◆刀剣・刀さにNL小説◆

□【三日月】おでかけ日和
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 庭園の木々が美しい紅色に染まる、とある秋の日のこと。この本丸は近侍を当番制にしている。おおよそ二週間ごとに誰かしらに交代する仕組みだ。刀剣の皆と公平に関わりたいという審神者の少女のたっての希望で、このような一見不合理な仕組みにしている。

 そして本日の近侍は三条派の大太刀の石切丸だった。

「――おや、三日月殿。ちょうどいいところに」

 そんな彼に声を掛けられ、縁側で寛いでいた三日月は長い睫毛を瞬かせる。

「……どうした、何かあったのか?」

 座したまま、三日月は石切丸を見上げそう尋ねるが。石切丸は妙に意味ありげな笑みを浮かべて勿体ぶった様子で続けた。

「ちょっと、お願いしたいことがあってね」



 その翌日の昼日中。

「……なんだか、いけないことをしてるような気がします」

「はっはっは、そうか?」

 本日非番の三日月は、同じく非番の審神者とともに、万屋のある街までやって来ていた。

 石切丸が三日月に頼んだ用事とは、審神者の買い物の付き添いだった。買い物といっても業務の一環としての買い出しではなく、あくまでも彼女の休日の私的な用事だ。

 本来であれば近侍の石切丸が審神者と同じ日に休みを取り、一緒に行くはずだったのだが、三日月の審神者への想いと、二人の関係を知る石切丸が、気を利かせてくれたのだった。

「外出の付き添いは、いつも近侍の方にお願いしていたのに……」

 唇をへの字に曲げて、恨みがましくつぶやく愛しい人に傷つきながらも、三日月は朗らかな笑みを崩さない。

「その近侍からのご指名だ。まぁ、気を悪くせんでくれ」

「別に、怒ってるわけじゃありません。……三日月さんは楽しそうですね」

「楽しいに決まっているだろう。こうやってそなたと二人で堂々と過ごせる機会もそうないからな」

 他の男士たちの手前、審神者は三日月との関係を徹底して隠したがった。

 男女の一線はしっかりと越えているくせに、本丸では悲しいほどに素っ気ない態度ばかり取られている三日月は、人目を気にする必要のない今このときに、すっかり浮かれているようだ。そんな彼の姿は、ひどく不満げな様子の審神者と、好対照を成していた。

 三日月の隣を歩きながら、審神者は何か言いたげな様子で彼を見上げる。

「…………」

 あまりにも恨みがましい視線に苦笑しながらも、三日月は彼女を宥めようとする。

「そなたも俺も非番で、ここは仕事場ではないのだから、気にせず楽しめばよいだろう。せっかくの『デート』で、つれないことを言うでない」

「どこで覚えたんですか、そんな言葉……」

 妙に現代語に詳しい平安刀に呆れながらも、彼に水を向けられた審神者は自らの認識を改める。

「でも、そうですね……。休みの日なら、気にする必要もないんですよね……」

 三日月にそこまで言われてようやく気持ちがほぐれたのか、頑なだった彼女の態度がほんの少しだけ軟化する。

 審神者たる彼女には年頃の少女らしい潔癖さがあった。生真面目で公私混同はよくないと考える彼女は、当初は職場の仲間でもある三日月と恋仲になるのも不本意だったのだ。

 彼に押し切られるようにして関係を持ってしまった付き合い始めの頃は特に、彼を拒み通せなかった自分を責め、ひどく思い悩んでいた。

 けれど、そのような状況の中で、審神者も三日月もそれぞれに悩みや葛藤を抱えながらも、本丸の皆に隠れながら、ここまで関係を築いて絆を深めてきた二人だった。

 なにかと自分を責めがちな少女を気遣ってか、三日月はおもむろに声を潜めると、彼女の耳元で囁きかける。

「――あの二人を見ろ、あんなにも仲睦まじいではないか」

 三日月はそう言って、審神者に自分たちの左手前方を、視線だけで指し示す。水を向けられた審神者は三日月に言われるがまま、そちらの方を見遣った。

 そこにいたのは、自分たちと同じく並んで道を歩く一組の男女だった。脇差の刀剣男士である骨喰藤四郎と、彼の主と思われる少女だ。

 刀剣の付喪神とその主人という間柄ながら、二人はとても仲が良さそうだった。普段感情を表に出さない骨喰が柔らかく微笑み、彼女に何事かを話しかけている、そのあまりにも幸福そうな様子を見れば、二人が主従以上の関係であることは容易に察せられた。

 自分たちと同じく、刀剣男士と審神者とで恋をしている者もいるのだと、改めて見せつけられて、しかし審神者たる少女は浮かない様子で瞳を伏せる。

「……そうですね」

 三日月に淡白な返事をしてから、審神者は思考の世界に没入する。

 審神者と刀剣男士の恋。仕事場と生活の場がひとつになっている本丸の、あの大所帯の中で、そういったことをしている勇気のある審神者もいると噂で知ってはいるけれど、その恋が結局どういう結末を迎えたのかは、きちんと聞いたことがない。

 人と刀剣の付喪神という異なる種族同士の恋愛だ。寿命も価値観も全く違うし、どんなに相手を心から愛したとしても、通り一遍の幸福な結末を迎えられるとは思えなかった。

 どんなに努力したとしても、自分と相手とを苦しめるだけの……。そこまで想いを巡らせて、にわかに胸の痛みを覚えた審神者は、自分でも気がつかないうちに、隣を歩く三日月に縋るような視線を送っていた。

 しかし三日月は、審神者の辛そうな様子に気づいているのかいないのか、いつも通りの穏やかな笑顔で彼女の視線に応えた。

「……ん? どうかしたのか?」

 けれど、そんな平素と変わらぬ三日月に審神者は救われたような心持ちになる。二人だけのひとときを素直に楽しんでいる三日月の姿を目にし、審神者は悩んでも仕方のないことで悩むのはよそうと思い直す。

 今、そんなことを考えるのはやめよう。今は三日月と楽しい時間を過ごすことだけに集中しよう。

 朗らかな三日月に心癒された審神者は、自分でも気づかないうちに柔らかな笑みを浮かべていた。

「……なんでもないです」

 悩み事はとりあえず脇に置いて、審神者はひとまず今は三日月との休日を楽しむことにした。

 二人並んで歩いていると、やがて万屋の暖簾が見えてくる。もっと遠いと思っていたのに、三日月といるとあっという間だ。他の男士たちと三日月は、自分にとってはやはり違う存在なのだと改めて実感し、審神者はそんな現金な自分に苦笑する。



***



 店内に並べ置かれている可愛らしい品々をご機嫌な様子で眺める審神者を、三日月は何をするでもなく見守っていた。

 本丸にいるときは気を遣っているのか、いつも張り詰めた様子だけど、休日のせいか、あるいはここが外出先だからか、審神者は表情を緩めてすっかり買い物を楽しんでいた。その姿は年相応の可憐な少女そのものだ。

 眺めているのも練り香水におしろいといった品々で、そういった身だしなみを気遣う姿勢も、三日月には好ましく映った。

 不意に審神者は何かを思い出した様子で、小さな小瓶を手に取った。あれはたしか爪に刷く紅だ。牡丹や薔薇のような深みのあるくれないは審神者の平素の雰囲気とは違ったが、妖艶な彼女も見てみたいと思った三日月は、審神者に声をかけた。

「……それが欲しいのか?」

 欲しいなら買ってやろう、その言葉が三日月の喉まで出かかったそのとき。

「加州くんに、お土産を買おうかと思って……」

「……」

 愛しい人に出し抜けに他の男の名前を出されて、三日月の浮ついた心はにわかに冷静さを取り戻す。いかに日頃おおらかと言われる自分といえどもこれは複雑だ。

「……ははっ、加州にか」

 余計なことを口にする前でよかったと思いながらも、三日月は受け答えにわかりやすい棘を滲ませてしまう。

「かっ、加州くんにはこの間お土産をもらって……!」

「別に構わぬよ。奴も大切な仲間なのだろう?」

「っ、それじゃあ三日月さんにも何か買って差し上げます!」

 自分はよほど不機嫌さを隠しきれていなかったのだろうか。むきになる審神者に違和感を覚えつつも、三日月は小さく息を吐く。

「……別に物が欲しいわけではないのだがな」

「……三日月さんにも、そういえばお世話になっていますから」

 唇をへの字に曲げながらむくれる審神者は、女性というよりは幼い子供だ。しかしそんな彼女が愛おしく、三日月は審神者のお言葉に甘えることにした。

「そうさな、それではこの紅をお願いしようか」

 三日月は狩衣の袖を押さえながら、小さな白磁の器に入った紅を指差す。可憐な桜柄が器に描かれたその紅は、唇に塗ればきっと、それこそ入れ物に描かれた桜のように、女性を可愛らしく見せてくれそうで。

「これ……ですか?」

 審神者は不思議そうに、その桜柄の紅を手に取る。彼女が訝るのも当然だ。これは口紅で、男士たる三日月には入用でない品。しかし三日月は、案ずることはないとばかりに、朗らかに笑う。

「ああそうだ。紅だからな、日頃はそなたが持っていてくれ」

 そこまで口にしてから、不意に三日月はその輝く面貌を審神者たる少女に近づけると、彼女の滑らかな頬にそっと手をやった。

「……たまに俺に移してくれれば、それで充分だ」

 それこそ口づけのできそうな距離で囁かれて、万屋の店内だというのに審神者は顔を赤くしてうろたえる。

「っ、三日月さん……!」

 そのわかりやすい狼狽ぶりに、審神者の自分への想いを確信し、三日月はすっかり満足したのだった。



 買い物を終えた三日月と審神者は万屋を出た。もうすぐ八つ刻に差し掛かろうとした往来は相変わらず賑やかで、審神者はなんとなくの空腹感と疲れを覚える。

 三日月と話しながらだったからあまり自覚はなかったけど、そういえば本丸からここまで結構な距離を歩いてきた気がする。

「……少し休むか。向こうに茶屋があるぞ」

 察しのいい三日月にそう促され、甘味の好きな審神者はぱあっと表情を輝かせる。

「え、そうなんですか!」

「ああ。紅の礼にご馳走してやろう。行くぞ」

 そう言って、三日月はごく自然に審神者の手を取った。黒の皮手袋をはめた手で、彼女の小さな手を優しく握る。

 三日月の気遣いと穏やかな愛情表現に、審神者の胸の鼓動が高鳴り、心のうちに温かなものが広がった。こうやって三日月と手をつないだのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 本丸にいるときは制約の多い中で隠れてこそこそと逢うだけだった。夜半に身体を重ね朝まだきのうちに別れるひとときの逢瀬ばかりで、だからこそ明るい陽の光の下で、賑やかな通りを人目も気にせず歩けるのが、恥ずかしくも嬉しい。

 こうしているとまるで普通の恋人同士のようで、自分が審神者で相手が刀剣の付喪神だということも忘れてしまう。といっても普通というには、相手が美しすぎるんだけど。

「……すまぬ、一度手を離すぞ」

「え?」

 つないでいた手を思いがけず三日月に離されて、審神者はつい心細そうに彼を見上げてしまう。先ほどまで幸福な気持ちに浸っていただけに、その落胆は意外なほどに大きかった。

 しかし、三日月はそんな彼女を見おろしながら、愛おしげに瞳を細めると。

「そのような顔をされたら、自惚れてしまうな」

「っ!」

 ありのままの情動が顔に出ていたことにようやく気が付いた審神者は、慌てて表情を引き締める。しかし、時すでに遅しだ。

「……素直なお前が好きだぞ」

 人間離れした美貌の彼に満足げに微笑まれ、審神者はまたしても三日月に一本取られてしまうのだった。



「……着いたぞ、そなたと二人だとあっという間だな」

 茶屋にはすぐに辿り着いた。店先には大きな野点傘が立てられ、緋毛氈の敷かれた縁台がいくつも並べられている。

 まさに甘味処といった趣のある店構えに圧倒された審神者は、感嘆のため息を漏らす。

「わぁ……。すごいです」

 わかりやすく喜ぶ彼女に、三日月もまた笑みを浮かべると。

「まぁ立ち話もなんだ。ここに座らせてもらおう」

 手近な縁台に腰を下ろし、自分の隣に座るよう審神者たる少女を促した。彼女が腰を下ろしてすぐに、そばに控えていた店主が品書きを三日月に差し出す。

 三日月は礼を述べて受け取ると、審神者にも文字が見えるように彼女の方に身体を寄せて、品書きを開いた。

「好きなものを選ぶといい」

「……ありがとうございます」

 おおらかで優しいけれど、どこか上からな三日月の口ぶりは、相変わらずだ。しかし可愛らしい甘味の絵が描かれた茶屋の品書きに、審神者の心は弾む。どれにしようかと悩むこの瞬間も、少女にとっては幸福なひとときだ。

 三日月にご馳走してもらえるということで、審神者が遠慮がちに頼んだものは、鯛焼きだった。三日月はこの時期らしい紅葉を模した練り切りを頼み、二人はひとときの間、お茶とお菓子を楽しんだ。

 少し肌寒い秋の日だけど、野点さながらに、甘味処の店先の縁台に腰かけて楽しむ甘味は格別だ。

「……美味い茶菓子があると、幸せな気持ちになれるな」

 温かな煎茶の入った湯呑みを手に、三日月は穏やかに笑う。何度も目にしたことのある彼らしい姿に、審神者もまたつられて微笑んだ。

「そうですね」

 そのまま、彼女は三日月にお礼を伝える。

「鯛焼き美味しかったです。ありがとうございます」

 常日頃よりずっと素直で柔らかな表情を見せる審神者に、三日月も相好を崩す。

「それはよかった」

 これをせっかくの機会とでも思ったのか、三日月は妙案を思いついたとばかりの笑みを浮かべて、言葉を続けた。

「そうだ。せっかくだ。もう少しゆっくりしていかぬか」

「え?」

「軒先では身体も冷えよう。奥に上がらせてもらおう」

「奥、ですか?」

 戸惑う審神者をよそに、三日月は湯呑みを置き立ち上がると、審神者に手を差し出してきた。促されるまま、審神者は三日月の手を取り立ち上がる。

 そのまま審神者は三日月に茶屋の店内へと連れられて行ったのだった。



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