◆刀剣・刀さにNL小説◆

□【三日月】監獄の秘めごと・ニ稿
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 遥かから響いてくる軍靴の音に、少女ははっとする。彼女の眼前の三日月もまた、らしくないほどの狼狽を見せる。

 彼の様子から察するに、足音の主はおそらく三日月の主である青年審神者だ。おそらくは主人の獲物を盗み食いしようとしたことが露見すれば、いかな三日月といえども苛烈な折檻が待っているのだろう。

「……っ!」

 三日月は名残惜しそうに呻くと、牢の床に縫い留められた少女から身体を離し、そそくさと彼女の着衣を整えはじめた。そして、これまでの行為の痕跡を可能な限り消してから、自らの主を出迎えた。



「――何をしている、三日月宗近」

 低い声とともに現れたのは予想に違わず、彼のあの青年審神者だった。彼のぞっとするほどの冷たい瞳に、少女は身体を強張らせる。

「それは俺の獲物だと言ったはずだ」

 青年の声はそう広くない牢獄に反響し、まるでこだまのように響く。

「道具風情が主の獲物を盗み食いか。生意気が過ぎるぞ」

 主人に道具風情と詰られても、三日月は無言だった。何の反論もせずに、その場に控えている。そして。

「――失せろ」

 青年審神者の一言で、三日月はあっさりと引き下がった。先ほどまであんなにも興味を示し、蹂躙しようとしていた少女を一顧だにせず、その場から立ち去る。

 三日月のその様子に、少女は刀剣男士たる彼らと彼らを顕現させた審神者の力関係を思い出していた。

 鍛刀によって刀剣男士を現世に呼び起こし、刀解により彼らを殺すこともできる審神者は、いわば男士たちの生殺与奪の権を握る絶対的な存在だ。いかに天下五剣が一振りたる三日月宗近といえども、そんな審神者に逆らうことなどできない。

 三日月自身もそれを理解しているのだろう。だからこそ、その誇りを捨ててまであの青年の言いなりになっている。

「ようやく二人きりになれたな」

 妙に楽しげにそう口にして、青年は切れ長の瞳を眇めた。三日月が去った今は、彼の言葉通りこの場にいるのは、青年と少女の二人だけだ。

 自分を見おろす相手の瞳の奥に確かな狂気を見つけて、少女は身体を竦ませる。

「ここしばらくは男ばかりだったからな。久しぶりに女の味が恋しくなったんだよ」

 卑しい薄笑いを浮かべる青年の一言に、少女は自本丸の三日月が口にした言葉を思い出す。

『――見目麗しい刀剣に、夜伽を強要する者までおってな――』

 やはりあの噂は本当だったのだ。少女の心の内に怒りがわいてくる。権力を笠に着た卑劣な振る舞いは許せない。

 とはいえいかに腹が立っても、武術の達人という男にかなう手だてなど今の彼女にはない。少女が唯一できるのは。

「…………っ!!」

 射殺さんばかりの視線で彼を睨みつけ、言外に拒絶することだけだ。けれど、それが何の意味もなさないことくらい、当の少女本人が一番よく分かっていた。

 今も監獄の床に両手を縫い留められたままの自分がそんなことをしても、より窮地に陥るだけ。

「素直に俺に従うことだな。さもないと、その身体に消えない傷がつくことになるぞ」

 わざとらしくぽきぽきと指を鳴らして、青年は物騒な言葉を口にする。

 間近で見れば見るほどに、男の体つきは逞しく立派だった。よほどしっかりと鍛えているのだろう。丸太のような太い腕に、服の上からでもわかるほどに厚い胸板。

「顔を潰すのはやめてやるよ。お前の可愛らしい顔が、快楽に歪む様が見れなくなっちまうからな」

 そんな彼にせせら笑うようにそう言われ、ついに少女は青ざめる。

(……っ!)

 もう駄目だと、彼女が全てを諦めようとした、そのとき。



「――そこまでだ」



 耳慣れた朗々とした声が響き、頭が割れるような金属音とともに、牢獄の扉が破壊される。太刀による鋭い一閃だ。まるで晴天の霹靂のようなその技の主は、少女の本丸の、彼女を愛する三日月だった。

 彼の背後には揃いの制服を着た政府関係者数名と、青年審神者に命じられるまま少女をこの場へと攫ってきた、へし切長谷部が控えていた。ようやくの愛しい月の登場に、少女審神者の瞳から安堵と喜びの涙が溢れる。

 三日月は少女に優しい微笑みを向けると、すぐに表情を戻して、監獄の扉を破壊した刃をその鞘に収めた。その仕草もまた息を呑むほどに美しく、こんな状況だというのに、少女は彼に見惚れてしまう。

 間を置かずに、政府の役人たちが牢獄の中に駆け込んできた。こわもての男性スタッフが青年審神者を少女から引きはがし、鬼の形相で彼に凄む。

「現行犯です。言い逃れはできませんよ」

「くっ……!」

 青年は息を呑み、悔しそうに歯を食いしばったが。すぐにがっくりと項垂れた。ついに観念したのだろう。政府の男性スタッフは青年の腕を掴んだまま、場の全員に向かって宣言した。

「この男は我々が本部に連行します。おそらくはこのまま審神者の任を解かれることとなるでしょう」

 そして、彼はへし切長谷部へと視線をやると。

「長谷部殿、そちらの本丸の新しい審神者の選出については追って連絡致します」

「……承知いたしました」

 長谷部は胸に手を当て一礼をする。言葉や仕草は丁寧でも、どこか不遜なその態度は、実に彼らしい。

 例の青年審神者は、そのまま政府関係者たちに引き立てられてゆく。それはあまりにもあっけない、あの青年の審神者としての最後だった。



 例の青年と政府関係者たちが監獄から出て行き、その足音が遠くなったのを聞き届けてから。長谷部は改めて、少女の本丸の三日月に向き直った。

「助かったぞ、三日月。礼を言う」

「なあに、我が主のために刃を振るったまでよ」

 穏やかな笑顔で、長谷部と三日月は互いを労った。長谷部のこれまでの心労を想い、三日月はさらに言葉を重ねる。

「主とはいえ下らぬ男の元でよくぞ今まで耐えたな、長谷部よ」

「ああ、長い地獄だったが、それも今日で終わりだ」

 そこまで続けて、長谷部は改めて三日月に水を向ける。

「ところで、行ってやらなくていいのか?」

 それは未だ牢の床にへたりこんでいる、三日月の主たる少女のことだった。長谷部は彼女を顎で指し、三日月を促す。

「言われずとも」

 三日月はそう答えてすぐ、可哀想なほどに憔悴しきっている少女のもとに向かった。

 未だに恐怖で震えるその姿は、とても痛ましくいじらしかった。三日月はそんな彼女の小さな手を取って、しっかりと握りしめてやる。

 誰よりも大切な人だ。彼女が消えたと知ったときは、血の気が引いて、戦場で敵と斬り結んでいるときですら感じたことのなかった恐怖を、初めて感じた。

 けれど、少女を取り戻した今となっては、三日月の心中は平和そのものだった。少女の手を取ったまま、三日月は普段の彼らしい、穏やかな笑みを浮かべると。

「主よ、戻るぞ」

「……三日月さん」

「あとのことは長谷部たちに任せておけばよい。皆が心配しておる」

「でも……」

「でもではない。俺もそなたがおらぬと茶菓子も喉を通らぬのだ。――戻るぞ」

 相変わらずのマイペース。三日月は少女の躊躇いなど意に介さずに、強引に彼女を連れて行こうとする。

 しかし、それがよほど嬉しかったのか。その大きな瞳から喜びの涙を溢れさせ、少女は幸せそうに笑った。

「はい……!!」



 この事件は内々に処理されて、二つの本丸――少女の本丸とあの青年のいた本丸に――平和が戻った。

 そして、このことがきっかけで少女と三日月の関係がまた変わってゆくのだが、これはまた次の機会に。
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