◆刀剣・刀さにNL小説◆

□【三日月】焦がれるほどの
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「――おや、遠出の者たちが帰ってきたようだね」

 同じ刀派の大太刀の付喪神たる石切丸にそう声を掛けられて、三日月宗近は面を上げた。

 その秀麗なるかんばせは、さすがは天下五剣が一振りにして、最も美しいとされる刀剣の付喪神といったところだろう。

「ほら、主殿と今剣さんだよ。ずいぶんと楽しそうだ」

 本丸の渡殿を歩いていた足を止め、石切丸は穏やかな笑みを浮かべて、燦々とした陽光の降り注ぐ本丸の中庭を見やる。

 そこにいたのはこの本丸の主たる審神者と、数日前に遠征に出たはずの今剣と岩融だった。そういえば、部隊の帰還は本日の予定だったと、三日月はそんなことを思い出す。

 小柄な短刀の付喪神である今剣は、大げさな身振り手振りを交えながら、ずいぶんと嬉しそうに審神者に何かを喋りかけていた。審神者はわざわざ腰を落として目線を合わせて、今剣の話を聞いてやっている。

 この本丸の審神者はまだ幼さの残る少女だった。とはいえ、柔らかな微笑みを浮かべて岩融とともに今剣の相手をしている彼女は、優しい姉のようにも見える。

 三日月と石切丸のいる渡殿からは、その様子は意外なほどによく見通せた。

「主殿は短刀たちには本当に優しい顔をするよね。私たちへの態度とは大違いだ」

「……そうだな」

何 の気のない石切丸の言葉に、三日月は穏やかに返事をする。しかし、その声音に彼らしくない剣呑な響きを感じ取り、石切丸は苦笑した。

「……やれやれ、げにおそろしきは男の嫉妬だな」

「っ!」

「私は先に行くとしよう。君は少し頭を冷やしてからくるといい」

 恋の病は加持祈祷では治せないからね、とでも言いたげな視線を三日月に投げて寄越すと。石切丸は一人足早に渡殿の先に行ってしまった。

 何ひとつ言い返せぬまま、三日月はその場に立ちつくす。沈黙は首肯と同義だ。

 けれど今の自分が何を言っても、余計に自身の立場を危うくしてしまいそうで。三日月は石切丸の背を黙って見送った。

「……秘すれども色にでにけり、か」

 三日月は自嘲すると、再び審神者に視線を送る。まるで眩しい何かを見上げるような、焦がれるような、熱を帯びた視線。

 こんな調子では周囲に勘づかれてしまうのも仕方がないのに、三日月はどうしても自分を抑えることができないでいた。

 中庭の審神者は今剣に抱きつかれて笑っていた。隣の岩融も彼らしい豪快な笑顔を見せていて、三人は実に楽しげな様子だ。

 彼女のあのような柔らかな笑顔が、自分に向けられたことなどただの一度もない。三日月の心の内に黒い炎が燃え上がる。まるで身を焼くようなそれは、紛うことなき嫉妬だ。

 いつの世も恋は人を狂わせるのか。刀剣として長い年月を過ごし、自身では老成したつもりでいても、自らの主たる審神者への想いは、これほどまでに自分から余裕を奪ってしまう。

 こちらの気も知らず他の刀剣たちと笑いあう彼女の姿を、打除けの浮かぶ瞳に映すたびに、ただ恨めしい想いだけが胸の内に募ってゆくのだ。



「――ここにいたのか、主よ」

「三日月さん」

 薄暗い本丸内の倉庫。審神者は活動的な洋装でひとり作業をしていた。本丸内の資材の棚卸だ。玉鋼や木炭などといった品目の数を数えて帳簿に記録し、その数量に間違いがないか確かめる。

 三日月はあたりにさっと視線を走らせて、倉庫内が彼女一人であることを確認すると、審神者に気づかれないように、後ろ手に鍵を掛けた。努めて鷹揚に、彼女を呼ぶ。

「――のう、主よ」

「……何ですか?」

「秘された関係というのも趣があってよいが」

「っ!」

「俺は別に隠さずともよいのだぞ?」

 出し抜けに恋しい人にそんな話を振られて、審神者は身体を強張らせるが。けれどそれは一瞬だけのこと。彼女は三日月を咎めるように眉間に皺を寄せた。

「今、倉庫の棚卸しをしているんです。資材の数を数えているんです」

 だから邪魔をしないでくださいとばかりに、審神者は三日月に強い視線を送る。

 相手があの三日月宗近であろうと物怖じしない気の強さは、さすがは並みいる刀剣たちを束ねる本丸の主といったところだろう。

 可憐な少女でありながらも、このような意志の強さを持っている。そんなところも三日月が彼女を好ましく思う理由のひとつなのだが。

 しかし、彼は小さく息をつく。公私混同をしない主義なのはいいけれど、二人きりの褥では、あんなにも愛らしい姿を見せてくれるのに、公の場でのこの仕打ちは、あまりにも酷なのではなかろうか。

「……なあ主よ、俺とて、何も感じぬわけではないのだぞ」

「え……?」

「加州や今剣たちへの態度と俺への態度は、あまりに違いすぎるのではないか?」

 不意に三日月の声が低くなり、纏う気配にもまた隠し切れない怒りがにじむ。日頃穏やかな彼らしくないその様子に、審神者は瞳を泳がせる。

「……加州くんは、初期刀だもの。今剣さんは」

 そこまで口にして、審神者は三日月に背を向けた。

「この話は今度にしてください。今は仕事中です」

 彼を拒むように口にすると、審神者は再び資材の数を数え始めた。手にしていた帳簿にさらさらとペンを走らせる。

「……三日月さんは明日の朝から演練の予定がおありのはずです。だから今は」

「それなら小狐丸に替わらせたぞ」

「え……!?」

 驚いた審神者が三日月を振り返った、そのとき。三日月が審神者を抱き寄せた。華奢な身体を強引に引き寄せて、腕の中に閉じ込める。

「み、三日月さん……! やめてください……!」

 うろたえた審神者は三日月から逃れようとするが、三日月は彼女の抵抗など意に介さない。

「――断る。またとない好機を逃す道理もあるまいよ」

 そして彼は躊躇うことなく、審神者の首筋に顔を埋めた。柔らかな白い肌に唇を寄せて、舌を這わせる。まるで頑なな彼女を追いつめようとするかのように。

「……っ!」

 びくりと身体を震わせて、審神者は固く瞳を閉じる。もうこうなってしまっては、三日月に従う他はない。

 彼女はそれを身をもって知っていた。抗おうにも、非力な自分の抵抗など彼に対して何の意味もなさない。

 一見穏やかなのにも関わらず、意外なほどに自身の欲求に忠実で、いっそ高慢さすら感じさせてしまうのは。彼が天下五剣の一振りにして最も美しいと評される、高貴な刀であるがゆえだろうか。

 麗しい容貌に、常日頃の優美な振る舞い。瑠璃の衣に馨しい香りを纏うその姿は、まさに平安の雅人そのものだ。それでいて刀剣のとしての強さも兼ね備えている。

 けれどそのような彼がなぜ自分などに執着するのか、審神者には分からずにいた。自分がこの本丸の、彼をも含めた刀剣たちの、主だからだろうか。

 けれど、審神者がそんなことに気を取られていると。脇見をした罰とばかりに、首筋の見える箇所に灼けるような痛みを与えられた。きつく吸い上げられたのだ。審神者は彼を非難する。

「っ、三日月さん……!」

 同じことがこれまでに何度もあった。なぜか彼は見えるところばかりに、自身の痕跡を残したがる。そして、三日月の大きな手のひらが審神者の衣服の下に入れられる。

「っ!」

 黒皮の手袋の固さと冷たさに、審神者は肩を竦ませる。ここは彼女や三日月の私室ではなく、本丸内の資材倉庫だ。内鍵がかかるとはいえ合鍵もあり、いつ誰に開けられるとも知れない場所。

 決して機嫌がよいとは言えぬ彼に、このような場所で強引にことを進められ、審神者の目尻に涙がにじむ。

「……三日月さん。……ここじゃ」

 続きはせめて今宵居室で、と。審神者は震えながら彼に乞う。すると、三日月の手が止まった。しばしの間、二人の間に沈黙が落ちる。

 三日月は審神者の問いかけには答えずに、小さく息を吐いた。どこか呆れたような彼の様子に、またも拒絶されてしまうのかと審神者が怯えていると。

「……それも、そうだな」

 ひどく傷ついたような、消え入るような呟きが、審神者の耳に届く。どこか悲しげなその響きに、審神者は戸惑う。ただ三日月に翻弄され、蹂躙めいたことをされるばかりの自分に、彼を傷つける力があるとは思えない。なのに、なぜ……。

 審神者が戸惑っていると、三日月は黙ったまま彼女の乱れた衣服を整え始めた。

「……っ」

 その意外なほどに優しい手つきに、審神者はさらに混乱する。三日月は彼女の艶やかな髪を撫でると、そっと唇を落とした。まるで彼女を慈しみ、非礼を詫びるかのように。

 彼はそのまま何も言わず、ひとり倉庫をあとにした。房飾りのついた狩衣の袖が翻り、瑠璃色の背が遠くなる。

 彼女のもとに残されたのは、彼の衣に焚き染められていた香りだけだった。忘れられるはずのない、彼の残り香。

「……っ」

 この香りを感じるたびに。審神者は彼と初めて契りを結んでしまった暗月の夜を思い出す。

 夜更け過ぎに彼女の居室に忍んできた三日月に、半ば奪われるようにして情を交わしてしまった、あの夜……。

 いかに日頃長い時をともに過ごし、憎からず思っていたとはいえ、任務で接する相手とこのような関係に陥るのはやはり、彼女の本意ではなく。

 やりきれぬ想いが再び込み上げて、審神者の瞳から涙が溢れる。自分の意志とは無関係に身体を奪われてしまった、屈辱にも似た苦しみと、無力感。

 けれど、審神者は知っていた。あのときの自分は、その気になれば彼を拒むことくらい、本当は容易くできたのだ。

 そして、それをしなかったのは自分自身の弱さに他ならず。その事実もまた、審神者の心を苛んでいた。弱く未熟な自分が恨めしいが、しかし……。

「――俺を受け入れられぬというのなら、せめて刀解してくれ」

 涙で潤んだ瞳でそう乞われてなお、彼を拒絶することなど、心優しい彼女にはどうしてもできなかったのだ。

「――愛しているのだ。主よ……」

 後朝の別れの間際。美しい付喪神の腕の中で聞いた、悲壮感すらにじんだその言葉を。年端もいかぬ少女たる審神者は、いまだ信じられずにいた。
 

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