◆恋〇記NL小説◆

□【現パロ孟花】レットイットスノー
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(相変わらずすごい景色だなあ……)

 タワーマンションの高層階。壁を埋め尽くすかのような巨大な窓にカーテンはなく、窓外には都会のビル群と真冬の薄青い空が広がっている。

(まるで展望台みたいだけど、孟徳さんは景色なんて興味ないんだろうなあ)

 なにせここに住んでいるんだから、景色なんて見飽きてるはずだ。

 つい先ほどまで読んでいた文庫本を手にしたまま。広いリビングのソファーに座って窓の外を眺めていた花は、不意に隣の洋室に続くドアに視線をやった。その向こうは孟徳の仕事部屋だ。

 この一年で在宅勤務が増えたこともあり、孟徳は自宅マンションの部屋の一つを正式な仕事部屋にした。なので花も気を遣ってこの部屋にはあまり近寄らないようにしている。

 孟徳も仕事中の自分を花に見せたくはないようで、入ってきてということもほとんどなかった。今も向こうでは孟徳が仕事をしているはずだ。

(仕方ないんだけど、ちょっと寂しいな……)

 ちょうど年末年始の休暇中。孟徳も休みのはずだったけどやはり休めずに、仕事を家に持ち帰っていた。なので、孟徳の自宅に二人きりというシチュエーションなのにも関わらず、花も放置されがちだったのだが……。

(……そうだ、お茶を淹れて持っていこう)

 お仕事で忙しい人に構って構ってとまとわりついても仕方がないから、その代わりに。孟徳が少しでも落ち着けるように。元々自由に使っていいと言われている。花はいそいそとキッチンに向かった。



 大手企業の重役を勤める孟徳の自宅マンションとなれば、やはりさすがの豪華さだ。本邸は別にあると聞いているけど、このタワーマンションだって充分すぎるくらい広くて。

(キッチンもこんなに立派なのに、使ってる形跡がないからホントに綺麗だ……)

 不自然なまでにピカピカのシンクに苦笑しつつ、花は電気ケトルでお湯を沸かす。

(……落ち着けるようにノンカフェインのお茶にしようかな。文若さんに教えてもらったお勧めのやつにしよう)

 そんなことを考えながら、花が作りつけの棚から茶葉やポットを取り出しているうちに、お湯が沸いた。花は温めたポットに茶葉を入れ、お湯を注いで蒸らしながら、余ったお湯できちんとカップも温める。

 やがて数分が経過して、花が『そろそろいいかな』と思ったそのとき。家主がキッチンにやってきた。

「――あ、花ちゃん、ここにいたんだ」

「孟徳さん」

「リビングにいないからちょっと探しちゃったよ」

「すみません。お茶を淹れようかと思って……。孟徳さんもどうですか? ちょうど持っていこうと思ってたんです」

「……ありがとう。さっきやっと仕事も区切りがついたし、俺も一休みしようかな」

 孟徳は柔らかな笑みを浮かべると、先ほどまでかけていた仕事用のブルーライトカットの眼鏡を外した。

「わかりました。じゃあ、孟徳さんはリビングで待っていてください。すぐ準備して持っていきます」

「えっ、俺も手伝うよ! これをカップに注いで運べばいいんでしょ?」

「……は、はい。そうなんですけど」

 花と孟徳が今いるのはキッチンだ。ここで二人は立ち話をしていた。流れとして何ひとつ不自然な個所はないのだが。

「……いえっ、やっぱり大丈夫なので、孟徳さんは向こうで座っててください」

 孟徳の生活力のなさや不器用さを知っている花は、たっぷりの間を置いてから孟徳の申し出を辞退した。気遣いは嬉しいものの、下手に手を出されて台無しにされるのが嫌だった。

 二人の間に微妙な空気が流れる。なぜ手伝わせてもらえないのか、その理由は孟徳だって知っていた。

「……はい」

 たっぷりの間を置いて返事をして、孟徳は照れたように苦く笑う。そんな彼に花はもう一度念押しをした。

「…………本当に、大丈夫、なので」

「……はい」

 日本で知らない人のいない大手企業の役員として、オフィスでは皇帝のように君臨し、多くの部下たちに畏敬の念を抱かれている孟徳を、こんなふうにあしらえるのは花くらいだ。けれど花自身はそんなことにも気づかない。



「……おいしい。杏子の香りがするね」

「ルイボス茶に杏子と蜂蜜で香りづけがしてあるんです。ノンカフェインなんですよ」

「へえすごい、ノンカフェインなのにこんなに美味しいんだ!」

「気に入ってもらえてよかったです」

 二人きりの広いリビング。テレビも点いていない音のない世界だけど、孟徳と花の周囲には暖かな空気が流れていた。孟徳は花の淹れたお茶にいたく感心しているようだったけど、それが文若のお勧めだったことは伏せたまま、花は話題を変えた。

「……お仕事はもう終わったんですか?」

「うん。ちょっと無理やりだけど終わらせてきたよ」

 孟徳は少し疲れた笑顔を返すと、大きなため息をつく。

「海外の支社はちゃんと休むのにね。日本だけだよ年末年始も動いてるのは」

「そうなんですね……」

「文若のやつ、自分が独り身で仕事しかすることがないからって、休み中でもず〜っと俺のところに決済上げてくるんだ。もうイジメだろ?」

「相変わらず働き者ですね、文若さんは……」

「まったく、勤勉な部下を持って涙が出るほど嬉しいよ俺は」

 孟徳のわかりやすい嫌味に花は苦笑する。

「花ちゃん〜。俺もう家にいるの嫌になっちゃったよ〜。外の空気を吸いに行かない? お茶飲んだらどこか買い物に行こうよ」

「いいですね」

 孟徳に甘い笑顔を向けられて、かわいらしく甘えられて。花もつられて微笑む。ただの買い物だけど、二人きりでのお出かけはデートみたいで嬉しい。持ち帰り仕事で放っておかれていたからなおさらだ。

 さっきまでなんとなく寂しい気持ちだったけど、孟徳の気遣いと優しさに花の心は上向いた。



 コートを羽織って部屋の外に出た。マンションの共有スペースに、やはり人はいない。年末年始の休暇中だから、みんなどこかに出かけているのだろう。

 高層階専用のエレベーターで一階に降りると、そこにはまるで高級ホテルと見紛うような豪華なエントランスが広がっている。花と孟徳の二人はそこで一組のカップルとすれ違った。

 男性の方は三十歳は過ぎていそうだったが、細身の長身でステンカラーのコートとスラックスがいかにも優秀なビジネスマンといった雰囲気で。

 女性の方は花と同い年くらいで、ゆるく巻かれた明るい色の髪と白いダッフルコートがかわいらしかった。つば付きの帽子を深めに被っていたため目元はあまり見えなかったけど、小顔でスタイルが良くてまるで化粧品の広告に出ているモデルのようだ。

(……あれっ、でもあの女の子どこかで見たような)

 すれ違った瞬間はわからなかったけれど、数秒後に違和感を覚えて、ようやく気がついた。

「あ、あの子ってアイドルの……!」

 芸能人には興味なかったけど、いざ実際に遭遇すると驚いてしまう。さすがに振り返って叫ぶようなみっともない振る舞いはしないけど、花は小さく囁いて反射的に孟徳を見上げてしまった。すると、孟徳は一瞬だけ口元に人差し指を当てると、淡く苦笑した。

「たまにうちのマンション来るんだよ。彼氏がここに住んでるみたい」

(じゃあ、さっきのあの人が……)

 花はごくりと喉を鳴らして、先ほどの彼女の連れの男性の姿を反芻する。アイドルの彼女と並んでも見劣りしないプロポーションで、いかにもデキる男といったような感じだったけど。

(けっこう歳の差があったような……)

 それ以外はまさにお似合いのカップルだった。しかし、さすがセレブタワーマンション。住んでる人がセレブだと訪ねてくる客もセレブだ。自分だけは例外だけど。

「あれっ、でもさっきのアイドルの子のグループって」

 たしか恋愛禁止というルールで有名な。

「……だから。内緒だよ」

「……はい」

 花は神妙な顔で頷いた。きっとこのマンション内で見聞きしたことは他言無用という暗黙の協定が住人たちの間で結ばれているのだろう。相手の方も交際が明るみになっては困るだろうが、それは自分たちも一緒だった。

 日本を代表する大手企業の重役である孟徳と、普通の女子大生の自分が結婚を前提に真剣交際しているなんて。

 年の差はあっても花は一応成人しているし、やましいことのないお付き合いのつもりだけど。様々な事情を考慮して、花と孟徳は二人の関係ついて周囲には伏せていた。知っているのは両家のご家族と孟徳の腹心の部下の数人だけ。

「君はわかってると思うけど。友達や家族にも言わないで欲しいし、SNSにも書かないでね。鍵アカや裏アカでもダメだよ」

「わ、わかってますよ……」

 妙にしつこい孟徳の念押しに、花は若干の戸惑いを覚える。

(昔、誰かほかの子に口外されて揉めたことがあるのかな……)

 再び、花の心の中にもやもやとした気持ちが渦巻く。

(……そんな余計なこと考えちゃダメだ。今は久しぶりの二人の時間を楽しく過ごすことに集中しないと)

 忙しい孟徳と二人きりで過ごせる時間は貴重なんだから。胸を刺す棘のような憂鬱な物思いを、花は必死に振り払う。

 孟徳がいろんな女の子たちに人気があったのは花も知っていた。それを承知の上でお付き合いを始めたのだから、些細なことをいちいち気に病むのはそれこそお門違いというものだ。けれど、頭ではそう理解していても心はついていかなかった。

 しかし、花がひとり思い悩んでいるうちに、いつの間にか。二人はマンションの共有スペースを抜けて敷地の外に辿り着いていた。



「ん〜! やっぱり外はいいなあ! 空気も新鮮でおいしい!」

 孟徳の自宅はタワーマンションの高層階で、安全上の理由で窓は開けられない。換気は二十四時間しているらしいけど。

 思い切り伸びをする孟徳につられて、花も少しだけ身体を伸ばした。鬱々とした気持ちをなんとかして切り替えたくて、深呼吸をする。

「なんとなく上階にしちゃったけど、こうしてると地上の方が安らげる気がするよ」

 孟徳の住むマンションの付近はちょっとした公園のようになっている。今は冬で木々の緑は散り落ちているけれど、日当たりの良い空間はこのあたりの住民たちの憩いの場になっていた。

「――ねぇねぇ、手つないでいこうよ。花ちゃん」

 ここにきてようやく人心地がついたのか、孟徳は生き生きとした様子で花に手を差し出してきた。まるで少年のような、屈託のない無邪気な笑顔。孟徳が嬉しそうだと花もなんだか嬉しくなる。孟徳の笑顔はいつも元気をわけてくれる。

「……はいっ」

 孟徳に笑いかけられて、花を苛んでいた胸のモヤモヤが少しだけ和らいだ。やっと、いつもの自分を取り戻せそうな気がする。花もまた孟徳に微笑みを返して、差し出された手を取った。

「――休みらしくない休みだけど、君といると楽しいな。こうやって手を繋いで散歩してるだけでも、すごく幸せな気持ちになるよ」

 花と手をつないでいるときの孟徳は、なぜかいつも機嫌がいい。今だってすごくにこにことしている。そんな孟徳につられて、花もようやく明るい気持ちになってきた。繋いでいる手を握り返して、花は孟徳を見上げると。

「……私もです。こうやって一緒にいられるだけで、すごく嬉しいです」

「そっか」

 花の飾らない言葉に、孟徳も目尻を下げて微笑んだ。彼女の嘘のない想いがしっかりと伝わっているのだろう。

「せっかくだし、このまま少し離れたスーパーまで行ってみようか!」

「はいっ!」

 真冬の空気は冷たいけど、こうやって手を繋いでいれば手袋要らずだ。寒さが気になれば、孟徳は繋いだ手をそのままコートのポケットに入れてくれる。二人並んで道を歩くだけでもこんなに幸せな気持ちになれるなんて。

(孟徳さんとこういう関係にならなかったら、きっと知らないままだったんだろうな……)



「――花ちゃん、何か買うものある?」

「買うもの……」

 街中の高級スーパーは年末年始の休暇中でも賑やかだった。人混みではぐれないようにするためなのか、それとも単に下心なのか癖なのか。さりげなく身体を寄せて花の腰に手を回し、少しかがんで話しかけてくる孟徳に苦笑しながらも、花は彼を見上げた。

 腰に回された手はやっぱり気になってしまうけど、この程度の触れ合いで舞い上がっていたら心臓がいくつあっても足りない。孟徳と一緒にいればこのくらいは日常だから、もうすっかり慣れてしまった。ほのかに漂う男物の甘い香水の匂いにも、仕事部屋で隠れて吸っているらしい電子煙草の匂いにも。

「……ノンカフェインのお茶が欲しいです。もうすぐ買い置きが切れてしまうので」

「そっか。じゃあ俺もコーヒー買い足しておこうかな、どうせ沢山飲むし。……他には何かある?」

「そうですね……」

 飲み物以外にはすぐにつまめるお菓子やフルーツにお惣菜を買うことにして。孟徳と花の二人は売り場を巡って買い物をすませた。
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