◆恋〇記NL小説◆

□【現パロ孟花】レットイットスノー
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 そして、今は荷物を持って店を出たところ。

「も、孟徳さんコーヒーばっかりそんなに買い込んで……。飲み過ぎは良くないですよ。頭痛が……」

「え〜別に大丈夫だよ。っていうか飲まなきゃやってらんないしさ〜。家で仕事なんて」

「た、確かに……」

 諫めようとしたつもりが、逆に納得させられてしまった。孟徳の口の上手さは相変わらずだけど、ここしばらくの孟徳の境遇に思いを巡らせて、花は口をつぐんだ。近頃増えた在宅勤務のせいで持ち帰り仕事が常態化してしまい、最近の孟徳は家でも寛げていない様子だったのだ。

「ほ〜んとここんところの在宅勤務のせいで、家まで職場になっちゃってうんざりだよ。在宅っていうから家で仕事してただけなのに、なしくずしで夜中や休日までしょっちゅう仕事が持ち込まれるようになったんだよ? うちは一応定時は十八時で土日は休みのはずなのにさ!」

「孟徳さんの会社、定時あったんですね……」

 孟徳と彼の部下の元譲や文若はいつも忙しそうにしているから。孟徳たちの会社はシフト勤務で二十四時間年中無休で営業しているのではないかと、花は少し疑っていた。

 今回の孟徳の発言で晴れてその疑念は払拭されたけど。無邪気な姫君の歯に衣を着せないお言葉に、孟徳の疲労感はいい具合に増したらしい。

「……うん、定時は一応あったんだよ。俺は役員だからあんまり関係ないけどね」

 自らの酷使され具合をはかなんだのか、孟徳は小さく息を吐いた。そして、唐突に。

「花ちゃん! 俺を癒してよ〜! もうコーヒーなんていらなくなるくらいに〜!」

 スーパーから出てまだそんなに経っていない。周囲には通行人もいて人目があるのに、孟徳は急に花に抱きついてきた。

「っ、ひゃっ……!」

 今日は孟徳と会えるということで花は慣れないヒールを履いていた。転ばなくてよかったと安堵しつつ、花は孟徳を見上げた。

「っ、孟徳さん、やめてください……! こんなところで……!」

「別にいいじゃない。誰も見てないよ。花ちゃんは外でこういうことするの嫌?」

「は、恥ずかしいです……」

「あはは、恥ずかしがる君もかわいいな。もっとすごいことがしたくなる……」

 花の小さな身体を腕の中にしっかりと収めたまま。孟徳は琥珀の瞳をすっと細めた。その奥にあるのはおいしそうな獲物をみつけた肉食獣のような獰猛な燻ぶりだ。

「ねぇ、部屋に戻ったら続きしようよ。仕事なんてどうでもいいよ。そんなことより、君と過ごす時間の方がずっと……」

「だ、だめですよ。孟徳さ……」

「――常務。白昼堂々このようなところで一体何をしておられるのか」

 花の言葉が皆まで終わるのを待たず。唐突に被せられた低い声に、花は肩を震わせた。

「ぶ、文若さん!」

「……なんでこんなところにこいつが」

「……なぜ私がここにいるか。それは常務が『俺が不便だから遠くに住むな』と私を無理やりあなたの自宅マンション付近に住まわせたからです。私とて好き好んでこのような無駄に賑やかな街で暮らしているわけではありません」

「そ、そうだったんですか……!?」

 文若が実はご近所さんだったことを知り、花は目を丸くする。その一方で孟徳は不快げに顔をしかめた。

「常務。街中では誰に見られても構わないような節度ある振る舞いを『いついかなるときも』お願いしたいと、何度申し上げればわかっていただけるのか」

 いついかなるときも、をやけに強調しながら文若は孟徳に詰め寄ってくる。独特の威圧感のある背の高い男二人が睨み合う様はなかなかの迫力で、意図せず挟まれた花の胃がキュッとなった。

(元譲さんもいつもこんな気持ちだったのかな……)

 嫌すぎる現実から逃げたくて。花は孟徳の腕の中でうっかり他の男に想いを馳せてしまうが、そんなことをしていても埒が明かない。相変わらず孟徳と文若は花を挟んで火花を散らしていた。

 花を腕に抱いているのに不機嫌を隠そうともしない孟徳は、文若を睨みつけたままふんと鼻を鳴らすと。

「別にいいだろ。こんなところまで週刊誌の記者は追いかけてこない」

「記者などおらずとも人目はあります。そもそも公共の場でこのようなお戯れをなさるのは、いかがなものかと」

 そう口にするやいなや。文若は花の腕を掴んで孟徳から無理やり引き剥がす。まさか文若にそんなことをされるなんて夢にも思わなかった。

「……ひゃっ!」

 花はバランスを崩して転びそうになり、反射的に文若の上着を掴んでしまう。履き慣れないヒールゆえのことだったが、花が文若にしがみついたそのとき。孟徳の目の色が明らかに変わった。

「っ……!」

 見間違えるはずもない、はっきりとした怒りの色だ。息を呑み目を見張る孟徳に、花は慌てて文若から離れようとするが。孟徳が花に近づけないように、文若は強引に自分の背後に花を庇ってしまった。

 文若に割り込まれているため孟徳の方には戻れない。花は仕方なく数歩ほど後ろに下がるが、その行為は孟徳の目には花が自分から文若の後ろに隠れたように映ってしまったかもしれない。いよいよ身の置き場をなくした花はひとまず文若に謝罪した。

「っ、文若さんすみません……。ヒールにまだ、慣れなくて……」

「……いや。私の方こそ、配慮が足りなかった」

 花も動揺していたが、それは文若も同じだった。初々しい恋人同士のようなやりとりを、まさか孟徳の目の前で文若と繰り広げることになるなんて。

 花にとっても孟徳にとっても信じられない展開だった。そうこうしているうちに、いよいよ孟徳の怒りは高まり、雰囲気が明らかに不穏なものになってくる。

「……お堅いお前にまさか盗癖があったとはなぁ、文若。――よほど早死にしたいとみえる」

 腹心の部下の文若を面罵する、こんな孟徳を見るのは花もあまりなかったようで、花は可哀想なほどにうろたえながら、孟徳と文若を心配そうに見つめる。

 しかし、このような困った状況だというのに。文若は一歩も引かなかった。『主君の過ちは身命を賭しても正す覚悟のある』頑固一徹な王佐の信念はこの程度では揺らがないらしい。

「私とてこの者に触れたくて触れたのではありません。そもそも常務が節度ある振る舞いをなさらないのが――」

 このままでは本当に収拾がつかなくなってしまう。

「あの、文若さん、孟徳さんも……」

 孟徳と文若の背後に威嚇しあう獅子と猛虎を幻視しながらも、花は言い合いを続ける二人を止めようとするが、何をおいても上手(うわて)なのはやはり孟徳その人だった。

「……ふん。おい、いいのか? お前がグチグチうるさいせいで余計に目立ってるぞ俺たちは」

「っ!」

 孟徳の指摘に文若はようやく周囲の様子に気がついたようだ。込み入った男女関係の痴情のもつれと思われたのか、先ほどから通行人数名に遠巻きにチラチラと視線を送られていた花たちである。

 独特の凄みのあるいい歳をしたサラリーマン風の男二人が二十歳を越えたか越えないかの少女を挟んで口喧嘩、そんなことをしていれば悪目立ちするのも当然だった。

 正論で突っかかってくる文若に、これでは勝てないと判断したのか、孟徳は周囲の状況を持ち出して煙に巻くつもりのようだった。

 やはり孟徳に口喧嘩で勝つのは難しい。いくら極めつけに優秀な文若であっても、その融通の利かなさはこの場において致命的だった。すると、己の不利を悟った文若の怒りは、やはりというべきか花に向けられた。

「……花! お前もお前だ。嫁入り前の女子学生が慎みを忘れるな。親が泣くぞ。常務の甘言に惑わされて自分を見失うんじゃない!」

「は、はいっ!」

「おい文若、お前それどういう意味だよ」

 聞き捨てならないとばかりに。孟徳はぶつくさと文句を言ったが、文若は完全にスルーする。

「とにかく、常務のことはお前がきちんと気をつけて、お前も自分を大切にしろ。わかったな!」

 こんな言われ方をしてしまえば孟徳もケチのつけようがない。

 花に孟徳の世話を押しつけて、自分の言いたいことだけを言い残して。文若はさっさとこの場を後にしてしまった。孟徳の指摘通り、これ以上ここにいて悪目立ちするのを避けたかったのだろう。

 旅行先ならいざ知らず、自分たちが住んでいる街で問題を起こして変な目立ち方をしたくないのは、当然のことだ。

「……なんか文若さんってお母さんみたいですね。ちょっと小言の多い」

「っ、花ちゃんは優しすぎるよ! あんなやつ、ただの陰険な石頭だよ!」

 ようやく平常心を取り戻したのか、先ほどまでの怖すぎるオーラを引っ込めて。いつものぶりっ子じみた口調でむくれる孟徳に、花は苦笑してしまう。

(……優しいと思うけどな、文若さんは。どちらかというと私より孟徳さんに優しいと思う)

 さきほどは流れで花を庇う形になったけど、文若が真に守りたかったのは花ではなく孟徳だ。

 経済誌や写真週刊誌の記者に追われるほどの有名人なのに、奔放な振る舞いを改めようとしない孟徳を文若はいつも心配していて、それは花も知っていた。先ほど花が孟徳に振る舞った杏子のデカフェのお茶だって、孟徳の健康を気遣って文若が花に教えてくれたものだった。

『――私の名は出さずにお前のお勧めということにしてくれ。そうすれば常務も口になさるだろう』

 けれど、今の孟徳にそんな話をしても詮無いことだ。花は不自然にならない程度に笑顔を作ると孟徳の上着の裾をきゅっと掴んだ。

「文若さんも行かれてしまいましたし、いつまでもここにいても仕方ないですよ。早くお家に戻りませんか?」

「……それもそうだね。邪魔者もいなくなってくれたし、早く俺たちの家に帰ろうか」

 花の笑顔にようやく気持ちが落ち着いてきたのか、孟徳も穏やかな笑顔を見せてくれた。

 孟徳のマンションは『俺たちの家』ではないけれど、孟徳はなぜか頻繁にこういった言い回しをしてくる。冗談なのか本気なのかはわからないけど、花は孟徳のこの手の発言が好きだった。

 やはり年頃の女の子。孟徳との未来の結婚生活を夢見てしまう。こんなこと本人に言えるはずもないけれど。



 そして、孟徳のマンションに戻ってきてから。社用スマホに秘書課のスタッフから着信があったとのことで、孟徳は再び仕事部屋に行ってしまった。

 花は買ってきたものを冷蔵庫や戸棚にしまってからリビングのソファーに腰を下ろして、置かれていたクッションを抱きしめながら文若の言葉を反芻していた。

『花、お前も嫁入り前の女子学生が慎みを忘れるな。常務の甘言に惑わされて自分を見失うんじゃない――』

 嫌味ではなく本当にしつけに厳しいお母さんのような、厳しいけど愛のある言葉。

(やっぱり雰囲気が盛り上がっちゃったからって、道端で抱き合ったりするのはいけなかったかなぁ……)

 正確には抱きしめられていただけだけど、それでも同じことだ。自由奔放な孟徳と一緒にいるとつい流されてしまうけど、文若の言う通り世間一般の常識は忘れてはいけないし。

(孟徳さんの立場のことがあってもなくても、道端でべたべたするのはよくないよね)

 ひとり反省会のあと、花は至極真っ当な結論を導き出した。あまりにも普通で芸のない。けれど、この当たり前をずっと大切にしていたいと思う。孟徳と一緒にいて、力のある彼が注いでくれる甘すぎる愛を浴び続けていると、今でも色んなことを見失いそうになってしまうから。

 花は改めてリビングを見渡した。まるで高級ホテルの一室かと見紛うような生活感のない広すぎる部屋に、窓外の都心の絶景。高級タワーマンションは別に贅沢をしたかったわけじゃなくて、オフィスから近くてセキュリティがしっかりしているところを選んだら、たまたまここになったのだと、以前孟徳が教えてくれた。

(……はぁ、でもやっぱりすごいなあ)



 花が物思いに耽っていると、ようやく孟徳が戻ってきた。

「――花ちゃん、お待たせ」

「孟徳さん」

「ごめんね。さっきからず〜っと、バタバタしてて」

「いえ、そんな……」

「……それよりも。さっき文若に触られたとこ貸して? 消毒。早く俺で上書きしないと」

「っ!」

 戻って来るやいなや。孟徳は花のすぐ隣に腰を下ろし、花の小さな左手を取って口づけてきた。ちょっと性急な、彼らしくない振る舞いに花は動揺してしまう。孟徳のことは信じているけれど誤解があったら悲しくて、花はつい言い訳めいた言葉を口にする。

「……孟徳さん、文若さんは別に下心があったわけじゃないですよ?」

「わかってるよ。でも俺は嫌だったし許せない。君に触れていい男は俺だけなんだから」

「っ」

 ちょっと拗ねたような表情は、まるでお気に入りのおもちゃを取られたヤンチャな男の子のような独占欲のようにも見える。オフィシャルな場では完璧な仮面を被る、一回り以上年上で大人な彼が見せてくれる無防備な素顔が嬉しい。

 いつもそのギャップにやられている。年相応の大人の顔と幼い少年のような顔。そのどちらも、どうしようもないほどに、好きで好きで仕方がない。この人の代わりなんて世界中のどこにもいない。この人こそが自分にとっての唯一なのだと、そんなふうに思えるほどに。

「ねぇ。さっきの続き、しようよ花ちゃん。家に着いたんだから、もういいでしょ……?」

「孟徳さん……」

「仕事もちゃんと終わらせたし、道端でべたべたするのも我慢した。――偉い俺にご褒美ちょうだい?」

 孟徳は自分の魅力を『知っている』人だ。女の子の顔を覗き込んで上目遣いでおねだりをする、そんな甘え方だって堂に入っていて。

 花の瞳をじっと見つめたまま、孟徳はさりげなく自分が着ているカシミヤのカーディガンのボタンに手をかけた。そのまま当たり前のように外し始める。

 そんな圧のかけ方はさすがに卑怯だ。孟徳の我儘な指先に、花はわかりやすく慌ててしまう。二人がいるのはベッドではなくリビングのソファーなのに。

「っ、でも……。こんなところで……」

「こんなところ、だからいいんでしょ?」

 己の勝ちを確信した、孟徳の瞳が楽しげに細められる。酷薄でどこか悪辣なその表情。
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