刀剣刀さに小説

□【長谷部】渇望と崇拝の口づけ
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「――へっへ〜〜! どうだ、いいだろ〜〜」
離れたところから聞こえてきたのは、自分の同僚でもある不動行光の得意げな声だった。
この本丸の近侍たるへし切長谷部はげんなりとしながらも、声のほうに足を向ける。
(……ったく、あいつは何をやっているんだ……)
自慢話は不動の悪癖だ。他愛も実害もないそれは、本来であれば無視が一番なのだろう。しかし、生真面目な長谷部はそれができない。
この本丸の近侍である自分にとっては、主に仕える他の刀剣たちの日頃の行いを把握しておくのも、業務の一環なのだと心の内で言い訳をして、長谷部は不動に声を掛ける。
「――何をしている、不動行光」
「へし切!」
目を丸くする不動の隣にいたのは、薬研藤四郎と宗三左文字だった。彼らもまた驚いた様子で口々に長谷部を呼ぶ。
「……長谷部」
「長谷部……」
不動は本丸の濡れ縁に腰を下ろして、薬研と宗三を捕まえて、やはりいつもの自慢話をしていたようだ。
不動を囲む二人のどことなく疲れた様子から、長谷部はそれを察した。
「……不動! お前はいつも」
反射的に小言を繰り出そうとした長谷部の機先を制するように、不動は得意げに胸を張る。
「いいだろ、へし切! この髪留め、主から頂戴したんだぜ!」
自らの髪に飾った淡い色の房飾りのついたそれを指差しながら、不動は「どうだ参ったか!」と言わんばかりの笑みを浮かべる。
確かにそれはこの本丸の主たる少女が、よく身につけていたものだ。
あの髪留めをつけて微笑む彼女の可憐な姿が長谷部の脳裏に蘇り、長谷部はつい不機嫌そうに瞳を細め、眉間に皺を寄せてしまう。
見せつけられて腹が立たないわけがない。
(……どうして俺じゃないんだ……)
女物の髪留めなど貰っても仕方がないと分かっていても、長谷部はそう思わずにいられなかった。しかも相手があの不動行光であれば尚のこと。
けれど、そんな長谷部の様子に気がついていないはずがないのに、不動は自慢をやめなかった。追い打ちをかけるように言葉を続ける。
「いつも身に着けてたお気に入りのものを下さったんだ。これって相当のことだろ!」
「っ、おい不動……!」
また恒例の口喧嘩が始まって、巻き込まれたらたまらない。薬研は焦った様子で不動を窘めようとするが。
しかし、長谷部は冷静だった。下らないとばかりに鼻を鳴らして笑うと、不動をきっちりと牽制する。
「それより、お前は今日の炊事当番ではなかったのか。山姥切国広が探していたぞ」
「っ、しまった!」
不動は慌てて立ち上がる。時刻はちょうど夕餉の支度が始まる頃合いだった。空の端は薄赤く染まり、夜の訪れが近いことを告げている。不動は焦った様子で、ばたばたと厨房に駆けて行く。
不動を追い払ってから改めて、長谷部は薬研と宗三に向き直ると。
「お前たちもこんなところで油を売っていないで、とっとと持ち場に戻ることだな」
そう言い捨てて、その場を後にする。
紫のカソックと金色のストラの裾を翻して去りゆく長谷部の背を、しかし、薬研と宗三は意外そうな面持ちで見送った。
「……長谷部って、やっぱり変わったよな」
「ええ、そうですね」
堅物で短気なその後ろ姿が見えなくなったのを見届けて、残された二人は彼のことを噂しあう。
前は真面目すぎるほど真面目で心が狭くて、やってきたばかりの不動とよく揉め事を起こしていたけど。主から近侍を拝命してしばらくたった今は、随分と心が広くなった。
その生真面目な性質は変わらないけど、心なしか振る舞いに余裕が出てきたと思う。
決して自ら口にすることはなくとも、以前の主に捨てられたことを長らく引きずって、その劣等感にも似た情念から、この本丸の主たる審神者の一番になることを誰よりも欲していた長谷部。
そんな彼が、名実ともに主の最もそば近くに仕える近侍に拝命された喜びは、いかほどのものであったのか。
積年の悲願が叶えられた今、長谷部の言動に多少なりとも余裕や落ち着きが出てきたのは、当然のことなのかもしれない。
長谷部の渇いた心が癒されつつあることに安堵しながら、薬研と宗三はこの本丸の主たる審神者のことを思い出す。
彼女はとても美しく、愛情深い女性だった。本丸の刀剣たち皆をとても大切にしてくれていて、刀剣たちもまたそんな主に報いようと、それぞれ日々の鍛錬に励んでいた。
不動が顕現した当初はぎくしゃくとしがちだった織田の刀たちが、今やこんなに和気藹々としているのも、ひとえに彼女の存在があってこそだったのだ。


***

「――本日もお疲れ様でした、長谷部さん。今日は何か変わったことなどありましたか?」
「いえ、特には……」
「そうですか。それなら良いのですが」
夜半。審神者に呼ばれた長谷部は、彼女の私室で今日一日の出来事を報告していた。
本日、審神者は政府関係者との会議により、終日留守にしていた。そんな彼女に今日の本丸の様子を伝えるのも、近侍たる長谷部の大切な務めだった。
もう夜も遅い時間のせいか、審神者は湯あみを済ませたばかりのようで、淡い色の単衣に、艶やかな長い髪を結わえることもせずに、片方の肩に流していた。
普段の彼女は長い髪を後ろでひとつに結んでいた。日中はきつく結い上げられているその髪が、おろされている様はとても新鮮で、洗いたての髪の艶やかさも相俟って、長谷部は彼女に見惚れてしまう。
(……相変わらずお美しい)
今日一日会えなかったからか、今宵の審神者はより一層麗しく見える。
淡く火照った白い肌も得も言われぬ色香を放ち、その無防備な姿はまさに、恋しい人と寝所に入る直前の女性の姿そのもので。
そんな彼女にあてられてしまった長谷部は、胸に秘めておくつもりだった言葉をうっかりと口にしてしまう。
「しかし主、なぜ不動に……」
「不動さんが、どうかなされたんですか?」
「いえ……。髪飾りなど、男には不要なのではと思いまして」
夜、寛いだ姿の彼女と居室で二人きりという状況に油断したのか、長谷部は自らの台詞に刺々しい響きをにじませてしまう。しまったと思ったときにはもう遅い。これではまるで絵にかいたような女々しい男だ。
自分の狭量さに臍を噛みながら、長谷部は彼女から視線を逸らす。自らの未熟さが呪わしい。今更このような嫉妬などこの人には見せたくはなかったというのに。白手袋をはめた手を握りしめ、畳の目を見つめながら、長谷部は悔いる。
「……髪飾り?」
審神者は一瞬だけきょとんとした顔をするが、すぐに合点がいったようで、柔らかな笑顔を見せると、長谷部に面を上げるように促した。そして、彼を安心させるべく事の次第を口にする。
「……あれは不動さんにどうしてもとせがまれたので、差し上げたんです」
あの髪飾りは頂きものではなく、なんと奪い取ったものだった。長谷部は話が違うとばかりにいきり立つ。
「ッ、不動……!」
あまりにもいい加減な仲間に対する怒りに、長谷部は拳を握りしめる。白手袋の生地が擦れて小さな音を立て、そこまでの怒りを見せる長谷部に、審神者は驚きと呆れが入り混じった顔をする。
「もう、そんなことで怒らないでください」
あまりにも分かりやすい、直情的な長谷部を宥めながらも、しかし審神者は不意に頬を染め、柔らかな笑みを浮かべる。
「……あなたには、もっと大切なものを差し上げたじゃないですか」
「――ッ!」
誰よりも大切な主のその言葉と可愛らしい微笑みに、長谷部は呼吸を忘れる。
その心に蘇るのは、彼女と初めて身体を繋げた夜のことだ。彼女から想いを告げられた数週間後の月の美しい夜に、長谷部は自らの主たる審神者と男女の一線を越えたのだった。
長い間恋い焦がれ何よりも欲していた主君の特別の座を、敬愛する主に望まれることによって手にできた喜びは、長谷部の生い立ちからくる劣等感や胸に抱えた苦しみを、癒して余りあるものだった。
そう。この本丸の大勢の刀剣たちの中からただ一人、自分は選ばれたのだ――。
女々しいとなじられようとも、かつての主に捨てられた過去に未だ囚われる長谷部にとっては、愛する主人に選ばれて他の刀剣たちからただ一人優越できた喜びは、何物にも代えがたいものだったのだ。
そんな長谷部の心中を知ってか知らずか、審神者は頬を淡く染めたまま気恥ずかしそうに微笑むと、おもむろに声を潜める。
「……差し上げたというよりは、貰って頂いたといった方が正しいかもしれませんね」
その愛らしいはにかみ笑顔に、長谷部は心を掴まれる。
「主……」
まるで野に咲く花のように可憐な人だ。
この愛くるしい笑顔を見せられて落ちぬ男はいないだろうと、長谷部は改めて愛しい主への思慕を新たにする。
そして、そんな彼女に。
「……あなたさえよければ、今宵もこちらで過ごしませんか?」
大胆な誘いをかけられて、長谷部は再び息を詰める。
「……っ!」
夜も遅い時間に呼び出されたこともあり、こうなることは予想の範疇だったが、いざ彼女の方から切り出されると、まるで初心な少年のように狼狽えてしまう。
相手は両想いの恋人、しかも可憐な少女のような人だというのに……。
日頃から「主のためなら何でもこなす」とことあるごとに嘯いて、汚れ仕事も平然とこなす長谷部だったが。心の内に純なところのある彼は審神者から夜伽を命じられるたびに、このような無防備で素直な振る舞いを見せていた。
愛しい彼女の肉体に触れることを許される喜びと、自分自身が必要とされる嬉しさに。主人に求められることを何よりの幸福とする長谷部の心は打ち震えるのだ。
――そう、出陣ではなく夜伽の命であろうとも。誇り高き刀剣の付喪神たるへし切長谷部は、敬愛する主人のために喜んでそれに応じていた。
「はっ……。主の命とあらば」
美しい藤色の瞳を細めて、その白手袋をした手を胸に当て。長谷部は彼らしい慇懃な笑みを浮かべる。
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