◆恋〇記NL小説◆
□【現パロ孟花】最果ての桃源郷
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彼女が誰を選ぼうと、自分にできることはその幸福を願って背中を押すことだけだから。幸せでいてくれるならもう何でも構わないと思っていたのだけど。
「……やっぱり、腹が立つんだよねぇ」
諸葛孔明は悶々としていた。ついこの間、孔明は近所のショッピングセンターで花と孟徳が一緒に買い物をしているのを見かけてしまったのだ。
食料品を手に笑い合う二人はとても幸せそうで、文句のつけようもない仲睦まじいカップルだった。けれど、孔明はそれが気に入らなかった。
しかし、そんな孔明の心の内など知る由もなく、彼の隣にいる花は無邪気な顔で孔明を見上げてくる。
「どうしたんですか? 孔明先輩」
「……うーん。あのさあ、ねえキミ。今からでも遅くないから、考え直さない?」
「考え直す?」
「そうだよ。だってさ……。キミ、本当にあんなのが相手でいいの?」
「……っ、せ、先輩?」
孔明に急に声をひそめるようにして尋ねられて、花は戸惑う。孟徳とのことを言われているとようやく気がついたようで、可憐な頬にさっと赤みがさした。そんな花に孔明はたたみかけてくる。
「名前はあえて出さないけどさ……。ずいぶん歳も離れてて、すっごい有名人なんでしょ……。仕事も私生活もときどきニュースで取り上げられてるし、キミも色々と苦労が多いんじゃないの?」
「苦労って……。私は別に、そんな……」
お付き合いしている相手をあからさまに貶されて花は戸惑う。一応はかばおうとするものの、否定しきれずにしどろもどろになっていた。
「叔父と姪って嘘までついて、こそこそしてさ……。そんなことまでして、キミがあんな奴に合わせてやる必要なんてないんじゃないの?」
けれどさすがに、これは我慢できなかった。あんな奴呼ばわりもひどいと思ったけど、自分たちだってあんな嘘をつきたくてついているわけじゃないのに。
「っ、孔明先輩! ひどいこと言わないでください! 私だって、好きでそんな嘘をついているわけじゃ……!」
けれど、珍しく語気を強める花に、不意に助けが入った。
「――よお、久しぶりじゃないか孔明。ただの先輩でしかないお前が、俺の花ちゃんにずいぶんとご執心のようだな」
「……っ、なんであなたがこんなところに」
ついに孔明の天運が尽きたのか、話題の人物がようやく姿を現した。日本で知らない者などいない大企業の重役を務める、曹孟徳その人である。
孟徳はずかずかと大股で歩いてくると、花と孔明の間に割りこんだ。花をかばうようにして孔明と対峙する。
「なんだ? 俺がここにいたら悪いか?」
「いいえ〜。今日もお忙しいはずの方がなんでまたこんなところに」
「ふん、俺のところもようやく働き方改革と相成ってな。お陰様で今日は完全なる休日だ。……ね、花ちゃん」
普段はスーツを着ることが多い孟徳だが、今日は私服だった。といってもビジネスカジュアルというか、私服通勤可のところならこのまま出社できそうなきちんとした格好なのだが。
「なるほど〜。先日は定宿のホテルで過労で倒れて大騒ぎされた方がおっしゃると、さすが説得力が違いますね」
「あいにく俺はVIPらしくてな。粗相のないようにご丁寧な対応をされただけだ。お前たちとは甲斐性が違うからな」
「……相変わらず一言多い方ですね」
「お前にだけは言われたくないな」
「あ、あの……。孟徳さん、孔明先輩……」
なぜかさっそく口喧嘩が始まりそうになっている。花は慌てて仲裁しようとするが、孟徳に遮られてしまった。
「……花ちゃん、君がこんな奴に親切にしてやる必要なんてないんだよ。君は俺のことだけ見ていればいい」
「……え?」
「今さら一途ぶっても、過去の悪行は消えませんよ。孟徳殿」
「余計なお世話だ。今の俺は花ちゃんと二人で生きる未来だけを見つめてるんだよ。……ね、花ちゃん?」
「えっ……? ええまぁ……。そう、ですね……?」
あまりにも白々しい歯の浮くような孟徳の発言に、素直に同意することができず。花はやはり戸惑ってしまう。孔明も含めた様々な人々から、何かと悪い印象を持たれている孟徳を、フォローしたいと思ってはいるものの、相変わらず要領を得ない喋りだ。
その一方で、孟徳はしれっとしていた。かつての不品行はさらっと黒歴史にして、いつの話してんだよと言わんばかりに、悪びれもしない。
あまりにも理不尽な孟徳の振る舞いと、それを惚れた弱みで許容している様子の花を目の前にして、孔明は小さく息を吐く。
「……はぁーあ。なんとなくわかってたけど、こんなことになるんならもっと早くボクが」
「――なにか言ったか?」
「なんでもありませーん」
孔明と孟徳の口喧嘩はまだ終わりそうにない。
孔明が孟徳を悪く言うのを聞くのも嫌だけど、孟徳が孔明に容赦なく圧をかけているのを見るのも嫌だった花は、今度は孔明をかばおうとしたが。孟徳がそれを許容するはずもない。
「孟徳さん、孔明先輩にひどいこと言わな……。っ!」
花の言葉が終わるのも待たずに、孟徳は彼女の腕を取ると強引に自分の方に引き寄せた。
「……花ちゃん、早く行こう。『あんな奴』を君が相手にする必要なんてない」
孟徳があんな奴をことさらに強調したのは、もちろん先ほどの意趣返しだ。花は悲しい気持ちになってしまう。
男の人として好きなのは孟徳だけだけど、孔明のことだって大切だ。それは間違いない。大切な人たちには、本当は仲良くして欲しいのに。
「……っ。……孟徳さん」
花は眉を曇らすが、孟徳と孔明に対して「二人とも仲良くしてください!」などと言っても無理がある。『いくら君(キミ)の頼みでもそれは無理』と二人同時に返されて、さらに状況が悪くなるに決まっているのだ。
しかし、一体どこ吹く風なのか。先に折れてくれたのは孔明だった。
「――いいよ、行きなよ花」
「先輩……」
先に相手を悪く言って花を困らせたのは自分の方という負い目があるからか。孔明は花に対して、不思議なほど穏やかで優しい笑顔を向けてくれた。
「こっちのことは気にしなくていいから。それじゃあね。デート楽しんで。孟徳殿も、先ほどは口が過ぎたようですみません」
意外にも孟徳に謝罪の言葉をくれて。孔明は花に背を向けてひらひらと手を振る。珍しく孔明が孟徳を気遣ってくれたことに安堵しつつも、花もまた孔明に手を振り返した。
大切な先輩で師匠だ。これから先、彼のもとに戻ることがもう二度となかったとしても。花の師匠は永遠に孔明だけなのだ。花の夫が孟徳ひとりであるのと同じように。
先ほどの孔明の謝罪でようやく溜飲がおりたのか、孟徳は柔らかな笑みを浮かべると。
「さぁて、君のお師匠様のお墨付きも頂いたことだし、それじゃあ俺たちも行こうか」
「そうですね……」
「……手、繋いでいこう。花ちゃん」
孟徳は言うやいなや花の手を取る。けれど、普段はとろけるように甘いその声には、ほんの少しの硬さがあった。それに気づいた花は胸がぎゅっと締めつけられる。
「……はい」
今は春。出会いと別れ、旅立ちの季節だ。孔明と別れを告げた花は孟徳と一緒に歩き出す。しっかりと手を繋いで。いつもは花の手を優しく握る孟徳だけど、今日このときばかりは強く握りしめてきた。
先ほど花が孔明をかばおうとしたときも、彼にしては珍しいほど腕を強く掴んできて、花を強引に閉じ込めようとした。冷たい鳥籠ではなく温かな腕の中に。珍しく余裕のない様子の孟徳に、花の胸に切ない気持ちがこみ上げる。
閉じ込めようとしてでも欲しがって、自分のことを求めてくれた、かつての彼を垣間見た気がした。
***
うららかな春の日差しを感じながら。花と孟徳は手を繋いで繁華街を歩いていた。休日の街は行きかう人々も多くとても賑やかだ。
今日の二人の目的地は、繁華街を抜けたところにある大きな公園だ。今の季節らしいお花見デート。途中で花の好きなベーカリーに寄ってご飯を買って公園で二人で食べるという、ちょっとしたピクニックの予定だった。
いつも忙しくしている孟徳と、昼間から二人で出かけられるのはとても嬉しく、花はご機嫌だった。孟徳も心なしかいつもより楽しそうにしている。
「まずはデパ地下のベーカリーに行くんだっけ?」
「そうです。そこでご飯を買います!」
「うん、わかった。じゃあこっちだね」
若かりし頃ならいざ知らず。地位と立場を得た今となっては運転手つきの高級車で移動して、街歩きなんてほとんどしなさそうなのに、孟徳は地理に強かった。迷いなく歩みを進めていく。
しかし、その歩調は一緒に歩くパートナーに合わせて、きちんと落とされていた。そんな彼の隣を花は幸せな気持ちで並んで歩いた。
そして辿り着いたデパートの店内で。地下階につながるエスカレーターに向かう途中、不意にピアノの音が花と孟徳の耳に届いた。
その音色は花が感嘆の声を漏らしてしまうほど美しく、まるで生演奏のような豊かな響きと存在感があった。
耳慣れたクラシックの名曲だったが、流れるように積み重ねられる和音に効果的につけられた抑揚、ときおり差し込まれるこれまで華やかなアレンジに、とてもじゃないけどこれが店内放送の背景音楽とは思えずに、花は興奮した様子で口を開く。
「なんだか、生演奏みたいなBGMですね!」
「そうだね」
わくわくとした様子の花に、孟徳は相槌を打つとおもむろにあたりを見回した。そして、あるものを見つけると、花に楽しげに耳打ちをする。
「……あ、やっぱり。見てよ、花ちゃん。あっちにストリートピアノがある。誰か弾いてるみたいだよ」
「えっ……!?」
花は驚きに目を見開くと、孟徳の視線の先を見つめた。
たしかに彼の言う通り。そこには一台のピアノがあり、今まさに演奏しているらしき人がいた。少し遠くて奏者の素性はわからないけど、美しい銀髪で線が細くてまさに絵にかいたようなピアニストだ。花は声を上げる。
「わぁ、本当です!」
「空港とかでたまに見るけど、こんなところにもあるんだね」
はしゃいだ様子の花の隣で、孟徳もまた感心した様子でつぶやいた。
「私、初めて見たかもしれません。孟徳さん、行ってみてもいいですか?」
「うん、いいよ」
花のおねだりに孟徳は優しく頷く。孟徳の許可を得た花はすぐピアノの方に小走りに駆けて行った。そんな彼女を孟徳は早歩きで追いかける。
しかし、意外なことにピアニストは顔見知りだった。狭すぎる世間である。
「……あれ、もしかして」
「おや、あなたは……」
花と演奏を終えたばかりの銀髪のピアニストは、呆気にとられた様子で意味もなく見つめ合う。そして。花から少し遅れてこの場にやってきた孟徳は、傲岸さを隠そうともせず言い放った。
「孫家のところの名物社員じゃないか。こんなところで出くわすとはな」
「……孟徳殿」
先ほどまで名演奏を披露してくれていたのは、孫家が率いるメガベンチャーに勤務する美貌のエリート社員、周公瑾だった。彼はわざとらしいほどうやうやしく、主に花に対して挨拶をしてきた。
「人を待っていましてね。暇に任せて手遊びをしていたところです。……花さん、ごきげんよう」
「こんにちは」
「……へぇ、人をねぇ」
公瑾の花に対する馴れ馴れしさと、鼻につくような取り澄ましぶりにイラっとしたのか。孟徳は公瑾に対して素っ気ない態度を取っている。かつての孟徳は公瑾に対して大敗を喫したことがあるせいか、二人は今でも折り合いが悪いようだ。
しかし、孟徳の不機嫌に花まで付き合っていたら収拾がつかなくなる。花は場の空気を壊さないように公瑾に無難な話題を振った。
「公瑾さん、ピアノすごくお上手ですね」
「いえ、それほどでも……。あるんですけどね」
「……えっ?」
無難な返事を期待していたのに。公瑾の斜め上の返答に花は思わず変な声を出してしまう。しかし、孟徳は予想の範囲内といった様子のあきれ顔だ。
「相変わらず、いい性格してるよな。お前は」
「いえいえ、あなたほどではありませんので」
「ああそうかよ。別に俺はどうでもいい」
孟徳と公瑾のそりの合わなさは致命的なようで、二人の周囲には誤魔化しきれないほどの冷え切った気配が漂い始める。
大人げない大人二人に花は困惑するが、そんな彼女を救うかのようにかわいらしい元気な声が響いた。
「こうきーん、クラシックつまんなーい! 流行りの歌弾いてよ!」
「弾いてよ!」
今まで気がつかなかったが、公瑾のピアノのすぐそばには小さな女の子が二人いた。大喬と小喬だ。明るい彼女たちはなにかにつけて場を和ませてくれる。花と孟徳は苦笑したが、名指しされた公瑾はうろたえた。
「ク、クラシックがつまらないとは……」
「つまんないよー。みんなが喜ぶもっと楽しいの!」
「……仕方がありませんね」
しかし。今日の公瑾はよほど興が乗っていたのか、暇を持て余していたのか。そのリクエストに応えてくれた。
「それでは特別に昨年の大ヒット曲をお聞かせしましょう。きっとお気に召していただけるはずです」
自信ありげにそう口にして、わざとらしく咳ばらいをすると。公瑾はピアノに向き直る。そして、彼の両手が鍵盤に乗せられて、すぐ。
――沈むように溶けてゆく夜に――
切なく美しいイントロが奏でられる。
「あっこの曲……!」
「……へぇっ」