◆刀剣・刀さにNL小説◆

□【三日月】おでかけ日和
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「……わぁ、すごいですね」

 てっきりただの甘味処だとばかり思っていたけど、店の奥はなんと旅館のようになっていた。この時代の茶屋には、泊まれるものもあるらしい。

 本丸とは一味違った豪華な和風の客室に、審神者はすっかりはしゃいでいた。

 畳張りの床に、掛け軸と季節の生け花が飾られた床の間、部屋の窓からは紅葉の美しい庭園が一望でき、その様はまるで一幅の絵画のように美しかった。場所が違うと日常を忘れてしまう。

 非日常に浮かれる審神者に、三日月もまたご満悦といった様子だ。

「気に入ってもらえて良かった。まあゆっくりするとよい」

「はいっ」

「……ところで、早速だが着替えを手伝ってはくれぬか?」

 部屋の隅に用意されていた浴衣にちらりと視線を投げて、三日月はそんなことを審神者に頼んでくる。

 相変わらずのマイペースだけど、三日月のいつもの戦装束は部屋で寛ぐには不向きだ。彼が着替えたがるのも当然のことだろう。

「やっぱりそうなるんですね……。わかりました」

 審神者は呆れながらも彼の頼み事を了承する。心の優しい少女は、結局いつも三日月のペースに流されてしまうのだ。それは今回も例外ではなかった。

「着替えを終えたら、また菓子でも頼もう」

「今日は食いしん坊ですね……」

 彼に文句を言いながらも、審神者は早速作業を開始する。三日月の貴族然とした華やかな和装は、脱ぎ着するだけでも一苦労なのだ。手早く作業を進めないと、着替えをするだけで結構な時間が掛かってしまう。

 防具や装身具をひとつひとつ丁寧に外して床の上に置いていきながらも、審神者は三日月に小言を述べる。

「晩御飯が食べられなくなりますよ。せっかくの旅館のお料理なのに」

「そうだな。まぁ夕食がだめでも、朝食があるだろう」

「そうですけど」

 まるで仲のよい兄妹のような他愛ない話を続けながらも、審神者は手を止めない。今は狩衣も脱いで肌着姿になった彼に、旅館の浴衣を着せてやっていた。

 急ではあるが、今日はここに泊まっていくことになった。本丸に戻るのは明日の昼過ぎの予定だ。今回の休みが二日間あったこともあり、三日月のたっての願いでそうすることになった。

 三日月がごねて審神者が折れるという、この二人のお約束。お代は自分のわがままだからという理由で、三日月が出してくれた。

 そういった事情もあってか、今日の審神者は妙に素直だった。文句らしい文句も言わず、いつも以上に彼の世話を焼いている。

 けれど、審神者もまた楽しそうにしていた。本丸を離れた休日のひとときは、彼女にとっても心の癒しになっているようだ。旅館の部屋には三日月と審神者の二人だけで、本丸と違って、ここでは他人の目を気にする必要もない。

 そして。三日月の着替えの手伝いを終え、ようやく人心地のついた審神者は、今度は茶の支度を始めた。

 きちんと二人分を用意して、先に掘りごたつで寛いでいた三日月に出してやってから、自分もこたつに入る。これでようやく一息つける。

「手間をかけるな」

「……いえ」

 笑顔でねぎらってくれる彼にそう返してから、審神者は湯呑みに口をつけた。青々とした煎茶独特の香りとほのかな甘みにほっとする。

 つい口寂しい気持ちになり、審神者はそれこそ先ほどのような甘味が茶請けに欲しくなってしまうが。つい今しがた自分が三日月に向けた言葉を思い出し、彼女は仕方なく食欲をこらえる。

 ここでうっかり食べすぎてしまえば、せっかくの旅館の夕食が入らなくなってしまう。

 気を紛らわすために、審神者は何かおしゃべりでもしようと話題を探した。目的もなくしばし視線を彷徨わせて、ようやく。彼女はこたつ机の中央に飾られている、どんぐりの独楽や松ぼっくりの人形に気がついた。

 先ほどからずっと目の前にあったというのに、全く目に入っていなかった。

「あ、かわいい……」

 目じりを下げて淡く笑って、審神者は小さな独楽を手に取る。愛おしげにそれを眺めながら、まるで何かを思い出したかのように、審神者はおもむろに口を開いた。

「……この間、短刀の子たちとどんぐりで独楽を作ったんです。最初は今剣さんと五虎退さんと作っていたら、岩融さんが手伝ってくれて――」

 普段はそこまで口数の多くない彼女が、珍しく自分から他愛ない世間話をしてくれている。なんとなく心中に温かなものを覚えた三日月は、我知らず頬を緩める。

 機嫌よくおしゃべりをする審神者は楽しそうで、その柔らかな笑顔はとても自然で、三日月がここまで気を緩めた彼女を目にしたのは、初めてかもしれなかった。非番の日に本丸を離れたことが幸いしたのだろうと、三日月はひとり得心する。

 他の刀剣たちのことも常に気にかけ、公平さという観点からも自分との関係を隠したがる彼女のことを思えば、そもそも仕事場である本丸で気を抜けるはずがないのだ。

 審神者たる少女が彼の前で初めて見せる年相応の振る舞いに、三日月はこれが任務を離れた彼女の本当の姿なのだろうと、とりとめのないことを空想する。

 現世での彼女は一体どのような少女だったのだろうか。多少潔癖なところはあってもごく普通の、お茶を飲みながら他愛のないおしゃべりを聞かせてくれるような可憐な姿を想像し、三日月の胸にたまらない愛しさがこみ上げる。

「――三日月さん、あとで旅館のお庭でどんぐり探してみてもいいですか?」

 部屋の窓の向こうに見える庭園に視線をやりながらせがむ彼女に、三日月は穏やかな返事をする。

「構わんぞ。……何なら今から探しに行くか?」

「今からですか?」

「ああ。夕餉にはまだ早いからな」

 どんぐり拾いは夕飯までの暇つぶしには持ってこいだろう。柔らかな笑顔ではいと答える審神者に、三日月は打ち除けの浮かぶ瞳を眩しげに細めた。



 日は傾きつつあるものの秋晴れの空は高く、美しく澄み渡っていた。浴衣の上から綿入れ半纏を着込み、しっかりと寒さ対策をした三日月は、旅館の庭を楽しそうに散策する審神者の数歩後ろを歩いていた。

 宿の敷地は思っていた以上に広く、部屋からも見える庭園を抜けた先には、ちょっとした雑木林があった。日が暮れるまでの間、ここでどんぐりを拾う予定だ。

「――あ、早速見つけました!」

 嬉しそうに声を上げ、木の根元近くに駆け寄った審神者は、ためらうことなくその場にしゃがみ込む。

「このあたりなら沢山見つけられそうです」

 三日月を振り返って微笑んで、審神者はいそいそとどんぐりを探し始めた。左手の上に広げた懐紙の上に、右手で摘まんだ木の実を載せていく。

 小さな背を丸めて、白く細い指先で器用に落ち葉をよけながら、懸命に木の実を集める審神者は、まるで子リスのようだ。その愛くるしい姿に三日月は笑みをこぼすと、自分自身もまた懐紙を取り出し、彼女の隣にしゃがみ込む。

 湿った土の匂いが濃く香り、三日月は本丸の畑を思い出す。皆で世話をしているあの畑。最初は難しいものだと感じたけれど、習慣とは恐ろしいもので、今ではすっかり手慣れたものだ。

「はは、楽しそうだな。俺も手伝うぞ」

「え、いいですよ。手も汚れちゃいますし、三日月さんは待っていてください」

「案ずるな、土いじりなら畑仕事で慣れておる」

「あっ……。そうでしたね」

 ようやく自分が普段させていることを思い出したのか、審神者は恐縮しきりといった風情で肩をすくめる。

「はは、そうかしこまるな。俺もそなたと同じことがしたいのだ」

 人の子と同じ目線で同じことに取り組み、同じ時を過ごすこと。それは刀時代の三日月にはできなかったことであり、叶わなかった願いだった。そして審神者の力によって人の身を得て、初めて知った幸福でもあった。

 愛しい彼女と一緒になってどんぐりを拾う、たったそれだけの一見何でもないようなことが堪らなく嬉しく、その尊さに三日月は不思議な感慨を覚える。

 長い時を生きてきたけれど、こんなにも温かな情感を覚えたのは初めてだった。

 本丸にいるときは夜の匂いの色濃い逢瀬ばかりだったけど、秋晴れの空の下で過ごす爽やかな時間も良いものだと、三日月は改めてそんなことを思う。

 官能のひととき以外の彼女や、審神者業務を離れた素顔の彼女をもっと知りたい。楽しかった今日一日を振り返りながら、三日月はそんなことを願うようになっていた。

 また休みを合わせて二人だけでどこかに出かけたい。本丸を離れた場所で人目を気にせずのびのびと過ごす彼女を、ただずっと眺めていたい。

 たった一日本丸を離れただけで縮まった心の距離に、三日月は気づかない。しかしそれは、彼の隣で木の実を集める審神者もまた同様だった。



***



 その夜。夕食と風呂を済ませてしばしの団欒を楽しんでから、審神者と三日月は同じ布団で眠っていた。三日月と揃いの浴衣を着た審神者は、一人用の狭い布団で彼の腕に抱かれ、横になっていた。

 三日月はもう先に眠っているようで、厚い胸板が一定の間隔で上下し、審神者の耳に穏やかな寝息が届く。

 審神者は何をするでもなく、ただぼんやりと三日月の胸に顔を埋めていた。疲れているはずなのに、どうしてか眠れずにいた。

 旅館の浴衣越しに感じる三日月の体躯はやはり逞しく、あんなにも雅やかで美しい人なのに、紛れもなく彼は武人なのだと、審神者は改めて思い知る。

 使命のために闘ってくれる、そして自分を守ろうとしてくれる、強く優しい人だ。

 本丸にいるときに同じ布団で眠るときは、決まって逢引きのときだから、いつも身体を求められてしまうけど。だからこそ、こうやって何もせずただ二人一緒に眠るのは、とても新鮮だった。

 三日月の湯上りの身体は温かく、瑠璃の髪から漂う柔らかな石鹸の匂いと相まって、頑なだった審神者の心を解きほぐし、柔らかく溶かしてゆく。

 彼の腕の中で眠る。ただそれだけのことで、こんなにも優しく穏やかな気持ちになれるなんて、今まで知らなかった。身体を求められないからこそ、欲望抜きで大事にされているのだと安堵できる。

 三日月の腕に抱かれながら、審神者は今日一日を振り返る。最初はつい文句を言ってしまったけれど、楽しかった。

 本丸だと人目を気にして、ほんのひととき身体を重ねて別れるだけの、性の営みのための逢瀬ばかりだったけど、秋晴れの空の下での爽やかな時間は新鮮で楽しく、ようやく彼にきちんと愛されているのだと実感できた。彼の言うように、もう少し素直になってみてもいいのかもしれない。

 色々な出来事を経て、今日一日を一緒に過ごして。審神者は三日月への頑ななしこりにも似た感情が、次第に薄れてゆくのを感じていた。

 確かに、あの月のない夜に彼にされたことは許しがたいことだ。けれど、そのことにこだわり続けるのも、もう潮時なのかもしれない。

 強引に身体を奪われて、罪滅ぼしのように優しく甘やかされて、たったそれだけのことでほだされてしまうなんて、自分でもなんて流されやすい女なのだろうと思うけど。

 それでも、こんなにも厄介で面倒な自分に、根気強く付き合ってくれる優しい三日月を拒み続けることが、審神者は馬鹿馬鹿しくなってきていた。

 長い時を経てようやく。審神者たる少女は三日月と、そして自分自身の弱さとを、受け入れられるようになった。

 ――やっぱり三日月が好きだ。この美しくて狡くて、こんなにも自分に真っ直ぐな気持ちをぶつけてくれるこの人を拒み通すことなど、やはり自分には出来ない――

 たったひとつそれだけが、あの暗月の夜から変わることのない、審神者たる少女の真実だった。この想いがどんな末路を辿るのかはわからないけれど……。

 見えない未来に不安を覚えながらもどうすることもできず、眦にうっすらと涙を浮かべ、審神者はそっと瞳を閉じた。そのまま吸い込まれるように眠りの世界に落ちてゆく。

 閉じられた襖の向こうで風が吹く。審神者が意識を失う間際、彼女の瞼の裏にあの美しい雑木林の光景が、ほんのひとときだけ蘇り、そして消えた。
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