長い夢
□第四章 任務遂行
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イヴはグラン分隊長と並んで村を歩いていた。
民家からは朝食のいい匂いと洗濯物の匂いが漂っている。
いつもよく喋るグラン分隊長は緊張しているのか珍しく静かで、イヴは何だか居心地が悪くなり話すことを考えて分隊長の顔を見上げた。
すると顔を上げなければ顔が見えない身長なので気付かなかったが、朝起きてからずっと気にしていた顎の無精髭がそのまま残っていることに気付いた。
「髭、剃らなかったんですね」
「ん? あぁ、これも悪くないと思ってね! あ......剃ったほうがよかった?」
グラン分隊長は突然話しかけられたことに一瞬驚いた様子で顎の髭を触りながら話し出した。
イヴは自分が似合ってると言ったからだなと思い、それをそのまま鵜呑みにする分隊長が何だか可愛いと思ってしまった。
「強そうに見えますよ、もう少し生えたらかっこ良くなるんじゃないですか」
イヴの言葉にグラン分隊長は目を丸くして微笑んだ。
「え、本当?! イヴちゃん俺に惚れるかも? じゃあ生やそう」
前言撤回。やっぱり可愛くない。
イヴは前を見ながら苦笑いした。
「惚れるなんて言ってません」
グラン分隊長は調子を取り戻したのか、いつもの調子で笑ってガッツポーズをした。
「はははっ、でも俺は信じる! いつか必ず振り向いてくれると......!」
「大きな声出さないでくださいっ! 恥ずかしいです」
イヴは畑仕事をしている老人を見かけて、人差し指を立てた手を口に当てて分隊長を見た。
その後すぐその老人を振り返ると、耳が遠いのか全く聞こえていない......とゆうか存在すら気づいてない様子で作業を続けていた。
イヴは何だかほっとしたような、村に対して不安になったような不思議な気分になった。
「大工さんが若い人だといいですけど......」
グラン分隊長もイヴの視線を追って畑の老人を見た。
「......そうだな」
同じく不安そうにため息混じりに答えた分隊長にイヴはきっと同じ考察をしていると感じた。
グラン分隊長はこう見えて観察力が鋭い。
イヴが考えていたことを先に言われたり、いつも的確な指示をくれていた。きっと今回も自分と同じように昨日村の様子を見て思ったことだろう。そう思うとさっきよりも少し早足になった。
「ここですね」
10分程歩いただろうか、木材や資材が並ぶ店のような民家が見えた。
扉の前に来ると静かではあるが、朝食の匂いが漂っていた。
「よかった、人はいるみてぇだな」
「......声かけてみますか」
イヴは強気で来たものの、いざ声をかけるとなると少し緊張した。
唾を飲んで息を大きく吸い、声を発しようとした瞬間、グラン分隊長の腕によって遮られた。
それにイヴは目を丸くして分隊長を見上げると、グラン分隊長は横目で目配せをして顎の無精髭を擦り、制服をビシッと整え背筋を伸ばして扉を軽く叩いた。
「朝早くに失礼します! 昨日よりこちらの村にお邪魔しています、調査兵団第四分隊長グラン・バレイです!」
中まで聞こえるだろう大きな声でグラン分隊長は扉の向こうに向かって言った。
イヴは分隊長と同じように背筋を伸ばし腰に両手を回して中からの返事を待った。
少しの静寂が続いた後、扉の中からこっちに向かってきている足音が聞こえた。
するとしばらくして小さな「はい」という返事が聞こえ扉が開いた。
中から出てきたのは50代ぐらいの痩せた女の人だった。
グラン分隊長は背筋を伸ばし直して話し始めた。
「突然すみません、実は建築資材が必要でして、大工を探しているんです。こちらに木材を見受けたので大工がいらっしゃるかと思ったんですが」
普段とは全く違う、丁寧に訊ねた分隊長にイヴは何だか魅力を感じた。それに自分の出る幕などなさそうな気がした。
この人が大工の妻で50代の大工の夫が出てきてくれればもう自分の出番などない、そう思って返事を待った。
「いえ、ご苦労様です。確かに夫がこの村の唯一の大工です。何か手伝えたらいいのですが、実はつい3日程前から熱を出して動けなくて......」
「!」
イヴとグラン分隊長は驚きとショックを隠せず口を開いた。
痩せているのはそのせいかとイヴは居たたまれない気持ちになった。
よく見れば申し訳なさそうに俯いた大工の妻である女の人は、三日三晩看病していたのだろうか、よほど疲れているようだ。
「あの......この村に医者はいるのですか?」
イヴは小さく訊ねた。
「それが......一ヶ月前に亡くなったんです。こんな畑しかない村に派遣に来てくれる医者もいなくて......」
大工の妻は目を泳がせて悲しそうに答えた。
その言葉にグラン分隊長はイヴを見た。
イヴは何かを決意したように大工の妻である目の前の女の人を凝視している。その横顔にグラン分隊長はこれからイヴが言うであろうことを察した。
「私に診せてください! 私は彼の部下であり兵士ですが、医者の家系で育ちました。医者ではありませんが知識と自信はあります」
グラン分隊長の予想は的中した。
イヴの両親は医者だったのは聞いていたし、腕の骨を折った時、骨が皮膚から突き出ていてもう元の状態には戻らないと予想したが、イヴの処置が迅速かつ的確で感染はもちろんせず、骨はしっかり元に戻った。
一瞬腕を見てそれを思い出すと、真剣に言ったイヴを見て微笑んだ。
大工の妻である女の人は目を丸くして微笑みながら答えた。
「そ、それは助かります! 是非よろしくお願いします!」
イヴは深々と頭を下げる女の人の頭を見て「頭を上げてください」と言った後、グラン分隊長を申し訳なさそうに見た。
「すみません、分隊長......勝手言ってしまって......」
グラン分隊長は首を下げるイヴの頭に手を置いて軽く一、二回頭を撫でた。
「いや、イヴちゃんが言わなくても俺が指示出してたよ。まぁ言うと思ってたけどな」
「ありがとうございます」
イヴはいつもなら頭を触られると気分が悪くなるところだが、尊敬に値する優しさを感じて何だか嬉しくなって微笑み返した。
「彼女は優れた医療技術を持っています、きっとお役に立てるでしょう。よろしくお願いします」
グラン分隊長はイヴの微笑みに心臓が跳ね上がったのを感じながらも、背筋を伸ばして握った右手を左胸に当て女の人に向かって言った。
「本当にありがとうございます!」
女の人はグラン分隊長に対し、また深々と頭を下げた。
イヴは分隊長に目配せをして、分隊長が頷いたのを見て女の人に向き直った。
「申し遅れました、私はイヴ・サンローランと申します。さっそく診せていただいてもよろしいですか」
イヴは少し頭を下げて言った。
女の人は曲がっていた背筋を伸ばしてイヴを見た。
「イヴさん、ですね! 私はビレッジです。散らかってますがどうぞお入りください」
ビレッジと言った女の人はグラン分隊長に深々と頭を下げた後、扉を開けたまま中に入っていった。
イヴはグラン分隊長に一言「いってきます」と言って小さく頭を下げ、ビレッジさんに着いて扉を閉めた。
グラン分隊長はイヴによって閉めれた扉を一時眺めてから踵を返した。
一人で戻る帰り道は何だか寂しく感じたが、先程のイヴの目配せを思い出すと何だか顔がニヤけた。
イヴは「後で追い付くので先に森にいってください」と訴えたのだろう、それは重々承知の上でグラン分隊長は、「私のことは心配しないでいってください」だの「あなたと離れるのは寂しいけどまた会えますので」だの、都合のいい妄想をして半ばスキップで戻っていった。
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