◆恋〇記NL小説◆

□【猫パロ孟花】俺が子猫で丞相も俺で
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『……いいよな、こいつは。仕事もしないでずっと君のそばにいて、ちょっと鳴けば構ってもらえる。あーあ、俺も猫に生まれてくれば良かった』



 なんてことを口にしたのがいけなかったのだろうか。

 ある日の朝。漢の丞相曹孟徳は寝台の上で途方に暮れていた。隣にはすやすやと眠る愛しい花の姿がある。しかし、今日の彼女はやたらと巨大に見える。

 孟徳は改めて己の手のひらに目をやるが、そこにあったのは桃色の肉球だ。先ほど部屋の銅鏡で確かめてみたが、己の頭上には三角の大きな耳があり、全身はふわふわの毛並みで覆われ、尻には長い尾があり、身体の大きさもすっかり縮んでいた。

 孟徳は改めて花を呼んだ。しかし、その口から出るのは「ミャアア」という鳴き声ばかりで、人の言葉は出てこない。そして花はやはり起きない。

(……嘘だろ。本当に猫になるなんて)

 こんな奇怪がまさか自分の身に起きるなんて思いもしなかった。花と一緒にいて不思議には慣れたつもりだったのに。

(……ねえ花ちゃん、花ちゃん起きてよ)

 孟徳は可憐に惰眠を貪る少女の肩を猫の手でつついた。いつもよりずっと大きく感じる彼女の顔の近くで「ニャアニャア」とうるさく鳴いてみる。

 昨夜張り切りすぎたせいか、愛しの花は一向に目覚める気配がない。しかし、彼女に起きてもらわなければ困る孟徳は最後の手段に出た。

(――花ちゃん! 花ちゃん! 起きて!)

 孟徳は長いしっぽで花の顔をくすぐった。ふわふわの猫の尾によるくすぐりだ。これなら効くはず。すると、ようやく花が瞬きをした。

「……う、うーん。あ、あれ……?」

(花ちゃんっ! 俺だよ俺っ! なんでかわからないけど、朝起きたら猫になってて……!)

 猫の孟徳は必死に花に訴えるが、あいにくその口から発せられるのは「ミャアミャア」という鳴き声ばかりだ。

 一方の花は朝から見知らぬ猫に纏わりつかれて驚いたのか目をぱちくりとさせると、ふにゃりと相好を崩した。

「猫ちゃん、おはよう。どうしたの? 孟徳さんに入れてもらったの? 元気だね」

(花ちゃん! 俺が孟徳だよ! あと元気なんじゃなくて焦ってるんだよっ!)

 猫の孟徳は目覚めた花に己の窮状を必死に訴えるが、残念ながら花の目にはやたらそわそわしている知らない猫としか映らない。孟徳の口からは相変わらず「ニャアニャア」という鳴き声しか発せられず、事態は完全に行き詰っていた。

 しかし、そんなひとりと一匹の騒ぎを聞きつけたのか、不意に扉の向こうから穏やかな声がかかる。

「――花様、いかがいたしましたか?」

 花付きの侍女の鈴麗(リンリー)だ。

「鈴麗さん。来てください。子猫がいるんです」

 起きぬけで乱れていた身なりをできる範囲で整えてから、花は鈴麗を呼んだ。先ほどからずっと隣室に控えていた鈴麗は花の許可を得てからようやく入室し、花と孟徳のそば近くまでやってくる。

「まぁ。花様、そちらの子猫は……?」

「わかりません。朝起きたらこの子が枕元にいて……。私には覚えがないんですけど、何かご存じですか?」

「さぁ……。私どもは何も……」

「孟徳さんの飼い猫なんでしょうか……?」

「そのような話はお聞きしていませんが……」

「そうなんですか?」

 花と鈴麗は顔を見合わせて不思議がる。孟徳はあまりのじれったさにそわそわとしてしまうが、猫の姿では間の抜けた空気を醸す二人をただ見ていることしかできない。

(……このままじゃ埒が明かないな。予想できたことだけど)

 孟徳もまた事態を打開するために考えを巡らすが、やはり何も思いつかず。

(……子猫の姿じゃ仕方ないよなぁ。でもまあせっかくの機会だし、元に戻るまで花ちゃんに甘えて過ごせばいいか)

 しかし、孟徳がそう結論を出したそのとき。

「……どうしましょうか。猫ちゃんはかわいいんですけど、ここに置いておくわけにもいきませんよね」

(えっ、花ちゃん!?)

「誰かの飼い猫なら飼い主を探さないといけませんし、野良なら元居た場所に返さないと」

 真面目な顔でもっともらしいことを口にする花に、孟徳はかつてないほどうろたえる。

(花ちゃん!? ちょっと待ってよ! 俺を捨てるの!?)

 花にとっては自然な成り行きかもしれないが、孟徳にとっては寝耳に水の発言だ。

「そうですね……。ここで飼うのはやはり……」

 侍女の鈴麗も神妙な面持ちで孟徳に追い打ちをかけてくる。

(おい鈴麗! 同意するな! 花ちゃんに俺を捨てさせようとするんじゃない!)

 このまま箱に入れられて捨てられたのではたまらない。主人を守らない侍女に毒づきながらも、孟徳は必死に花に取りすがる。

「ニャウッ! ニャウッ!(花ちゃん! 嫌だよ! 俺を捨てないで! 君のそばに置いてよ!)」

 これまでの人生で「捨てないで」としがみつかれたことはあっても、しがみついたことはなかった。孟徳にとっては初めての体験だが、今の状況でなりふりなど構っていられない。大きな瞳を限界まで見開いて、声の限り鳴き叫びながら孟徳は花にへばりついた。

「わっ、急にどうしたの?」

「フンニャー! フンギャアアア!」

 すると侍女の鈴麗がくすくすと笑った。

「ずいぶんと花様に懐かれているご様子ですね」

「どうしましょう。猫ちゃんはかわいいんですけど、飼うとなると孟徳さんが」

「ニャウウッ! ニャウウウッ!(花ちゃんっ! 違うよ! 俺が孟徳だから!)」

「困りましたね……」

 ほとんど絶叫しながら花にすがりつく孟徳だが、花は意見を変えるつもりはないようだ。完全に猫の孟徳を捨てるつもりでいる。

「フニャアアアアアアア!(おい鈴麗! 困ってないでお前も花ちゃんを説得しろ! お前、昔猫が好きとか言ってなかったか!? 俺は覚えてるぞ!)」

 特技は暗記。面接の際の侍女の発言をきっちり覚えていた孟徳である。

 孟徳は理不尽な怒りを侍女に向けるが、身も世もなく鳴き叫び花にしがみつく見知らぬ子猫がさすがに不憫になったのか、猫好きの鈴麗は孟徳に助け船を出してくれた。

「……本日の昼餉のときに丞相にご相談されてはいかがですか? 花様のお願いでしたら丞相もお許しくださいますよ」

(鈴麗! 偉いぞ! 褒美にお前は二階級特進だ!)

 それは戦死だ。しかし気が動転している孟徳はそれに気づかない。

「はい、そうします!」

 先ほどとは打って変わって、花はぱあっと表情を明るくした。鈴麗に励まされて希望に燃えているようだ。

 花は孟徳の前足の付け根に両手を入れて抱え上げると、柔らかく微笑んだ。

「よかったね、猫ちゃん。これからも一緒にいられるように、孟徳さんにお願いしてみるからね」

「ニャウッ!(ありがとう、花ちゃん!)」

 先ほどは取りつくしまもなかったが、侍女の助けでなんとか危機を脱して孟徳はご機嫌だ。

(……ん?)

 しかしここで孟徳はようやく重大な矛盾に気が付いた。本日の昼餉のときに相談とはどういうことだろう。ここには人の自分もいるのだろうか。

 そういえば丞相の雲隠れと騒ぎになっていないのもおかしな話だ。これだけの時間執務を離れていれば騒動になっているはずなのに、花も侍女もいつも通りで、部屋の外も静かだった。

(どういうことだ……?)

 不審に思うが猫の身では確かめようもない。自分の執務室に行こうとしても途中でつまみ出されるのが精々だろう。孟徳は仕方なく昼餉の時間まで花の部屋で過ごすことにした。



***



 しばらく前にこの城内で起きた丞相暗殺未遂事件。丞相の孟徳を庇って刺客に刺された花はなんとか一命を取り留めたものの、今も日々の時間の多くを寝台の上で過ごしていた。

 傷は一応塞がったもののまだ痛むことがあり、過保護すぎる孟徳の意向で療養に専念させられていたのだ。

 以前と違って仕官しているわけでもない、花の毎日は平和そのものだ。先ほどまで部屋にいた侍女もすでに下がり、今は花と孟徳の二人きり。

 花は寝台から身を起こし、黙々と書簡を読んでいた。以前、当時の上司だった文若に用意してもらった文字の教本や兵書だ。寝台の近くの机には筆や硯と言った筆記具がいつでも使えるように準備されている。

(そういえば気が向いたときにひとりで勉強してるって言ってたな)

 健気な花に心を震わせながらも、孟徳は彼女の腕の中でその温もりを堪能していた。ごろごろと喉を鳴らしながら目を閉じていると、優しい花の声が降り落ちてくる。

「……猫ちゃん、可愛いね。どこから来たの?」

「ニャーニャー」

「う〜ん、何て言ってるかわかんないや」

「ニャウ……」

「ごめんごめん」

 何の生産性もない不毛な会話である。しかし、孟徳は気にならなくなっていた。

 元々あまり悩まない方だ。気にしても仕方のないことを気にするのは無意味に思うし、理不尽な状況でも現状が変えられないならいっそ楽しんでしまおうと、孟徳は決めてしまっていた。

(ま、俺は花ちゃんと一緒にいれるなら何でもいいしね)

 孟徳は「ニャン」とひと鳴きすると、花の身体に頭をぐいぐいと押しつけた。猫の頭突きは愛情表現だ。

(ねえ、もっと構ってよ。花ちゃん)

 勉強にかまけて自分を放置している花を誘惑しようと、孟徳は大きな瞳をきらきらと輝かせて熱い視線を送る。花はそんな孟徳を見おろして優しく微笑むと。

「……猫ちゃん、これからも一緒に過ごせるようにお昼に孟徳さんにお願いするから、ちゃんとお利口さんにしててね」

「ミャウ……」

「心配しなくても大丈夫だよ。孟徳さん優しいし、きっと許してくれるよ」

「ミャア……(不安だ……。不安で仕方がない)」

 花に言われずとも自分のことなど自分が一番よくわかっている。孟徳は心の内でつぶやいた。

(俺のことを優しいって言ってくれるのは花ちゃんくらいだよな)

 小さくてかわいらしいものは嫌いではない。けれど自分から花を奪おうとするなら話は別だ。自分のことだからきっと花のいない隙に。

『このっ、お前なんてカラスに襲わせてやるからな!』

 それくらいのことは言い出しかねない。邪魔な奴を事故にみせかけて殺す程度はお手のもの。恋敵が自分だなんて最低だ。しかも権力にものをいわせて好き放題。

(仕事はしたくないが権力は欲しいな……)

 可愛い子猫の姿のまま、曹孟徳は権力を渇望する。そんな孟徳の心の内はつゆ知らず、花は再び話しかけてきた。

「ねぇねぇ猫ちゃん」

「ニャ?(なあに? 花ちゃん)」

「ずっと猫ちゃんじゃなんだし、私が名前をつけてあげよっか?」

「ニャッ?(えっ、ほんとに?)」

「うん。さっき考えたんだ。『マオくん』はどう?」

「ミャウ……(安易だね……。花ちゃん……)」

 得意満面の笑みを浮かべる花に、孟徳は生ぬるい笑顔を返す。そのまんまだ。けれど。

(でも、君がつけてくれる名前ならなんでもいいよ。俺は喜んで受け入れる)

 猫の孟徳は喜びを込めてひと鳴きした。

「ニャオ〜〜ン」

「気に入ってもらえてよかった」

 猫の姿とはいえご機嫌なのは伝わるらしい。花は嬉しそうに笑うと、手にしていた書簡を閉じて脇に置いた。

「それじゃあ、呼んだらお返事してね。――マオくん!」

「ニャッ!」

「わ〜〜上手! じゃあもっぺん呼ぶね、マオくん!」

「ニャ!」

「上手〜〜!」

 きちんとお返事をする孟徳に、花はおおはしゃぎだ。勢いあまって猫の孟徳をぎゅっと抱きしめる。花の控え目な胸が全身に押しつけられ、孟徳は喜びを嚙みしめるが。

 しかし、自分は一体何をやっているのだろうか。ふと我に返ってしまった、孟徳は複雑な気持ちになってしまう。

 おかしな名前を付けられてニャアニャア返事をし、あまつさえそれを上手上手と褒められて。花は嬉しそうにしているし、自分も猫の姿なら仕事も何もせず、ただ安穏としていられるけど。

(……花ちゃんの抱っこは最高だけど、人が動物になるなんて、なんでまたこんなことになったんだろうな)

 人が動物になる変身譚といえばかの有名な人虎伝だ。あの彼は臆病な自尊心と尊大な羞恥心のために虎になってしまったが、自分ときたら。

(『働きたくない』で子猫になったな)

 そんな馬鹿な。確かに仕事はしたくないが、この曹孟徳ともあろう男が。

(……でもまあいいか。仕事は代理がしてくれてるみたいだし)

 なにをどう心配しようが、子猫の姿ではどうすることもできないのだ。孟徳は気にしても仕方ないことは気にしないことにして、花の腕の中でゴロゴロと喉を鳴らした。
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