◆恋〇記NL小説◆

□【文花・現パロ】君だけを愛する
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繁華街の中心部に位置する百貨店。駅直結の地下階は今日も賑わっていた。贈答用の菓子類を買い求める女性客に総菜を眺める親子連れ、そして仲睦まじいカップル……。

「……わあ、いい匂いがします。桃ですか?」

「ああ、デカフェの桃の紅茶だ。これなら夜遅くなっても飲めるぞ」

「いいですね! じゃあ今日はこれがいいです」

「わかった」

「おい、すまないがこのデカフェの桃と……。あとは茉莉春毫(モーリーチュンハオ)と白桃ジャスミンの茶葉を包んでもらえるか」

「はい、かしこまりました。いつもありがとうございます。文若様」

 荀文若に山田花。見ようによっては会社勤めをしている堅物の兄と大学生の妹という、少し年の離れた兄妹のようにも見えるが、この二人実は恋人同士なのである。

 ある日の休日。デートも兼ねて行きつけの茶屋で買い物をし、そのまま文若の自宅に戻ろうとしていた文若と花の二人であったが。

「よ〜お文若。……に、花ちゃん」

「じょっ、常務……」

「孟徳さん」

 文若と花の休日が平穏なまま終わることは少ない。その原因はいつも突如として現れるこの人物のせいである。

 大手企業の重役を務める若きエリートにして、文若の上司でもある曹孟徳。業務で多忙を極めているはずの彼は、なぜかことあるごとに文若と花の前に顔を出す。

『――文若がちゃんと花ちゃんを大事にしているか、見張る義務が俺にはあるだろ?』

『――ありません。断じて』

 こんなやりとりがあったかは定かではないが、まさか恋人と楽しく過ごしていた休日にまで、ふてぶてしい上司のツラを見ることになるとは思わないだろう。内心の動揺を隠せないまま、文若は孟徳に尋ねかけた。

「なっ、なぜ常務がこちらに……」

「何だよ。俺がデパートで買い物してたら悪いか?」

「いえ……。普段は外商を本邸に呼びつけていらっしゃった方が、どうかされたのかと」

「別にどうもしない。ちょっと街中の賑わいが恋しくなって出てきただけだ。……ねっ? 花ちゃん」

「そ、そうですか……」

 花もまた困惑していた。なぜか孟徳にいちいち名指しされ、返答に窮している。

「……ねぇねぇ花ちゃん、せっかくの休みにデパートに来て、お茶を買うだけじゃあつまんないよねぇ?」

「え?」

「せっかくだし一階の化粧品売り場にも行こうよ。君になにか贈りたいんだ。香水とかどう? なんならジュエリーでも……」

 すかさず文若と花の間に割り込んで、孟徳は花の手を取って先に行こうとする。

 しかし、さすがにこれは許容できない。尊敬する有能な上司といえども、彼の女癖の悪さは嫌というほど知っている文若だ。

「結構です! このあとも予定がありますので。行くぞ花」

「ぶ、文若さん……。孟徳さんは……」

「常務は多忙なお方だ。放っておけ。じきに迎えが来てオフィスに戻られるだろう。我々は家に帰るぞ」

「は、はいっ……」

 文若は花を孟徳から強引に奪い返すと、そのまま彼女を連れてさっさとこの場を離れようとした。

 女癖が最悪で面倒ごとが服を着て歩いているようなやっかいな上司に、愛しい女性との時間を邪魔されてはたまらない。さっさと逃げるが勝ちだ。しかし。



 文若の自宅マンションは、先ほどのデパートからはあまり離れていない。奢侈を嫌う文若自身は、家賃も高く賑やかな都心ではなく閑静な郊外に住みたがったが、孟徳のしつこい勧めもあって、このようなところに住んでいた。

 職場からも近く、特別豪華ではないがすっきりと片付いている綺麗な部屋は、家主の性格を彷彿とさせる。そんな快適な環境で温かな中国茶をすすりながらぼやく招かれざる客が一名。

「はあ〜あ、いいよなぁ文若は。こーんな目が開いてるか閉じてるかわかんない石頭のくせに、こーんなにかわいい女子大生の恋人がいるんだからな〜」

「も、孟徳さん……」

「俺が昔、若い子と一緒にいたときは『社会人が学生と交際するなんて言語道断』だのガミガミうるさかったくせに、自分はコレなんだもんな〜。あ、白桃ジャスミンおかわり」

「…………」

 言いたい放題やりたい放題の上司に、文若は能面のような顔でお茶のお代わりを用意した。その後、孟徳は結局、文若の自宅にまでついてきたのだった。

『大切な恋人のために買った気に入りの茶を、なぜ同性の上司に振る舞わねばならないのか』

 文若の顔にはそう書いてあったが、それをそのまま口にするほど文若は愚かではない。

『孟徳さんは何しに来たんだろう』

 花の顔にもそう書いてあったが、花もまた、それをそのまま口にするほど無邪気でも純粋でもなかった。

 そんなお綺麗なものなどとうに失っている。今の彼女にあるのは強かさと図太さだ。生来の素直さはかろうじて保っているものの、文若の恋人として孟徳と関わるうちに色々なものを失い、そして身につけた花である。

 家主と家主の恋人からは明らかに微妙な視線を向けられている。完全に招かれざる客となり果てている孟徳は、ウザがられている事実はガン無視し、お茶のお代わりをすすりながら再び口を開いた。といっても話す内容は愚痴と悪口である。

「俺なんかちょっと秘書課の新人と立ち話してただけで、週刊誌だの何だのに追い回されたのにさ〜。お前だけずるいよなあ」

「……その件は元譲殿になんとかさせたと伺っていますが」

「まぁねー。カメラ取り上げて撮影データ消させて警察に突き出したけどねー」

「大変なんですね、孟徳さん……」

「そうなんだよー花ちゃん。俺って大変なんだよ? ほら、一応役員だし。だから文若なんてやめて俺と」

「何が『だから』なんですか。いい加減になさってください! あなたは一体何の用があって、このような場所にまでついてこられたのですか! 本日は土曜、休日です。仕事の話でしたら月曜以降に承りますので、即刻ここを出ていって頂きたい!」

 ついに家主にキレられてしまった。意外なほど激しい文若の剣幕に、孟徳は頬をぷうと膨らませる。

「文若さん……」

 花も呆気にとられるが、この程度で引き下がるようなら、最初からこんなところにまで押しかけていないのである。孟徳は悪辣な笑みを浮かべると。

「何だよ、俺がいたら困ることでもあるのか」

「その質問には回答を差し控えます。とにかく、今すぐにここを出て行って……」

「――ずいぶんと偉くなったもんだなぁ、文若」

 普段とは全く違う冷え切った声音。『誰にものを言っている』と言わんばかりの孟徳に、花は言葉を失う。

 常日頃どれだけふざけていても、孟徳はそれだけの人ではない。こういう恐ろしさや威圧感があるから、大手企業の役員にまで上り詰めることができたのだ。

 文若もまた唇を噛むが、今の彼は花を得る以前とは違う。孟徳を真っ向から睨み返すと、きっぱりと反論した。

「凄んでも無駄です。常務。今は業務時間外の土曜、そしてここは私の自宅です。オフィスではありません」

「ちぇっ、気づかれちゃった」

 孟徳の雰囲気が一気に和らぐ。子供のように唇を尖らせる孟徳に、すぐそばで文若と孟徳の成り行きを見守っていた花は密かに安堵する。文若と孟徳の喧嘩は心臓に悪い。かつても散々苦労させられたのだ。

 すると、まるでタイミングを計ったかのように文若のスマホが鳴りだした。

「っ! すみません、常務。少々失礼致します」

 業務時間外の自宅でまで、あなたに忖度する必要はないはず。そう啖呵を切ったものの。わかりにくいが基本的に、文若は心優しく礼儀正しい人なのだ。

 孟徳に断りを入れて文若は席を外した。この場に孟徳と花の二人だけが残される。

「……花ちゃん、君の彼氏はいつの間にかずいぶんと焼きもち妬きになったんだね。即刻出て行けなんて初めて言われたよ」

「そうなんですか……」

「そうなんだよ。今までは俺に言いたいことがあっても、何も言わず黙り込んでたくせにね。あいつが変わったのは君のおかげなのかな」

「っ!」

 孟徳に苦笑され、花はハッとした。自分の存在が文若と孟徳を繋ぐ架け橋となったなら、これほど嬉しいことはない。

 するとそのとき。スマホを左手に持ったまま文若が戻ってきた。なぜか異様に早い戻りで、不自然なほどの仏頂面だった。

「あれ、文若さんお電話もう終わったんですか?」

「いや、違う」

「?」

「常務。元譲殿よりお電話です」

『――孟徳! そこにいるんだな!』

 スピーカーモードにしてあったスマホから聞こえてきたのは、孟徳の従兄弟でもあり腹心の部下でもある夏侯元譲の雄叫びだった。孟徳はしまったという顔で呻く。

「うっ……!」

「――元譲殿。常務でしたら先ほどよりずっと、こちらに入り浸っておいでですが。いかがしましたか」

『ああ、ちょっと急ぎの案件がまだ片付かなくてな……。今お前のマンション前に辿り着いた。ロックを開けてくれるか』

「もちろんです」

 わかりやすい怒りをにじませながら、再び文若が退席する。そして、数分後。

「――孟徳、ここにいたのか! 電話に出ろ! 勝手に行方をくらますな! 探したぞ!」

 バタバタと慌てた様子で現れたのは、やはり元譲その人だった。その姿にようやく観念したのか、孟徳は湯呑を置いて立ち上がる。

「……あーあ、見つかっちゃった。仕方ないな、花ちゃんまたね」

 淡く苦笑すると、花にひらひらと手を振って。孟徳は元譲に連れられてこの場を後にする。

 文若は相変わらずの仏頂面で孟徳と元譲を見送ったが、その姿が見えなくなると、もう何度目かのため息をついた。花はそんな文若を見上げると。

「……孟徳さんは、土曜日なのにお仕事があるんですか?」

「休日でなければこなせない予定もある。接待や会食だな。面会の申し込みが入ることもある」

「大変なんですね……」

「花、分かっていると思うが、この話は他言無用だ」

「はい、もちろんです」

 文若と一緒にいると、自然と彼らの会社の内情を察せてしまうことがある。花は文若に頷きを返すと、話題を変えた。

「そういえば……。文若さんが孟徳さんにあんなにはっきり言うなんてびっくりしました」

「……私も男だからな。好いた者とのひとときを邪魔されれば腹も立つ」

「文若さん……」

 思った以上に愛情のこもった返事が返ってきて、花は頬を淡く染めた。生真面目な彼氏の不器用な優しさが嬉しい。

 しかし、文若は不意にそわそわとし始めた。何か言いたいことがあるけど言い出しにくい、と言った様子だ。けれど、文若はしばしの逡巡のあと意を決したように口を開いた。

「……っ、花」

「何ですか……?」

「いや、その……。お前は茶よりも化粧品や装飾品の方がよかったのか……?」

「えっ……!?」

 文若の意外な問いかけに花はきょとんとしてしまう。

 三人でデパートにいたとき、文若は孟徳に怒ってばかりで、そんな様子は微塵も見せなかったのに。花もまた孟徳のプレゼント攻勢など完全にスルーしていたのに。それでも文若は、先ほどの孟徳の発言を密かに気にしていたらしい。

 これまでは恋愛に興味がなくて、女性経験などほとんどなかった文若だったが。花と交際するようになって初めてそういった物事に興味を持って、女性関係の派手な孟徳に対して、いつの間にかコンプレックスを抱くようになっていた。

 孟徳のように多くの女性たちに好意を持たれたいわけではないけど、ひとりの男として、ただひとりの大切な女性を喜ばせるくらいは出来るようになりたかったのだ。

 これまでは仕事にしか興味を示さなかった彼の変化に、花は笑みをこぼす。

「……いえ、私はお茶がいいです。文若さんが好きなものを一緒に楽しみたいです。それに、私だってお茶が好きなんですよ」

「……そうか」

 花の優しさと気遣いに文若は安堵する。大学生と社会人でそれなりの歳の差はあるけれど、文若と花は似合いの二人だった。文若と付き合うようになって、花は文若に似てきた。

 几帳面でしっかり者、真面目で優しくて愛情深くて。元々の素直さにさらなる美点が加わり、これからもっと素敵な女性になるだろうと思わせてくれる。そんな花を文若は愛おしげに見つめながら。

「……花、そちらに行っていいか」

「え……?」

 花の返事も聞かずに。文若は花と距離を詰め、何も言わずに抱きしめた。文若の唐突な愛情表現に花の頬が淡く色づく。

「っ、文若さん……」

「――もうすぐ誕生日だったな。何か欲しいものでもあるか? それこそ宝飾品でも何でも、お前の好きなものを買ってやる」

「……特にないです。私は文若さんと一緒にいられればそれで」

「そうか…… 本当に何もないのか?」

「はい、何もないです」

「本当か?」

「本当ですよ」

「……私がここまで言っているのだ。遠慮は無用だぞ」

「遠慮なんてしてないですよ……。本当に、欲しいものなんて……」

 妙にしつこい文若に花は戸惑う。これではまるで何かをリクエストされたいみたいだ。けれど、そのまさかだった。文若は少し怒ったような照れたような顔をすると。
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