◆刀剣・刀さにNL小説◆

□【長谷部】宴のあと〜蜜の残り香〜
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「長谷部…… あの……」

「――おいお前たち、戻っていいぞ」

 よほど虫の居所が悪いのか、長谷部は審神者の言葉すら取り合わず、仲間二人に冷たく言い放つ。

 けれど、長谷部のこの態度はいつものことだ。相手によっては喧嘩に発展してもおかしくはないこの素っ気なさも、すっかり慣れてしまった二人は気にも留めない。

「へ〜い」

 堅物な長谷部が元々苦手な日本号は、いかにも面白くなさそうに退散する。これ以上この場にいても面倒な思いをするだけだと判断したのだろう。

「ははっ、長谷部くんには敵わないな……。それじゃあふたりとも、おやすみ」

 燭台切もまた瞳を細めて苦笑すると、名残惜しそうに踵を返した。



「――まったく……油断も隙もないな」

 それぞれの刀剣部屋に戻る二人の背を剣呑な瞳で見送りながら、長谷部は憎々しげに舌打ちをする。

「え?」

「……何でもありません。それでは参りますよ、捕まってください」

 そう言うやいなや、長谷部は審神者の返事を待たずに、彼女をさっと抱え上げてしまう。

 いわゆるお姫様抱っこだ。他の男にさらわれる前に、自分がさらってしまおうということなのだろうか。

「っ……!」

 スタンドカラーのシャツ越しでもわかるほどの厚い胸板、普段とは違う濃厚な酒の匂いを纏った長谷部に、審神者の心臓が跳ねる。

 とはいえ、生真面目な長谷部とアルコールという組み合わせは、一見不似合いなようでいて、その実、意外なほどに不調和の妙を感じさせてしまうから不思議だ。俗な欲求とは無縁に思える潔癖な彼の仮面の下の、素顔を垣間見たような心持ちになる。

 この本丸で酒席が設けられることなどそうなく、長谷部が飲酒の痕跡を残したまま、審神者のもとにやってくることもなかったから、あまりにも新鮮な状況に審神者は動揺を隠せずにいた。

 胸の鼓動はうるさいほどで、それはきっと自分を抱き上げている長谷部にも伝わっている。

「……ちゃんと捕まってください。これでは落としてしまいます」

 藤色の瞳を細めて笑みを浮かべる長谷部に、子供を諭すように注意され、審神者はますます恐縮する。今日は格好の悪いことばかりだ。本当はもっとしっかりしなければいけないのに。

「……ごめんなさい」

「俺の首の後ろに手を回して、しっかり身体を寄せてください。そうすれば安定しますので」

「え、ええ……」

 けれど、こうやって誰かにお姫様抱っこをしてもらう機会などそうはない。

 先ほどは気恥ずかしさで慌ててしまったけど、ようやく冷静さを取り戻した審神者は、長谷部に促されるまま彼の首の後ろに手を回し、ぎゅっとしがみついた。長谷部の身体に審神者の胸の膨らみが、形が変わるほど押しつけられる。

 けれど遠慮は無用だ。本丸の皆に隠れて交際をしている二人。その付き合いの期間は長く、身体を重ねた回数は数えきれないほどで。だから他の男士を相手にするときとは違い、長谷部に対してだけは触れ合いに遠慮はいらない。

 自分に抱きつく審神者を見おろして、長谷部は満足げな笑みを浮かべる。

「……それでは、参りますよ」



 宴のあとの本丸は不思議なくらいに静まり返っていた。他の男士たちはもう眠ってしまったのだろうか。人の気配のない夜更けの本丸に、板張りの廊下のきしむ音だけがいやに大きく響く。

 長谷部は審神者を抱き上げたまましばらく歩みを進めると、ある部屋の前で立ち止まった。そこは審神者の私室ではなく、長谷部の刀剣部屋の前だ。

「長谷部……?」

 てっきり自分の部屋に連れて行ってもらえると思っていた審神者は訝るが、長谷部は黙ったまま足で障子を空け部屋に入って行く。

 いくら彼女を姫抱きにして両手が塞がっているとはいえ、自らの主人であり恋人でもある審神者の前で、長谷部がこのような雑な面を見せるのは珍しい。

 けれど、先ほどからずっと。審神者は平素とは違う彼の荒々しい振る舞いに胸をときめかせていた。

 自分の前ではいつもきちんとしている風だけど、本当は足癖も悪く血の気も多くて、粗野なことを知っている。自分に対する敬語だって、よく聞いていると雑で適当だ。

 しかし、そんなところも。彼に恋する審神者にとっては、好ましい男らしさに映っていた。

 けれど、今宵の彼はやはり様子がおかしかった。審神者の目から見てもわかるほどに機嫌が悪い。

「……今宵はこちらでよろしいでしょう。介抱なら、俺が存分にして差し上げますよ」

 口の端だけを上げて薄い笑みを浮かべる長谷部に、審神者の背をぞくりとしたものが駆け抜ける。言葉の優しさとは裏腹に、彼の瞳は冷たく不穏な光を帯びていた。

 しかし、心当たりのある審神者は、頷くことしかできず、彼の腕に抱かれたまま、奥の寝所に連れて行かれてしまう。



***



「……ねぇ長谷部、もしかして怒ってる?」

 自分を敷布の上に寝かせて膝立ちになり、手袋を脱ぎ捨てシャツのボタンを外す長谷部に、ようやく審神者は尋ねかける。

「……なぜです?」

「なんとなく……」

「ははっ、さすがは俺のあなただ。俺のことなら何でもおわかりになる……」

 不穏さを隠そうともせずに、そんな言葉を口にして、長谷部は白いシャツを脱ぎ、敷布のほど近くに投げ捨てた。いつもよりずっと乱暴なその所作に、審神者は息を呑む。

 長谷部がこれほどまでにあっさりと自分の怒りを認めるのは、それだけ強い憤りを抱えているということだ。プライドの高い彼は、自分の中の醜い感情をなかなか認めようとはしない。

 けれど、先ほどの燭台切とのやりとりを思えば、長谷部が激怒するのも仕方がないと思われた。

「……思い知らされて苦しくなっただけですよ。俺にとってのあなたはかけがえのない、ただ一人のお方ですが、あなたにとっての俺はそうじゃない……。いくら契りを結んだとしても、俺などではあなたの全てを自分だけのものにするなんて、できないんだってね……」

「長谷部……」

 長谷部が何を責めているのかは、火を見るより明らかだった。自分としては同じ職場で働く仲間に愛想よく接しただけのつもりでも、やはり不安にさせてしまったのだろう。

 特に燭台切に介抱されていたときのことなどは弁解の余地もなく、審神者は素直に謝罪の言葉を口にする。

「長谷部…… ごめんなさい……」

 すると彼は驚いたように目を見張ると、藤色の瞳を細めて、彼が敵を屠るときに見せる酷薄な笑みを浮かべた。

「謝るということは、ご自身のふたごころをお認めになると?」

「えっ……!?」

 ふたごころは浮気心という意味だ。謝罪をそのように受け取られるとは思わず、審神者は狼狽えてしまう。

「長谷部、何言ってるの……? 燭台切さんのことなら……」

「……冗談ですよ」

 動揺と焦りに瞳を揺らす審神者とは対照的に、長谷部は飄々とした様子で喉を鳴らして笑った。

「一度言ってみたかったんです。女の悋気は……と言いますが、男の悋気というものも、それ以上に恐ろしいものですね」

 審神者の長い髪の毛のひとふさを手に取り、長谷部は恭しく口づける。まるで女主人に忠誠を誓う騎士のようなその仕草。けれど、彼のわざとらしい振る舞いに審神者は身体を強張らせる。

 日頃の恭順さは微塵もなく、ただただ凄みと威圧感ばかりを放つ愛刀に、言葉を返せない。それどころか、ぞっとするほど冷たく笑う美しい藤の瞳に、審神者は呼吸を忘れてしまう。

 そう、男の嫉妬は恐ろしいものだ。女のそれなどよりもずっと、どす黒く破壊的で。けれどそのような感情を、彼に教えてしまったのは……。 

「ねぇ主。それを俺に教えてくれたのは、他でもないあなたなんですよ……」

 どことなく空恐ろしさすら感じさせる、吐息交じりの囁き声を聞きながら、審神者は長い睫毛をそっと伏せる。

 だから責任を取ってくださいね。そう言わんばかりの長谷部に、濡れた唇を指先だけでなぞられて、審神者は肉体の最奥を熱くした。

 愛する男から今まさに加えられようとしている淫らな罰への期待は、薄手の室内着だけを身に着けた彼女の無防備な肉体に、いとも容易く火をつける。

 燻る熾火のような小さなそれは、あっと思う間もなく勢いを増し、審神者の身体の隅々にまで行き渡る。炎の回りはあまりにも早く、逃れることなど叶わない。

 いつもそうだ。長谷部の極上の愛撫は、あっけないほど簡単に、審神者の無防備な肉体を愛欲の世界へとさらってしまう。

 長谷部の指先は審神者の顔の輪郭をゆっくりと辿ると、そのまま下へと降りて行く。細い首筋に鎖骨の浮いた胸元を通り過ぎ、やがて審神者の上衣に長谷部の指がかかる。

 勿体をつけてゆっくりと、まるで何かを煽るかのように、長谷部は審神者の上衣のボタンを外してゆく。先ほどまでの乱雑な所作とは違う、不自然なほどに丁寧な長谷部の振る舞いに、ただならぬ雰囲気を感じ取り、審神者はごくりと喉を鳴らす。

 近侍としては優秀で隙のない振る舞いを見せる長谷部だが、恋人としてはどうしようもないほどの不安定さを抱えていた。

 その来歴からくるあまりにも根深い心の傷は、プライドの高い彼を病ませてあまりあるものであり、愛の営為のさなかにあっても、長谷部は自らの主人である審神者に対し、剥き出しの昏い情念を容赦なくぶつけ、罪悪感を煽り、自分に対して母や姉のような愛情を惜しみなく注いでくれる彼女を、下から支配しようとしていた。

 しかしそのような精神のバランスを欠いたところも、彼に恋する審神者にとっては、たまらなく愛しいところだった。

膝立ちになり半裸の自分を見おろす長谷部に、審神者は心の内で囁きかける。

(愛してるわ…… 私の長谷部……)

 あまりにも素直な愛の言葉だ。けれど、彼女の唇に乗らぬそれが、長谷部に伝わることは決してない。

 やがて、審神者の顔の傍らに長谷部がそっと腕をつき、確かな口づけの気配を察した審神者は、今度こそ本当に瞳を閉じた。

 重ねられた薄い唇から伝わる濃厚な洋酒の香りに、審神者たる彼女の肉体は淫らな蜜を滴らせ、その内側では情欲の炎がいよいよ激しく燃え上がる。

 嫉妬に蝕まれた恋人は、今宵はどんな貌を見せてくれるのだろう。



***



 灯りを落とした薄闇の中で一糸纏わぬ姿となった審神者は、情人たる長谷部と深い口づけを交わしていた。

 互いの舌を絡ませるそれは、長谷部の身体に残る宴の余韻を、審神者にまざまざと伝えてくる。

 辛く苦く、それでいて彼女が思わず眉を顰めてしまうほどに強い洋酒の味は、まるで今の長谷部の胸中を表しているかのようだ。

 酒の苦手な審神者にとって、それは心地よいものではなかったが、愛する彼が口にした酒に酔わされるのであれば、審神者にとっては本望だった。

 先ほどの宴席でも本当は燭台切や宗三たちではなく、長谷部と一緒にいたかった。彼のそばで同じものを食べ、他愛ない話をして笑いあいたかった。

 燭台切たちも仲間として大事に思っているけれど、自分にとっての一番はやはり長谷部で、異性としての愛を捧げられるのは、彼以外にはいないのだ。

 長谷部と口づけを交わしながら、審神者は改めてそんな想いを深くする。

 この気持ちを長谷部に伝えてしまえば、きっと彼は安堵してくれる。いまだ癒えぬ傷をその胸に抱え、不安定になりがちな長谷部のことを思えば、彼を愛する恋人としては、気持ちをきちんと言葉にして、彼を安心させてやるべきなのだろう。

 けれど、そうしてしまったら。自分がこうやって強く求められることも、きっとなくなってしまう。そんな危惧を抱く審神者は、決して彼に本心を伝えようとはしなかった。

 もしかしたら長谷部よりも自分の方が、誰かに深く愛されて必要とされることを、求めているのかもしれない。

 不安定な長谷部との、まるで刃の切っ先をなぞるような情交のさなか、審神者は不意に彼よりも自分の方が、その胸の奥に仄暗い欠落を抱えているのではないかと夢想する。それはまるで、深い海の底にある虚ろな洞穴のような……。



「――ブドウ……いえ、クロスグリの味がしますね。燭台切光忠に飲まされた酒ですか」

 クロスグリはカシスのことだ。唇を離し、不穏な瞳で問いかけてくる長谷部に、審神者はこくりと頷く。

 肌を重ねているさなかに他の男の話なんて、それこそ長谷部に斬り殺されてしまいそうなのに。

 けれど燭台切と親しくしていた現場は長谷部も間違いなく見ていたはずで、そのような状況で嘘をつくのはかえって悪手と思われた。下手にごまかしたり、はぐらかしたりするのも同様だ。

 灯りを落とした薄闇の中、長谷部は剣呑な光を帯びた藤の瞳を細めると、まるで詩歌でも詠むように続ける。

「――あいつも、あなたのことをよくわかっていますね」

「え……?」

「甘い果実酒はあなたに良く似合う。華やかでかわいらしくて……。

それなのにしっかりと酔わせてくれる」

「……っ!」

「その上、美味しくてもっと欲しくなる……。あなたにそっくりだ」

 長谷部らしくない歯の浮くような世辞に、審神者の頬にさっと朱が差す。女性を甘い酒に例えるなんて、それこそ燭台切がしそうなことなのに。

 生真面目なふりをしながらも、長谷部もまた結構な酒好きだった。意外なほどに強く、呑みすぎても顔に出ない。
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