◆刀剣・刀さにNL小説◆

□【長谷部】宴のあと〜蜜の残り香〜
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 月の美しいある秋の夜。本丸の大広間では刀剣男士たち全員が参加する盛大な宴が催されていた。先日行われた江戸城探索の慰労会だ。

 広間を埋めるようにずらりと並べられた座敷机の上には、美味しそうなご馳走が置かれて、皆思い思いに舌鼓を打っており、酒飲みの刀は宴が始まるやいなや、日頃の鬱憤を晴らすかのように遠慮なく盃を重ね、既にかなりの量を消費していた。

 人の身体を持つ刀剣男士たちは皆よく食べる。常日頃から刃を振るい戦う青年の肉体は、やはりそれなりの量の食事を欲するらしく、それは体格のいい太刀や打刀の男士も、比較的小柄で幼い容姿の短刀の男士も変わらない。

 厨房担当たちが張り切って用意してくれた料理を楽しむ彼らを眺めながら、この本丸の審神者たる彼女もまた、温かな緑茶を飲んでいた。酒にあまり強くない審神者は、いつもこのような調子だった。たとえ宴席であっても、一切の酒類を口にしない。

 しかし、そんな彼女に横手から声がかかる。

「――おや、あなたは呑まないんですか?」

「宗三さん」

 審神者の右隣に陣取る宗三左文字だ。刀剣時代は歴代の最高権力者に侍っていた宗三は、今宵も彼らしい妖艶な笑みを浮かべると、生真面目な審神者に水を向ける。

「せっかくの宴席なのにもったいないですよ。呑みやすいものを持ってこさせましょうか?」

「……持ってこさせる、なんですね」

「当然です」

 さすが傾国の名刀、発言がまるでどこかの姫君だ。しかし、ここは多くの刀剣男士の集う本丸の大宴会場。人手は充分すぎるほどある。審神者の左隣に腰を下ろしていた男士がすかさず、彼女に酒とつまみを差し出した。

「――はい、どうぞ」

「燭台切さん」

 この本丸の厨房を歌仙兼定とともに仕切る太刀の刀剣男士、燭台切光忠だ。

「僕お勧めのカクテルとフルーツだよ」

 本丸屈指の伊達男に「さあ召し上がれ」とばかりに微笑みかけられて、小心な審神者は圧倒されてしまう。お酒は苦手で頂くなら果物だけがいいのだけど、気圧されて言い出せない。

「え、えっと……」

「フルーツもドリンクも、この日のために僕が用意したんだよ。そんなに強いお酒じゃないから呑んでみてよ」

「……」

 厨房担当として頑張ってくれている彼にそこまで言われてしまったら、いくら酒が駄目でも断れない。困ったような笑みを浮かべながら、審神者は燭台切に促されるままグラスを手に取る。

「これはね、カシスのリキュールを炭酸水で割ったものなんだ」

「そうなんですね……」

 そうやって説明されても、酒に疎い自分はよくわからない。けれど、燭台切はすかさず味の解説を入れてくる。

「そんなに強くないし、甘くて飲みやすいと思うよ」

 磨かれたグラスには、美しく澄んだ暗赤色の液体が注がれていた。それはどう見てもジュースではなくお酒で。けれど、ここまで来たら引き返せない。

「……それじゃあ、いただきます」

 意を決して、審神者はグラスに口をつける。しかし、最初の一口が喉を通るやいなや、彼女は満面の笑みを浮かべた。

「……美味しいですね!」

 甘い果実の味のする炭酸水は、意外なほどに飲みやすかった。安堵した様子の審神者に、燭台切もまたほっとしたように息を吐く。

「気に入ってもらえてよかった。じゃあこっちはどうかな」

 酒好きの燭台切に、審神者は別のものを勧められる。おつまみのカットフルーツだ。オレンジにイチゴにブドウなど様々な種類の瑞々しい果物が、大皿に美しく盛りつけてある。常日頃ここまでの量の果物にお目にかかることはない、審神者は感嘆のため息を漏らす。

「すごい……! 美味しそうですね」

 さっぱりとした果物は箸休めにもちょうど良く、審神者はさっそく手を伸ばした。

 今口にしている果物も含めた、今回の宴会の料理や飲み物を手配したのは、燭台切に歌仙兼定を始めとした、本丸の優秀な厨房担当たちだ。特に今回は酒席ということもあり、燭台切が中心となって準備したと聞いている。

「……とっても美味しいです。さすがは燭台切さんですね」

「喜んでもらえて嬉しいよ。このフルーツはね……」

 この日のために自分が張り切って用意した料理や酒の蘊蓄を、燭台切は生き生きと審神者に話して聞かせる。審神者は相槌を打ちながら、彼に勧められるままに酒やつまみに手を伸ばす。

 準備してくれた人の思い入れや苦労話を聞きながらだと、感謝の念もよりいっそう深くなり、いつも以上に食が進む。

 審神者の隣の宗三左文字も、いつの間にか大量の酒と料理をたいらげていた。彼の近くにさりげなく並べられ、積まれている空のグラスや皿の数の多さに、審神者は驚嘆してしまう。青年の姿をした男士の中ではかなり細い部類なのに、とても意外だ。

(……すごい。ごはんもお酒も美味しいからかな)

 宗三は平素と変わらぬ気だるげな様子で、脇に控える手伝いの式神を呼ぶと、空いた皿を片付けるように命じた。そして、自分を凝視する審神者に流し目を送った。

「……そんなに見つめて、僕をどうするつもりです?」

 美しい彼にからかわれ、審神者はつい慌ててしまう。

「す、すみません……」

「構いませんよ。食べる量を驚かれるのはいつものことです」

「宗三くんは本当によく食べるもんね」

 燭台切は料理し甲斐があるよと続けると、困ったように笑う。

「ええ、僕はよく食べる籠の鳥……」

 宗三の返しに困る冗談に、審神者は思わず瞳を泳がせる。

「……えっと……」

 しかしすぐに、宗三の美しい指先が審神者の頬に伸ばされて、審神者は強引に彼の方を向かされる。

「どうしたんです? ここは笑うところですよ」

 審神者の頬を両手で挟み、宗三は彼女の顔を覗き込むようにしながら、左右で色の違う瞳を細めて嫣然と微笑む。まるで恋人同士のような振る舞いだけど、ここは大勢の男士たちのいる酒の席。

「――やめなよ宗三くん。主はみんなのものだよ」

 すかさず妨害が入り、宗三は渋々引き下がる。

「仕方がないですね……」

「燭台切さん…… 私はものじゃないですよ……」

 宗三を牽制し、審神者を救ったのは燭台切だった。宗三の口説きは酒席でよくある色めいた冗談だったけど、すぐに引き下がってくれた彼と、釘を刺してくれた燭台切に感謝をしながら、審神者は別の男士を思い出す。

 そう。一座の隅で仲間に混じってちびちびと洋酒を口にしている、へし切長谷部だ。この本丸の近侍であり、そして審神者のたった一振りの文字通りの愛する刀。

 他の男士に何と言われようとも、彼女にとって男女の愛を交わせるのは、長谷部ただ一人だけだった。今は離れた場所にいる彼を心の内で想いながらも、審神者はすぐ隣にいた燭台切や宗三たちと夜更けまで宴席を楽しんだ。



「……っ、やっぱりなんだか、ふらふらします」

 宴のあと。案の定というべきか、審神者はすっかり呑みすぎていた。不自然なほどに身体が熱く、強い眠気と怠さに襲われて足元もおぼつかない。

 立ち歩くことすらままならない審神者は、広間を出てすぐの廊下でへたり込んでいた。この様子では、本丸の奥にある自室まで辿り着けるかもわからない。

「――大丈夫かよ、大将」

 審神者の異変を見つけて慌てた様子でやってきたのは、短刀の薬研藤四郎だった。この本丸の頼れる保険医でもある彼の手には、グラスに入った水と粉薬らしきものがあった。

「珍しく呑んでると思ってたら、案の定だな。ほら薬だ」

「……ありがとうございます」

 薬研から水と薬を渡されて礼を言うと、審神者はすぐにそれを煽った。ひと息に飲み干すと、苦いといった様子で顔をしかめる。そんな彼女に、すぐそばにいた燭台切が声をかける。

「僕が勧めすぎちゃったね……。本当にごめん」

 燭台切はその野性味のある風貌には似合わず、とても心の優しい男士だった。そんな彼はどうやら、審神者の深酒は自分のせいだと思っている様子で、彼女を心配そうに見つめながら、こんなことを申し出てきた。

「今日は僕が部屋まで送るよ。こんな君を放っておけないし」

 しかし、彼の言葉に甘えるわけにはいかない審神者は、恐縮しつつも言葉を濁した。

「いえ、そんな……」

 確かに普段呑まない酒を口にしたのは燭台切に勧められたからだけど、こんなことになっているのは自分の見通しの甘さのせいだ。

 それに、仕方のない成り行きとはいえ、泥酔し足元も覚束ない状態で、他の男士を部屋に上げてしまうのは、恋人の長谷部に申し訳なかった。

 何と言って断ろうかと、その場に座り込んだまま審神者が呻吟していると、おもむろに燭台切が彼女の隣に膝をつく。

「……大丈夫? そんなに気持ち悪いの?」

 俯いた顔を覗き込まれるように尋ねられて、審神者は深酒とは別の理由で顔を赤くする。あと数センチで唇が触れ合ってしまいそうな近い距離で、本丸きっての伊達男と視線がぶつかってしまったら、もう平静ではいられない。

 たとえ自分にその気がなくとも、燭台切がその気になれば唇くらい容易く奪われてしまいそうで、審神者は動揺に瞳を伏せると、消え入りそうな声でつぶやく。

「……だ、大丈夫です」

「そう? じゃあ、背中さすってあげるよ」

「えっ……?」

 燭台切はとても優しくてよく気がつく男士だ。彼にとっては弱っている女性をいたわるなど、当たり前のことなのだろう。

 けれどこれはさすがに、不自然なのではないだろうか。ここまで優しくされてしまうと、変な勘違いをしそうになる。

 強引に酒を勧められて酔わされて、恋人同士の距離で介抱されて、部屋まで送ると言う彼の言葉に甘えてしまったら、自分はどうなってしまうのだろう。

 今の燭台切であれば自分をていよく丸め込み、部屋に上がり込むくらいのことはしそうだった。そうしたら、今の違和感を覚えるほどに積極的な彼と、密室で二人きりとなるわけで……。燭台切に背中をさすられながら、審神者は妙な空想に囚われる。

 普段は手袋をしている燭台切だったが、今は外していた。恋人の長谷部の手とは違う、大きくて骨ばった男の手に薄着の背中を何度もさすられて、審神者はますます落ち着かない心持ちになる。

(……どうしよう。なんとかしてお断りしないと……)

 自分に恋人がいなければ喜べたかもしれないけど、嫉妬深く独占欲の強い愛刀のことを思えば、燭台切の不自然なほどの親切をこれ以上受けるわけにはいかなかった。やましいことなんてなくても、彼は気にするだろうから。

 幸いにもこの場には自分と燭台切の他に薬研がいた。第三者の目があれば燭台切も自重するだろうと踏んで、審神者は大人しくされるがままになっていたが。

 肝心の頼みの綱は厄介ごとはごめんだとばかりに、自分たちから距離を取った。

「……あー、もう大丈夫みてぇだな。俺っちはもう退散するぜ。ちゃんと休めよ、大将」

 伊達男の色気にあてられたのか、単にいたたまれなくなったのか、頼れる保険医は逃げるように去ってしまった。

(薬研さん……! 見捨てないでください…!)

 審神者は心の内で叫ぶが、彼を責めても詮無いことだ。しかし、救世主は意外なところからやってきた。偶然通りかかった日本号が、雰囲気をぶち壊すような野次を飛ばす。

「おっ色男、やってるな〜〜」

 赤ら顔の日本号はすっかり出来上がっている様子で、わかりやすい軽口を叩く。

「おい、あんた気をつけろよ。うかうかしてると料理されちまうぞ」

 品のない茶々を入れられて、さすがの燭台切も自重する気が起きたのか。

「……そんなんじゃないよ」

 軽く苦笑すると、審神者の背をさするのをやめ、立ち上がる。

「日本号さん……」

 年かさの男士にからかわれ、審神者は恥じ入った。一応は職場の飲み会なのに、気を緩めてしまった自分に後悔しきりだ。

 すると、そのとき。ようやく騒ぎに気がついたのか、この本丸の近侍がやってきた。

「――お前たち、何をしている」

「……あ、長谷部くん」

「お、今度は近侍殿のお出ましか」

 長谷部は「お前たちはどうでもいい」とばかりに、燭台切と日本号の呼びかけを黙殺すると、いまだその場にへたりこむ審神者の腕を取り、強引に立たせた。彼女を自分のかたわらに引き寄せ、主に燭台切から距離を取る。

 まるで貴婦人を守ろうとする騎士のような振る舞いに、審神者は酔って火照った頬をさらに赤く染めてしまう。長谷部とは確かに隠れて付き合ってはいるけれど、他の男士たちの前でいかにもなことをされると、恥ずかしくなってしまう。

「大丈夫ですか。先ほどの宴席では、随分と酒が進んでいる様子でしたので、心配しておりました」

「ごめんなさい……」

「お身体の具合が悪いのでしたら、近侍の俺が、部屋までお連れいたします」

 心なしか「近侍の俺」を強調する長谷部に、審神者はいたたまれない気持ちになる。どう考えても燭台切に対する牽制だ。

 長谷部にこんなことをさせてしまい、審神者は改めて自分の脇の甘さを悔やんだ。長谷部に対しても燭台切に対しても、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
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