この作品に以前から期待していたのだけれど、その映画は確かR指定が……と思っていた矢先のことだった。
__ 宍戸さんに合わせていればよかったものを……
「なっ……」
画面の中の2人の男は噛み付くようなキスをして
そのまま暗い部屋の中へ消えていった
なぜか目が離せなかった。
隣に座った純粋な彼の口はしばらく開いたままだった。
__こんな展開は予想外だった、
別に映画が面白くなかったわけではない。人間の深いところが透けて見えるような映画で、見応えがあったのは確実だ。
だけれど俺たちは、心のわだかまりと謎の気まずさを気にして、帰り道に映画の感想を語り合うでもなくただひたすら黙って映画館をあとにした。
すいません。こんなつもりじゃなかったんです。
割と本気で後悔した。
映画の後はそのまま宍戸さんの家にお邪魔することになっていた。
宍戸さんの家に着くとそれはそれは暑かった。
真夏の東京に居ながらエアコンのない部屋だ。彼は普段こんなに暑い部屋で健康を害することなく過ごせているのか心配になる。
暑そうにしていた俺を気遣ってか、宍戸さんは麦茶を入れてくださった。
「……暑いな」
「そうですね」
首筋を伝う汗、本人はきっとまとわりつくような気持ち悪さを感じているんだろうな。
でも俺にとってその光景はただ、ひたすらに心の奥の深い部分を刺激し続けていた。
今まで我慢してきた感情。
その感情は確実に、尊敬や信頼とは違うカテゴリに分類されることくらい俺にもわかった。
気付いたらベッドの上に座る彼を見つめていた。さっきの映画の例のシーンなんて全く気にしてないから、と言わんばかりに目を逸らす彼は中学生の頃と変わらずわかり易い。
口に含んだ麦茶がさらりと体内を冷やしていくのが、彼の上下する喉仏でわかった。肌荒れの少ない綺麗な顔や、宍戸さんの鼻筋を汗が伝っていくそれは見慣れたはずなのに、いつもと違う宍戸さんを見ている気になって少し照れた。
暑さのせいか宍戸さんの耳の先は少し赤かった。
そんな彼を見た俺もまた、まとわりつく暑さのせいか 言葉にならない熱い感情が膨らんでいく。
この男の背中について行きたくて、気づけばずっと側にいたくなっていたのはもう何年前からだろうか。
いつからこの気持ちが生まれたのかなんて思い出せないし、考えたところできっとわからないけれど、
努力をするあなたの姿が、眩しすぎてずるいと思っていた。
恋とか愛とか何も知らない10代の頃の俺はずっとこの気持ちを秘めていたんだから、
純粋だった頃の俺にこんな感情を無意識に持たせて、もう、ずるいってもんじゃない。
頑張る宍戸さんの姿だけでもそうやって愛おしく思うのに、
その日はなぜか一段と
なんていうか、艶っぽかった。
さっき観た映画のせいかなあ……
秘めた思いが徐々に顕になって宍戸さんのもとに伸びていくのがわかった。
ずるいですよ、宍戸さん。
「暑いですね」
「う、ん……⁈ 」
さっき見た映画のキスシーンは
確かこんな感じだった。
彼の唇は思ったより乾いていて、強く噛んだつもりはなかったのだけれど少しばかり血の色がしたので優しく舐めとった。
目の前の宍戸さんはあたふたしている。そんな無防備な可愛い姿見せないでください。
いつもの俺なら「宍戸さん!」って犬みたいに飛びついてじゃれるだけなのに。ってそれもおかしい話だというのは置いておいて、
今日はだめかもしれない、いくら首にかけた十字架のペンダントを握りしめても心臓がうるさくて止まらない。
そうだ、暑いせいだ。
温暖化が深刻化しているって朝のニュースキャスターも言っていた気がする。
近所のおばさんたちも不安そうに話していたなあ、
人類の行く末が不安でいっぱいなことも
麦茶のコップの表面が結露しているのも
今、宍戸さんの唇を啄む俺の頭が間違いなくおかしいことも
全て夏の暑さのせいだ。
宍戸さんごめんなさい。
心の中とは裏腹に冷静な頭で考えた結果がこうだったのですから、もう今日は許してください。
「おま……あ……?! 」
自分の想いと、それに対する彼の返事を確かめるように深く舌を絡めてみる。暑い。熱い。
俺の行動に戸惑う彼はまたさらに耳の先を赤くした。
濃く赤い絵の具のついたパレットに雫を一滴落とすような、じんわりとにじんだ赤色が
彼の鼻先に、頬に、唇に、ぽたりと落ちて 肌色を染めていく。
その一連の流れが美しくて思わず見とれた。
可愛い。 欲しい。
俺は宍戸さんのことが好きだ
「ちょ……長太郎……んっ 」
「さっきの映画、このあとどうなったんですかね」
唇をゆっくり離すと、汗かきの彼がいつもと違う汗を浮かべて今にも溶けそうだ。
溶けそうなのは俺の方なのになあ。
「俺だけじゃなかったのか」
「はい? 」
「さっきの映画の続き……気になってたのは、俺だけじゃなかったんだな」
「そうみたいですね」
余裕ぶってにこりと笑ってみせる。
「気になって、頭から離れなくて仕方ねえんだ。……激ダサだな、俺」
「俺もです」
「でもお前、わかってんだろ?続き」
「あれ……ばれてました? 」
そっか、気になるのは俺だけじゃなかったんだ。
宍戸さんはいつからだろうな。
「それなら………続き、早く教えてくれよ」
_ 夏の真ん中、
男2人はただ黙って
エアコンのない部屋のガラス窓を締め切った。
俺たちがおかしくなったのは
こんな風にひどく蒸し暑い日のせいだ。
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温暖化が進行したら地球はどうなってしまうのだろう、とか
映画のエンディングどうだったかなあ、とか
そんなことを頭の片隅に置く余裕も、最中は無かった。
2人宙に浮いたような、夢みたいな世界でただひたすらに求めた。
あんなに嫌だった暑さはもうとっくに立場を変えて
気がつけば宍戸さんを楽しむための要素の1つになっていた。
「……暑いな」
彼はそう言って、ゴミでも捨てるように濡れたシーツを丸めて洗濯機に入れた。
「暑いですね」
ぬるくなったこともすっかり忘れていた麦茶を、今までのことをすべて上書きするように流し込んだ。
きっとこれからも、麦茶がまだ冷たかった頃となんら変わらない日常を送るだろう。
以前と比べて変わったことと言ったら、
俺が彼のコップに口を付けたことくらいで。
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