◆薄〇鬼NL小説◆

□【SSL土千】春に託す
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 最初はただ隣にいれるだけでよかった。けれど、平和な世界でその願いが叶ったいま、ただそれだけでは満たされなくなってしまった。

 いつの間にか、私はずいぶんワガママになっていたみたい……。今日はそんなある日のお話。



***



 年度末。春休みも終わりに近づいたある日の夜遅く。

 自宅マンションのキッチンの換気扇の下で、土方はタバコを吸いながら、持ち帰り仕事の書類の束に目を通していた。

 週明けの午前中にある会議で使う書類。すでに一通り読み終えてははいたもののやはり気になって、いまいち寝付けずにいる今の時間を潰すようにページを繰っていた。

 平日も仕事をして、休日でも何かあるたびに仕事のことを考えて。そんな自分は確実にワーカホリックなのだが。

「……っと、もうこんな時間か」

 傍らに置いていたスマホに表示された時刻を目にして、土方は我知らずつぶやく。いい加減寝室に戻らなければ何を言われるかわからない。この仕事漬けの日々の唯一の癒しである自分の恋人に。

「……あいつは最近小言が多いからな」

 苦笑しながら、土方は灰皿にタバコの火を押しつける。愛用の蓋付きのステンレスの缶の灰皿だ。丸く平たい紅茶缶を少し大きくしたもので、蓋を閉めれば灰が散らず匂いも防げて、携帯灰皿にもなる優れもの。

 そういえばこれも、タバコの匂いが苦手だという彼女のために買ったものだった。そして、自分の部屋だというのにこうやって隠れるようにタバコを吸っているのも、元はといえば……。

「あっ、やっぱりここにいました! 歳三さんっ」

「……千鶴、起きちまったのか」

「起きてしまいますよっ。二人で眠ったと思ったのに気がついたらいつもいなくなってて! 夜はちゃんと寝てくださいっていつも言ってるのに、また隠れて起きて仕事して! タバコも控えてくださいって言ってるじゃないですか!」

「別にいいだろうが。俺は他のヤツと違って酒も飲まねぇし賭事もしねえんだから、たまの一服くらい……」

「たまのじゃないですっ。こんな毎日遅くまで働いてタバコまでたくさん吸ってたらいつか倒れますよっ。それに歳三さんは飲まないんじゃなくて飲めないだけじゃないですかっ」

「…………」

 すっかり口うるさい姉さん女房と化してしまった年下の恋人に、土方はすっかりやりこめられる。鬼の教頭先生にこんな振る舞いができるのは、恋人であり元教え子の千鶴だけ。

 けれど知っている。元々穏やかで優しい彼女がここまで文句を言うのは、自分を心配しているからだ。

「もう、不摂生して病気になったら、歳三さんの大好きなお仕事だってできなくなるんですよ! わかってるんですか」

「わかってるよ。ったく、最近のお前はいつもこの調子だな」

「……だって」

 不意に千鶴は眉を下げ、しょんぼりとした顔をする。先ほどまでの威勢はどこへやら、すっかり寂しそうな様子だ。そんな彼女に土方は苦笑すると。

「……わかったよ、悪かったな。歯磨きしてすぐ戻るから、お前は先に寝室に戻ってろ」

 千鶴の頭をポンポンと撫で、土方は彼女をキッチンに残して洗面台に向かった。



 歯磨きをしながら、土方はここ数週間の自分自身を振り返る。優しい千鶴が口うるさくなっているときは大体、自分が無理をしているときか、千鶴が寂しくて拗ねているときだ。

 今は忙しい年度末とはいえ、そこまで無理をしているつもりはなかったが……。

(……仕方ねぇな。あいつの寂しさを埋めてやるのも俺の仕事だからな)

 心のうちで、土方はつぶやく。鏡に映る自分の目尻はわずかに下がり、穏やかに笑っているようにも見えた。



 そして、ようやく寝室に戻ってベッドに体を滑り込ませると、待ちかねていた様子の千鶴が早速すりよってきた。あまりのわかりやすさに、土方はまたも苦笑する。

「なんだよ。お前は相変わらず、寂しがり屋なんだな」

「……そんなことありません」

 即座に否定が返ってきたけど、それが強がりなのは明らかだった。むくれている。社会人も二年目になるというのに、微笑ましいほどの子供っぽさだ。無邪気で素直でわかりやすい。

 しかし、そんな千鶴はおもむろに眉を寄せると、少し困ったような顔をした。

「……歳三さん、なんだかタバコの匂いがします」

「そうか? さっき歯は磨いたんだがな」

「……多分、お洋服からだと思います」

 近い距離でくっついているからこそわかる、わずかな匂い。タバコの苦手な千鶴はかすかな残り香でも気になるらしい。

 土方の胸に顔を埋めたままどこか困っている様子の千鶴に、つい加虐心をそそられて。土方は気づかぬうちに、意地の悪い笑みを浮かべていた。

「服の匂いが気になるなら脱いでやろうか? 何なら、そのまま抱いてやってもいいぞ。最近相手してやれなかったからな」

「べっ、別にいりません!」

「なんだよ。いらねぇのか」

「も、歳三さんは……。からかわないでください……」

 淡く頬を染めながら、しかし千鶴は土方の気をそらすように話題を変えた。

「そんなことより……。タバコってそんなにおいしいんですか?」

 来た、お決まりの質問だ。土方は内心で苦虫を噛み潰す。若い女性の喫煙のきっかけは年上の彼氏にベッドで吸わせてもらったから……。ありがちな展開だが、千鶴にタバコなど吸わせたくなかった土方は、大げさに顔をしかめてみせた。

「……お前はダメだぞ。あんなもん吸ってもいいことなんざ何ひとつねぇんだ」

「歳三さんはは吸ってるくせに……!」

「俺はいいんだよ、大人だからな。だがお前はダメだ」

 自分は先日寝タバコでうっかりシーツを焦がしたことを棚に上げ、土方は元教え子でもある恋人を教師然とした口調で叱る。くだらない背伸びはしなくていいとばかりに。

 しかし、それを子供扱いされたと思ったのか、千鶴はムキになって言い返してきた。土方にそんなつもりはなくても、千鶴のコンプレックスを刺激してしまったらしい。

「私だって大人です……! もう、あの頃とは違うんですよ……!」

 あの頃とは、きっと千鶴がまだ薄桜学園に在学していたときのことだろう。十代の高校生だった頃の千鶴の姿が、一瞬だけ今の彼女に重なるが、その幻はすぐに消える。

 そう、土方は。高校生の彼女と自室のベッドで抱き合ったりなど決してしない。彼はそういった厳格さや高潔さを持った教師であり男であり、千鶴もまたそんな土方だからこそ惹かれたのだ。

 そのせいで二人の想いが実るまでには五年もの年月がかかってしまったのだが、それはもう今となっては遠い昔の思い出話。

 けれど、そんなことでいちいち自分に食って掛かってくる彼女が愛しくて。土方はつい売られた喧嘩を高価買取してしまう。

「……ほぉ。子供じゃねぇってことは、今からお前を大人の女扱いしていいんだな」

 大人になった今は鳴りを潜めているけど、昔から悪ガキで数々の女性と浮名を流した気位の高い喧嘩番長。普段は仕事一筋でも、色事には密かに自信があった。

 芸能人並みの容姿で昔から女性に不自由したことがないのもご自慢で、今だって枯れたつもりはさらさらなくて。

「えっ? ……っ!」

 土方は戸惑う千鶴を組み敷くと、好戦的な笑みを浮かべた。普段は真面目なふりをしていても、やはり男の性というべきか。情事と喧嘩の前には血が騒ぐ。年甲斐もなく妙な興奮を覚えてしまって。

「と、歳三さん……! こんなっ、いきなり……!」

「いきなりじゃねぇよ。想い合ってる大人の男と女が一緒に寝てるんだ。当然のことだろ?」

「っ!」

 土方にここまで口にされて。ようやく千鶴は自分が彼をうっかり挑発してしまったことに気がついた。けれどもう遅い。

「……別に構わねぇだろうが。最近すっかりご無沙汰だったんだからな。こうやって俺の相手をするのも、お前の仕事だろう?」



***



 タバコの匂いのする口づけは、千鶴にとっては少し苦い。恋人とのキスは甘いものだと思っていたけれど、土方とこのような関係になって初めて、千鶴は甘くないキスもあるのだと知った。

 苦みの奥底に燻るほのかな甘さを探すような口づけはまさに大人の味で、そして土方自身のようでもある。厳しさの奥にある愛はきっと、苦くて甘くて切ない味がする。まるで高カカオのチョコレートのような。

 最初はこの苦くて甘いキスにも慣れなかったけど、今はむしろこれが何よりも好きになってしまった。チョコには依存性があるというけど、チョコのようなキスにも依存性があるのだろうか。

(……歳三さん……)

 心のうちで、千鶴は愛しい人の名を呼ぶ。何度となく角度を変えながら、千鶴は土方と深い口づけを繰り返す。美味しいお菓子をもう一口もう一口と求めるように、何度も何度も。

 口づけの合間に、土方は千鶴の寝衣をさりげなく脱がしてゆく。大人の男らしい慣れた手つきで。けれど、それに千鶴が嫉妬を覚えることはない。

 その背を追うだけでなく、いつか隣に並び立ちたい……。その一心でこの五年以上がむしゃらな努力を重ね続けた千鶴にとって、土方の過去の女性遍歴など些末なことだ。

 千鶴の胸の中にあるのは大好きで憧れで、その背をずっと追い続けた土方にようやく追いついて、同じ立場の人間として隣に並べた喜びだけ。こうやって大人の女として彼に愛してもらえることも幸せで仕方がなくて。

 寝室のカーテンの隙間から差し込む月の光に照らされて、土方の端正な美貌はますますその凄みを増す。月光の中の土方はきっと、この世界の何よりも美しい。そう。百代の昔、初めて出逢ったときも。彼は美しい月を背にしていた。

「……ったく。俺みてぇな男に捕まっちまうなんざ、お前も運のない奴だな」

 切れ長の瞳を細めて、土方は出逢いのときに交わした言葉を再び口にする。しかし、その響きは意外なほど甘く優しい。

「……そんなことないです。私は歳三さんを好きになって幸せです」

「……ああ、わかってるさ」

 迷いのない瞳で千鶴は土方を見上げる。彼もまた千鶴に小さな頷きと穏やかな笑みを返して。そのまま、土方は一糸まとわぬ姿の千鶴に甘く囁いた。

「……綺麗だよ、千鶴。見惚れちまう」

 可愛いという言葉を選ばなかったのは、誰よりも大人にこだわる千鶴への土方なりの思いやりだ。千鶴は感動に瞳を潤ませる。

「っ、歳三さん……」

 淡く頬を上気させ、千鶴もまた土方に囁き返す。

「……歳三さんの方がずっと綺麗です」

「照れ隠しなんざしてんじゃねぇよ」

「し、してませんよ……」

「してるだろうが」

 甘いやりとりを続けながらも、土方は自身の着衣を脱ぎ捨てた。鍛えられた体躯が千鶴の眼前に晒される。

「……っ!」

 無意識のうちに千鶴は小さく息をのむ。もう何度も目にしているはずなのに、土方の引き締まった身体はとても男らしくて色っぽくて、千鶴は恥ずかしさのあまり頬を染め、視線をそらしてしまう。

 土方はそんな彼女を見おろしながら仕方なさそうに吐息だけで笑うと、そのまま覆い被さるようにして千鶴に体を重ねてきた。

「……悪かったな。しばらく構ってやれなくて」

 千鶴の首筋に顔を埋めたまま紡がれる土方の謝罪は恋人らしい甘さで、どこかくすぐったい。

「歳三さん……」

 まるで大好きな母や姉に失敗を咎められた小さな男の子のように、らしくなくしょげた様子で謝る土方に、千鶴は思わず胸をときめかせてしまう。

 どんな大人にも子供のような部分があると教えてくれたのも、そういえばこの人だった。その頃はまだ教師と生徒という関係でしかなかったけど、お互いに淡い思いを抱いていた。

 土方は千鶴を腕に抱いたまま、訥々と続ける。

「新年度が始まる前は、どうしても立て込んじまうんだよ。だがもう、それも終わったからな……。今度、二人でどこかに出かけてみるか。お前の好きなところでいい」

「……本当ですか?」

 いつも忙しい土方からのデートのお誘いに千鶴は感激してしまう。

「ああ。生徒のいない遠方に、泊まりで行くのがいいかもな。考えとけよ」

 やましいところのない関係でも見つかって茶化されるのが嫌だから、生徒たちがいそうなところは避けようとする。そんなところも彼らしかった。

「はい……」

 千鶴は嬉しさのあまり頬を染めて涙ぐむ。土方もそんな彼女に優しい笑みを返して。

「……さて、続きするぞ」



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