◆刀剣・刀さにNL小説◆

□【三日月】監獄の秘めごと・ニ稿
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 ある日の本丸でのこと。少女たる審神者は近侍の三日月宗近とともに、自室で書類仕事をしていた。主である彼女と自身の手元に緑茶の入った湯呑を置いてから、三日月はもったいぶった様子で口を開く。

「――ときに主よ。我が本丸は随分とホワイトなのだな」

「どうしたんですか? 急に……」

「聞いた話なのだが、他の本丸にはブラックと呼ばれるところがあってな、横暴な審神者が刀剣たちに無体を強いているらしい」

 妙に得意げに三日月はそんな噂話を披露する。

「欲に任せて見目麗しい刀剣に、夜伽の相手を強いる者までおるそうだぞ」

 一体誰の入れ知恵なのか。しかし、未だ幼さの残る審神者は情報の出どころを気にするよりも、三日月が口にした単語に衝撃を受けていた。

「っ、え、夜伽ですか……!?」

「ははっ、そうだな。常日頃、俺がそなたに対してしていることだな」

 審神者はあたふたとするが、三日月は動じない。相変わらず朗らかに、しかし何の躊躇いもなく、とんでもないことを口にする。

「ちょっ、ちょっと三日月さん……!」

 そんな彼に審神者は思わず声を潜め、あたりをきょろきょろと見回した。自室で三日月と二人きりだということは分かっていたが、これは彼との関係を本丸の他の面々に知られたくない彼女の癖のようなもの。

 夜伽とは、女性が権力のある男性の寝所に赴いて話し相手や性交の相手になることだ。刀剣の付喪神たちはみな男子だから、もちろんこの場合は性別が逆になる。あるいは同性の審神者との行為となるか……。

 手持ち無沙汰な夜に、人恋しくなるのは自然なことだ。みな男子とはいえ刀剣の付喪神たちは揃って美しいから、彼らに対してそういった欲望を抱く審神者が出てくるのは、仕方がないのかもしれない。けれど、これは……。

「職場につきものの、セクハラというやつだな」

「何でそんな言葉を知ってるんですか……」

 上機嫌で卑近な単語を口にする三日月に、審神者は呆気にとられる。この三日月宗近という刀剣のつかみどころのなさといったら相変わらずだ。泰然自若なその様はまさに平安の貴族のような。

「そういえば、明日の演練で当たる予定の審神者の一人が、そのセクハラとやらをしているらしいぞ」

「え?」

「美青年で本人も武術の達人らしいが、両刀使いでなかなかの悪党らしい」

 両刀使い。いわゆる両性愛者で、男性も女性も性愛の対象になる人だ。

「ほ、本当ですか?」

 そのような人物と身近に接したことのない審神者は、驚きに目を丸くする。

「明日の演練は俺も行くから心配はしておらぬが……」

 のんびりとそこまで続けると、不意に三日月は瞳を細めた。そして。

「――気をつけておくれよ」

「っ!」

 意外なほどに真剣な彼の表情に、審神者は思わず息を呑む。まるで愛しい妹を守ろうとする優しい兄のようなその様子。いつも飄々としている彼に、真面目に心配してもらえるのが、驚きでもあり嬉しくもあり。

 しかし、審神者はふと我に返る。特別美しいわけでもない自分を、そういった意味で狙う者などいるのだろうか。別に特段魅力的なわけでもない、自分などを……。しかし、三日月の次の台詞に、審神者は呼吸を忘れた。

「……もっとも、俺にその言葉を口にする資格はないのだがな」

 寂しげに微笑む彼は、真昼の空に頼りなく浮かぶ白い月のようだった。三日月はずるい。そんな寄る辺のない幼子のような風情で、あんなにも殊勝なことを口にされたら。自分は彼を咎めることも、ましてや拒むこともできない。

 何と返してよいか分からずに、審神者は黙ったまま長い睫毛を伏せる。憂いを帯びた三日月の表情はやはり美しく、長く見つめるにはやはり気恥ずかしい。

 男女の一線はしっかりと越えているくせに、顔を見るのが恥ずかしいなんて不思議だと、審神者は自分に呆れるが。彼女はすぐに、三日月の容姿が端麗に過ぎるからだと考え直す。

 審神者と三日月はいわゆる恋仲であった。といっても審神者に恋焦がれた三日月が、思い余って一線を踏み越えてしまい、それから皆に隠れてずるずると関係を続けているという、褒められたものでもない間柄だったが……。

「はい…… わかりました……」

 視線を手元に落としたまま、審神者はぽつりとつぶやいた。



 そして翌日。審神者と刀剣男士の一行は演練会場にやって来ていた。本日の編成は三日月宗近に石切丸、小狐丸に燭台切光忠、そして大倶利伽羅に和泉守兼定といった、攻撃力重視の面々だった。

 日頃の鍛錬の賜物か部隊は順当に勝利を重ね、そして現在は本日最後の戦いを前にした休憩時間だ。

 演練会場の片隅の芝生で、審神者は部隊の皆と寛いでいた。青々と茂る芝の上に座る審神者の両隣に石切丸と小狐丸がそれぞれ座し、残る四名もまた、審神者のほど近くで思い思いに過ごしている。

 三日月は緑の葉を茂らせた木の下で幹に背を預けて休んでおり、小狐丸のすぐそばでは、調子のいい和泉守が寡黙な大倶利伽羅をからかい、そんな二人を燭台切が仲裁していた。

 賑やかな三人に視線を遣って微笑んでから、審神者は両隣の二人に声を掛ける。

「今日も勝てて良かったですね、次も頑張りましょうね」

 何ということのない世間話。しかし、これも仲間たちとの親睦を深めるためには大切なことだ。審神者に声を掛けられた石切丸に小狐丸は、口々に彼女に応える。

「そうだね。次もしっかりと厄を落としてくるよ」

「ええ、私もぬしさまのために次戦も励んで参ります」

 笑顔の二人に、審神者もまた柔らかく微笑み返す。

「ありがとうございます。お二人とも無理のないように……」

 しかし、彼女が言葉を終えぬうちに、和泉守が声を上げた。

「おっ、主よ。あれだよな、オレたちが次に当たる相手は」

「えっ……!?」

 その声につられるようにして、審神者を含めた一同は和泉守の視線の先を見やった。そこにいたのは、随分と物々しい雰囲気の刀剣男士たちの一団だった。

 一部隊は六人なのにも関わらず、男士が七人いると思った審神者が目を凝らすと、そのうちの一人は見覚えのない青年だった。

 顔立ちは整っているものの、どことなく野卑た雰囲気で、袖なしの上衣からは筋骨隆々とした太い腕が伸びており、おそらくは彼が例の両刀使いの青年審神者なのだろうと、審神者は推察した。

 彼の脇に控える部隊の面々も、蛍丸に太郎太刀に次郎太刀という大太刀三振りに、槍の中では最強と謳われる日本号、そして鶯丸に三日月宗近といった名だたる太刀で、ほぼ最強といってよい布陣だった。けれど……。

「――っ!」

 少女たる審神者は別本丸の三日月に、その視線を奪われる。こちらのことなど一顧だにせず仲間たちと談笑する彼も、自本丸の彼と同じほどに美しかった。まばゆいほどの美貌は相変わらずで、さすがは天下五剣が一振りとでも言うべきか。

 美男子揃いの刀剣たちの中でも、彼にばかり惹きつけられてしまうのは、他ならぬ自分が自らの本丸の彼と、人には言えぬ関係に陥っているからだろうか。

 いつ見ても素晴らしく端麗に過ぎる容貌。そんな彼に恋をされ、夜ごとあんなことをしているなんて……。

 そんな自身に信じられない心持ちになりながらも、しかし審神者は、彼に求められるまま裸の身体を重ね合わせているときのことを思い出す。

 そう。普段はあんなにも穏やかな三日月の昂ぶりと熱情の全てを、自らの肉体でもって受け止めている、閨での営みのことを……。

 しかし、ここは真昼の演練会場だ。日課の任務の途中であり、まわりには他の刀剣たちが――仲間たちがいる。審神者は慌てて空想を振り払った。

 他の本丸の審神者や刀剣たちも、例の青年の部隊に興味をひかれているようで、彼らは周囲の多くから注目を浴びていた。

 けれど、不意に審神者は例の部隊の三日月に視線を送られる。女性なら秋波とでもいうのだろうか。『触れなば落ちん』とでも言うような、誘われるのを待っているかのような、色めいた流し目だ。

 ほんのひとときの視線のやりとり。けれどそれは、少女たる審神者を動揺させ、彼を――例の本丸の三日月宗近を印象づけるには充分だった。

 三日月ほどの美貌の持ち主にそんなことをされたら、もう平常心を保てない。自本丸の彼に想いを寄せられ、肉体関係にある彼女なら、なおのこと。

(……やっぱりすごいな)

 審神者は三日月の魅力を改めて思い知る。そんな彼になぜ自分などが恋慕われているのかはわからないけど……。しかし、空想の世界に浮遊していた彼女は、石切丸によって現実へと引き戻される。

「――そろそろ時間だよ。戻ろうか」

「っ、そうですね」

 そして、少女の率いる部隊は本日の最後の一戦へと向かったのだった。



 演練では終了後に握手の時間がある。少女たる審神者はおっかなびっくりながらも、両党使いの悪人と噂されている青年に片手を差し出して挨拶をした。

「ありがとうございました」

 試合結果は残念ながらこちらの判定負けだった。相手はやはり手ごわく、そして錬度も非常に高かったのだ。

「……こちらこそ、ありがとう」

 意外なことに、悪党と名高い彼はまっとうな受け答えをし、少女の握手に応えてくれた。

 しかし、一拍遅れた返答を不思議に思い、彼女が青年を見上げると。彼は意味ありげな笑みを浮かべ、少女の手を握ったまま、その耳元に囁きかけてきた。

「ねえ、君――……」

 青年が口にした言葉に驚いた少女審神者は、大きな瞳をさらに見開き、華奢な身体を強張らせるが。彼はすぐに少女の小さな手を離すと、自陣に戻って行ってしまった。

 残された少女はひとり視線を落とし、悔しげに唇を噛みしめる。



「まったく、やれやれだね」

 そうぼやくのは、傷の手入れを終えたばかりの石切丸だ。

「申し訳ありません、ぬしさま……」

 小狐丸も珍しくしょんぼりとしている。他は全勝したのに、先ほどの判定負けがよほど堪えているようだ。

 和泉守や燭台切も身体にわずかに残る打ち粉を払いながら、悔しそうにしていた。

「ちっくしょ〜 あのすばしっこい大太刀め」

「また錬度を上げないとね……」

 最終戦が終わったあとも、部隊はまだ演練会場にいた。模擬戦闘で傷を負った仲間の手入れが終わるのを待っているのだ。あたりには同じように自軍の面々を待つ他本丸の審神者に刀剣たちがいた。

 現在、少女たる審神者は石切丸に小狐丸、燭台切に和泉守とともに、三日月と大倶梨伽羅の手入れが終わるのを待っているところなのだが。

 向こうから憮然とした様子の自陣の大倶梨伽羅がやってくるのを視界の端に入れながら、審神者は気の毒なほどにしょげている小狐丸を励ました。

「……また、頑張りましょう」

 微笑みかけて背伸びをし、彼ご自慢の毛並みを撫でてやる。ああ、やっぱりこの毛並みは素晴らしい。まるで本物の狐のようだ。

 手入れを終えたばかりの小狐丸の髪のふわふわとした手触りに、審神者は感動する。なんて気持ちいいんだろう。もっと触れていたい……。

 撫でられている小狐丸も嬉しそうだ。その様はまるで飼い主の愛撫を喜ぶ子犬のようにも見える。しかし、空気を読まない和泉守が審神者に声を掛けてきた。

「そういえば、主よぉ、さっきの演練相手の審神者と何話してたんだ?」

「あ、それ僕も気になる、現世での知り合いなの?」

 畳みかけるように、燭台切まで同じことを尋ねてくる。幸福な時間を邪魔されて、あからさまに不機嫌になっている小狐丸を視界に入れないようにしながら、審神者は彼らの問いかけに答えた。

「ち、違いますよ…… 知らない方です」

 確かに演練終わりの握手で声を掛けられたけど、まさかそんな誤解をされるなんて思わなかった。審神者は慌てて否定する。

「へえ、そうなんだ……」

 意外そうな顔をする燭台切に、けれどそれ以上のことを話したくなかった審神者は、気まずそうに視線を逸らした。

 あの青年審神者と先ほど何を話していたのかといえば、なんのことはない、脈絡なく恋人の有無を尋ねられ、驚きに絶句していたというだけだ。

 もはや会話ですらない、意味のないやりとりだったが、それを刀剣たちに打ち明けるのも気が引けた審神者は、さりげなく話を逸らした。

「……そういえば、三日月さんはどうしたんでしょうか」

 ただ一人、未だに戻ってこない彼の名を、審神者は口にする。残る五名の刀剣たちの手入れは終わり、その姿を確認できたのだが、三日月だけが見当たらなかった。

 マイペースな彼のことだから、またどこかで寄り道でもしているのだろうか。

「おかしいね、演練の手入れはすぐに終わるはずなんだが……」

「私、ちょっと見てきますね」

 眉を寄せる石切丸に審神者はそう告げると、彼の返事も待たずに一人その場を離れてしまった。手入れ部屋の方にそそくさと駆けてゆく。

「おい……!」

 一人飛び出してゆく主を心配したのか、戻ってきたばかりの大倶梨伽羅が声を上げるが。すぐに和泉守に窘められる。

「そこまで心配するこたねーだろ。ここは演練会場なんだしよぉ」

「それもそうだな……」

 日頃「慣れ合うつもりはない」などと口にしつつも本当は心の優しい彼に、一同は心をなごませる。
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