短い夢
□雨宿り
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「こいつを受け取って来てくれ、俺は忙しいから行けねぇ」
上官のリヴァイ兵長にそう言われて、商会に茶葉のおつかいを頼まれたイヴは、一人で街に出向いていた。
......イヴはリヴァイ兵長の告白と共にリヴァイ班に配属された。
兵長に憧れを抱いていたイヴは、もちろん断れずに恋人関係になったはずだった。
が、壁外調査の前に言われたせいか、忙しく訓練等に追われ、壁外調査の後はもう忘れてしまったかのように日は過ぎていった。
そして新入りのせいか毎回おつかいを頼まれるのはイヴだった......。
イヴは殆ど一人で来ていたし、おつかいに来るのはもう慣れたもんだった。
イヴは一つの小屋の中に入ると、用意していたのであろう兵長好みの茶葉をすぐに渡された。
商会の人とはもうすっかり顔馴染みになり「毎度お疲れ様」と言われ、しっかり茶葉を受け取ったイヴは、帰り道にふと空を見上げて嫌な予感がした。
まだ昼間だというのに、明るかったはずの空が急に暗くなってきたのだ。
「うわ......雨、降りそう」
イヴは一言呟くと、持っていた茶葉を懐に抱えた。
これを濡らしてしまったら、と思うと兵長の恐ろしい形相が脳裏に浮かんだ。
そんな想像をしたのも束の間、一瞬の内に雨が降ってきた。
「わっ! 降ってきた!」
イヴは焦って茶葉を隠しながら走った。
昼間はまだやっていない酒場の軒下に身を忍ばせると、まだ本降りでなかった雨が急に大雨となった。
イヴは濡れた自分の服よりも頭よりも、まず茶葉が濡れていないか確認した。
茶葉は無事だった。
「よかった......」
イヴは安堵してそれをまた懐に抱えた。
「どうしよう、止むのかな......」
イヴは軒下から街中を眺めた。
雨は激しくなる一方で、止む気配はない。
周りを見渡せば、いつの間にか誰もいなかった。
夜は活気で溢れるこの酒場も、誰も来ない昼間は物寂しく、更に孤独を感じさせた。
イヴは早く雨が止むことを願って、ゆっくり壁にもたれて目を閉じた。
......何分ぐらいたっただろうか、
雨は一向に止まない。
それどころか強まるばかりだ。
茶葉を持った状態で走って帰るわけにはいかない、もしかしたら今日はここで立ち往生か。
そう思うとイヴは急に不安になってきた。
今頃リヴァイ兵長は「遅い」とか言って茶葉を待っているかもしれない。
いや、忙しいと言っていたから自分のことなんて気にもかけてないのかもしれない。
「......迎えに来てくれる、わけないよね」
一応恋人のはず、だから心配になって来てくれる......なんてあのリヴァイ兵長にはありえないだろう想像をして、イヴは空を見上げて苦笑いし、ため息混じりに大きめの独り言を呟いた。
「何一人でボヤいてやがる、気色悪い」
「!!」
突然聞こえた聞き覚えのある声に、イヴは目を開けるなり目を丸くした。
雨の音で気づかなかったのか、いつの間にか一本の傘をさしたリヴァイ兵長が、傘から顔を覗かせて目の前に立っていた。
「あまりにも待たせるから見に来てやった......茶葉は受け取ったみてぇだな」
リヴァイ兵長は傘も畳まずに軒下に入ってくると、イヴが懐にしっかり抱えている茶葉に目をやって言った。
イヴは何だか涙が出そうになったのを堪えた。
「きゅ、急に雨が降ってきたので......」
「だろうと思っていた。まぁ仕方ねぇな......帰るぞ」
リヴァイ兵長は傘を少し持ち上げて、イヴを隣に来るように誘った。
つまりは相合い傘というやつだ。
兵長らしい大きめの黒い傘は十分二人入っても濡れなさそうだ。
迎えに来てくれるなら、もう一本傘を用意してくれればよかったのに......なんて一瞬思ったけど、イヴは何だか恋人みたいで嬉しくなった。
イヴは少し緊張しながら、誘導されるままゆっくり隣に身を寄せた。
「ありがとうございます」
イヴが傘の中に入ると、何だか肩が触れそうで心臓が今までにないくらい高鳴るのを感じた。
本当に恋人関係になったのか疑う程、まだ肌が触れ合うことは何一つしていなかったし、特別なことといえばこのおつかいぐらいだった。
だからこんなに至近距離に来ることは初めてだった。
......もしかしたらあの告白は夢だったのかもしれない。
時折思っていたが、兵長が至近距離に来ると何故か余計にそう思わせた。
そんな緊張の中、しっかり茶葉を両手で抱えて、雨の中を歩き出したリヴァイ兵長の歩幅に合わせるようにイヴも歩いた。
「......オイ、そんなに離れてたら濡れるぞ」
暫く歩いたところで少し歩幅を緩めて声をかけてきたリヴァイ兵長に、イヴは驚いて肩を震わせた。
気付けば兵長の反対側にある自分の肩が濡れていて、少しずつ離れてしまっていた。
イヴは咄嗟に茶葉だけを傘の内側に抱え直した。
「大丈夫です! 茶葉は守ります」
きっと兵長は茶葉を一番心配しているんだ、イヴはそう思って言った。
だが少し見上げて見た兵長の顔は強張っていて、黒い傘で影になっているせいかいつもより更に怯えさせた。
「そんなことを心配してるんじゃねぇ。お前に濡れられて風邪でも引かせるかもしれねぇことを心配してんだ......もっとこっちに来い」
「!」
兵長は左手に持っていた傘を持ち変え、空いた左手で左側にいるイヴの肩を引き寄せた。
イヴは突然触れられて、しかも左脇に抱えられる形になったことに心臓が跳ね上がるのを感じた。
「都合良いことに今は誰もいねぇし、ここには部下も仲間もいない......。丁度私服だから万が一見つかっても気付かれねぇだろうしな」
リヴァイ兵長はイヴの肩を抱えたまま立ち止まった。
イヴは更に高鳴る心臓と、普段と違う優しい表情の兵長に目が離せなくなった。
やはりあの告白は、夢ではなかったんだ......。
イヴは何て言えばいいかわからず、彼の呼び名だけを小さく呟いた。
「兵長......」
「俺はお前が好きだって言ったろう。最近わからなくなってきたんだが、お前は......どうなんだ、なぁ......イヴよ」
リヴァイ兵長は優しい目付きでイヴを凝視しながら、何だか不安そうに言った。
イヴはそれを言うならこっちのほうだと思ったが、そんなこと言えるはずもなくゆっくり唾を飲んで答えた。
「わ、私はもちろん、あなたが好きです! リヴァイ兵長っ」
「......そうか、ならよかった」
兵長は安堵したように少し顔を緩ませた。
......そのまま少しの沈黙が流れた。
気付けば雨は小降りになっていて、雲の隙間から少し日射しが舞い込んできた。
どうやら通り雨だったらしい。
「あ、雨......止みそうですね」
沈黙といつもの倍速い心臓の鼓動に耐えられなくなったイヴは、傘の外の景色に気付いて小さく声を出した。
リヴァイ兵長はそれを聞いて少し傘を持ち上げた。
するとあっという間に雨が止んだ。
「ちっ、通り雨か......」
そう言った兵長が何だか照れ臭そうで、結構年上なのにイヴにはすごく愛らしく感じた。
そんなリヴァイ兵長が傘を畳もうとしたところを、イヴは咄嗟にその手を掴んでしまった。
「あ、その......」
だって傘がなくなると、もう距離を縮められないと思った。
「もう少し、だけ......駄目ですか」
リヴァイ兵長は驚いたように目を丸くしている。
イヴは恥ずかしくなって目をそらした。
……何を言っているんだろう、雨が止んだら傘を畳むのは当然のことなのに。
気付けば雨が止んだせいで続々と家から人が出てきた。
そんな街の人達からしたら、不審に思われるだろう。
「......わかった」
兵長は一言そう言うと、少し強引にイヴの肩を引き寄せ、民家の外壁に背中を向けて傘を街中に向かって構えた。
「リヴァイ、兵長......?」
視界が真っ黒な傘によって遮られ、目の前のリヴァイ兵長しか見えなくなったイヴは、その行動の意味がよくわからなくて戸惑った。
「言っとくが、後悔するなよ」
そんなイヴの反応を気にもせず、兵長はそう言うなりイヴの顔に急接近し、傘を持つ反対の手でイヴの肩を掴んだ。
イヴはその行動に、何が起こるのか瞬時に理解して目を瞑った。
するとすぐ、唇に柔らかい感触が触れた。
何秒続いたかなんてわからない。
周りからは街の人々の声が聞こえるのに、二人だけの世界にいるような気がした。
心臓の鼓動だけが音をたてて響き渡っているような、そんな心地よい感触だった。
「あっ! 虹!!」
子供の叫び声と共に唇を離した兵長に、イヴは目を開けた。
普段は見せない兵長の恥ずかしそうな表情が、一層恋人だということを実感させた。
「今のは序の口だ、帰ったら......もう、知らねぇぞ」
「......はい!」
少し目をそらしながら言った兵長をイヴは凝視して笑顔で答えた。
だって、ずっと待ち望んでたんだから。
兵長は返事を聞いて目を丸くすると、視界を遮り開いたままだった黒い傘をゆっくり閉じた。
「虹、か」
「......綺麗」
兵長は周りの子供が騒ぎながら指を差している方向を見上げた。
それを見てイヴも空を見上げると、雲の隙間から小さくはあるが虹が姿を見せていた。
こんな壁の中でも空は美しくて、隣にいる兵長と静まらない心臓の鼓動が、更に気持ちを穏やかにさせた。
イヴは小さく呟くと、兵長は前に向き直った。
「......行くぞ」
「! はい!」
街中が空を見上げる中、二人は並んで手を繋いで歩いた。
______
「イヴ、お前の腕を見込んで異動を命じる。そして、どうやら俺はお前が好きらしい。イヴ・サンローラン、明日から俺の班に入れ」
「は、はい! 」
______
「......あの返事じゃ、わからねぇだろうが」
「......ごめんなさい......」
兵長の告白もよくわからなかった、なんて事は言わないでおこう......
終わり.