短編


□暑さ寒さも
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原作桂高
ほんの少しだけ怖い話


昔の様に上手くいくと思ったら大間違いだ。
今夜は乗ってやる。俺がお前に、乗るんだ。
意気込んで隠れ家にやって来たのに桂は一向に帰って来ない。
風呂を使っても、一服どころか何回燻らせても、果ては床に就いても。
終いに待ちくたびれ、本を手にしたまま夢の中に沈んでいた。
月が空高く登る夜半、家主はやっと戻った。
戸が開く気配と同時に枕元の火が消えた。


しゅるり、とさ、と衣擦れの音が浅い夢に響いてくる。けれども体はとろりと眠りに浸かったままで動けなかった。
目を開けた、つもりだったが見えた物がどこまで現実か、どうも自信がない。
暗い部屋に差し込む月明かりが、不思議と隅々まで満ち足りていた。


見慣れた長髪を揺らし、桂の影そのものも左右に揺れる。夜風に吹かれる陽気な柳みたいだ。
常の役割とは逆で、飲んできたのか珍しく口許が嬉しそうだ。


か細い声で何か歌を口ずさんでいる。
懐かしい歌だ。こんなに優しい声をしているのに普段は馬鹿ばかりで勿体無い。
もっと聞いていたいのに、次第に歌声は小さく暗闇に消えていく。せめて何の歌だったか確かめたいが、どうにも思い出せなかった。それも仕方ないのだ、殆ど夢の中なのだから。


覚めたら桂に聞こう。
そうして遅えじゃねえかと甘えて抗議して、胸や指に鼻先を擦り付けて、それから乗れば良い。


踊るように枕元に寄って来ると、陽気な酔い柳は膝をついた。
相手にするのを億劫にも思ったが、相変わらず楽しげな口許につられ思わず笑んだ。
珍しいな、声を掛けて白い頬を触りたかったが不思議と腕は全く動かない。
反して相手の手こそがこちらの目元に優しく置かれた。
瞼にかかる重みに、また意識が闇に沈む気がした。一度浮かされたその手は前髪越しに額をゆっくり撫で、また瞼をそっと押さえる。
着物の袖から白檀が強く香った。
帰って来てから桂が小窓をもう1つ開けたのだろうか、吹き入れる夜風が涼しい。


暑さ寒さも彼岸まで。
松陽先生の言葉を真似ては、毎年強い日差しに文句を垂れる自分を宥めてくれたことを思い出す。
そう言えば8月ももう半ばだ…。
深く息を吐くと、更にひっそりと桂の手に力が込められた。
その先は、もう闇だった。先程の月明かりが白昼の光だったかと思う程に、真っ暗だった。
いよいよ眠りに落ちようかという時、また小さな衣擦れを聞いた。


かさかさ、しゅる、さら。耳許に様々な音が流れ込んできた。一度に沢山の無機物が擦れ合うようで、気が遠くなる。


みんなを、頼みますよ。


はっとして飛び起きた。
酷い寝汗で、敷布団にも湿気が篭もっている。
長い髪は、確かに黒かったか。
置かれた手は、時に睦み合う手と同じだったか。
歌う唇は、ふざけたり訓示を垂れたり己を愛したりと忙しない、いつものそれであったか。


師の亡骸を葬ったのも、こんな夜ではなかったか。
あの日の暗い竹林の、ざあ、という騒めきが耳に蘇った。


胸の音がうるさい。枕元の火は眠りに落ちる前にどうにか自分で消したではないか。
布団の上に上体だけ起こし、流れるままに涙を落とした。
暫くのあいだ浅い息を吐いていると、今度こそ待ち侘びた家主が戻ったのだった。


「無用心がっ、過ぎるじゃない、んもう!」
勢い良く後ろ手で戸を閉めながら、母親のように顔を顰めていた。
濃い化粧で元来の美しさを下手に隠し、女物の着物を完全に着こなしている。
戸は、確かに内鍵を掛けたのに。


やれまた無断で上がり込みおって、だの来るなら俺のコンディションを考えて日を選べだの、ぶつくさ言いながら部屋に入ってくる姿が、急激に愛おしく感じた。
今度は体がきちんと動く。立ち上がり、髪飾りを外す途中の桂を横から抱き締めた。


「急に何だと言うんだ。寂しかったのか。」
無言で首に頬を摺り寄せる。夜の街の匂い。
「俺は疲れたぞ。可愛い何処ぞの獣が背中を流してくれれば元気が出るかも知れんが。」
戸惑いながらも桂は背中を撫でてくれた。
「…俺が上な。」
背中の手は素早く頭上に移動し、軽い拳骨に変わった。


背中を流せば頑張ると聞いたが、どちらの役目でかについては、桂の口から出ていない。
望みを捨てずに、至って前向きに一緒に入浴した後に並んで布団に横になった。


「なぁ、先生の墓参り行こうぜ。」
「お前にしては良い事を言う。行こうか。
そろそろ銀時を誘えば良かろうに。」
それが出来れば苦労はしない。
「ヅラぁ、銀時にゃ優しくしてやってくれ。」
お前も銀時も、困った時にゃ俺が行くからよ、とは言わない。
「…ようやっと俺の荷が降りる日が来たのか。その内、店に来てみるか?夜の街は好きだろう。
早く仲良くしろ、俺の気苦労も相当なものだぞ。」
「フン。電波の世話役を押し付けた、せめてもの償いさ。とにかく、今日は俺が上な。」
「これだから嫌いなのだ。
それに。良いか、ヅラじゃない桂だ。
因みにな、お前は今夜も下だからな。」

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