◆薄〇鬼NL小説◆
□【SSL原千←沖】それぞれの夏休み
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夏休み中のある日のこと。エアコンのきいた室内で。
「すみません……。左之助さん……」
「いや、別に構わねぇよ。こんなこともあるさ」
青白い顔をして自室のベッドで横になっている千鶴に、原田は淡々とした様子で付き添っていた。
今日は二人でお出かけする予定が、千鶴の体調不良で中止になっていたのだ。
「……俺もちょうど夏バテ気味だったし、今日は二人でゆっくりしようぜ」
けれど、やはりさすがというべきか。デートの予定が狂っても原田は少しも気にした様子を見せずに、優しく千鶴をフォローする。
けれど、千鶴はそのフォローがなんとなく嘘だと気づいていた。現役の体育の先生であり、たくましいスポーツマンの彼が夏バテだなんて考えられない。今だって元気そうなのに。
原田の気遣いに、千鶴はますます恐縮してしまう。
「……すみません」
「気にすんなって。それより、何かいるものがあれば買ってくるぜ? 痛み止めとか鉄分がいるんだろ?」
「……痛み止めもお薬も、さっき飲んだので大丈夫です」
「そうか、ならよかったぜ」
ここまでで、二人の会話がいったん途切れた。そう広くない室内に沈黙が落ちる。なんとなく手持ち無沙汰な様子の原田に、千鶴は何か言いたげに視線を送る。
ややあって、先に口を開いたのは意外にも千鶴の方だった。
「…………あの、左之助さん」
「……なんだ?」
「…………えっと」
「どうしたんだよ?」
「…………その」
明らかに何かを言いあぐねている千鶴に、原田は不思議そうな顔をする。
「……なんだよ。ちゃんと言ってくれねぇと、さすがの俺でも困っちまうぜ?」
穏やかに苦笑する原田にそこまで言われてしまって。ようやく決心がついたのか、千鶴はおずおずと口を開いた。
「……添い寝、してほしいんです。ダメですか?」
まるで幼い子供が父や兄に甘えるように紡がれた願い。病に伏せる恋人のささやかな願い事だ。もちろん、それを断る原田ではない。
「……ったくお前は、何かと思えばそんなことかよ。いいぜ、それくらいお安いご用さ」
彼女の頭を優しく撫でてやりながら、原田は続ける。
「ぐずぐずしてるから何かと思えば……。添い寝なんていくらでもしてやるから、お前も変な遠慮せず、して欲しいことがあるなら言ってくれよ」
「……はい」
包み込むような原田の優しさに、千鶴は弱々しいながらも笑みを浮かべる。原田もまた微笑みを返すと。
「じゃあ、着替えでもするか。俺の部屋着、使わせてもらうぜ?」
まだ千鶴の部屋に来たばかりの原田は、外出着のままだった。ハリのある生地のパンツにTシャツ。夏らしい爽やかなコーデだが、添い寝するには不適当だ。
千鶴に断りを入れてから、原田は部屋の隅の洋服ダンスの方へと向かう。そこには原田の着替えが入れてあった。パジャマとしても使っているワンマイルウェアだ。
「――こうやって、お前の部屋で寝るのも久しぶりだな」
ようやく、同じベッドに入って。弱っている千鶴を気遣いながら、原田は声を落として囁くように話をしていた。
柔らかく甘い低音で紡がれる原田の問わず語りを耳にできるのは、恋人である千鶴の特権だ。こうしているときが一番幸せかもしれない。千鶴は夢うつつにそんなことを思う。
「ここんとこ、ずっと俺の部屋だったもんな。いつも来させてばっかりで悪かったな」
「……いえ」
「そういえば、俺の部屋の掃除とかも……。いつも手伝わせちまって、すまねぇな」
「そんなこと……」
「お前が大変なときは俺が手伝うから、何でも頼ってくれよ」
「……ありがとう ……ございます」
千鶴にとってはまだ学生で時間の融通の利く自分が、忙しい原田の手伝いをするのは当たり前のことだったが。改めてお礼を伝えてもらえたことがとても嬉しく、彼の優しさに千鶴は感激してしまう。
心身が弱っているせいか、何気ないいたわりが心に染みて、涙がこぼれそうになってしまった。
千鶴もまた原田への日頃の感謝を伝えようとするが、いかんせん身体を蝕む倦怠感と痛みはすさまじく、口を開くのも辛いため、一言二言の素っ気ない返事をするだけに留まってしまっていた。
せっかく大好きな原田と一緒にいて、もっとお喋りしたりくっついたりしたいのに、体調のせいでできずにいた。
(もっと、左之助さんに近づきたいのに……)
けれど、勘のいい原田は千鶴のそんな想いにも気がついたようで、彼の方から身体を寄せてきた。
「左之助さん……」
「……何か、喋ってた方がいいか? それとも、静かにしてた方がいいか?」
寝込む千鶴の背を掛布団越しになでてやりながら、原田は気づかわしげに尋ねてくる。
「……もっとお話ししてください。左之助さんのお話聞きたいです」
弱っている自分を過剰に心配してくる原田を安心させるために、千鶴は笑みを作る。ただの貧血をそこまで気遣われるのは申し訳なかった。
力ないながらも笑顔を浮かべる千鶴に、原田は一応の安堵を得たようで、彼女の小さな背をさすってやりながら、改めて口を開いた。
「そうか。じゃあ、何か楽しい話でもするか」
「……はい」
穏やかに微笑む原田に、千鶴も頷きを返す。原田は千鶴を片手でそっと抱き寄せて、彼女の顔を自分の胸に埋めさせてから、訥々と語りだした。
「そういえば、このあいだ新八と平助と総司で海に行ったんだぜ」
「……そうなんですか?」
「ああ、トレーニングも兼ねてな。砂浜で走り込みして、何キロか泳いで……」
「すごいです……」
あまり運動をしてこなかった千鶴にとっては、走り込みという単語も泳ぐ単位がキロというのも、馴染みがなく新鮮だ。原田は囁くような声で話を続ける。
「……って、つもりだったんだがな」
「え?」
話の雲行きがにわかに怪しくなり、千鶴は戸惑う。原田は小さなため息をつくと。
「総司の奴が浜辺でナマコ何匹か見つけちまって」
「……」
「あいつすげぇんだぜ、黒ナマコ手づかみしてこっちにぶつけてくるんだ」
「沖田先輩……」
「しかも顔面狙いばっかしてきやがる。俺は避けれたが平助が食らってたな」
「平助くん……」
ヌメった黒ナマコを顔面にお見舞いされて「何すんだよ総司!」と怒る藤堂と、「別にいいじゃない」と黒い笑顔を浮かべる沖田の姿が、千鶴の脳裏にありありと浮かぶ。
「結局、ナマコ持って追っかけてくる総司から逃げたり、
ナマコに飽きたら普通に海で遊んじまったな。トレーニングのはずだったんだが」
「楽しそうです」
「ああ、楽しかったぜ。今度は二人で行ってみるか? 多少の泳ぎなら教えられるしな」
「はい」
「……じゃあ決まりだな。今日はしっかり休んで、早く元気になれよ」
そう言って話題を終えると、原田は淡く微笑んで千鶴の額に唇を触れさせてきた。まるで幼子をあやす父や兄のような仕草だけど、優しい口づけに込められたいたわりの気持ちに嬉しくなった千鶴は、柔らかな笑みを浮かべる。
お喋りで気がまぎれたのか、さきほどまでの倦怠感や痛みも楽になった気がした。
***
一方その頃。容赦ない盛夏の日差しの照りつける駅前の繁華街を、三人は連れだって歩いていた。沖田に藤堂に永倉だ。
「はぁ暑い……。信じられないくらい暑いんだけど……」
不機嫌そうに眉を寄せながら、低い声でつぶやいたのは沖田だ。こめかみには汗が浮かび、長い前髪が額に貼りついている。
「暑いって言うなよ総司……。もっと暑くなる……」
今にも倒れこみそうな様子でそう続けたのは藤堂だ。おぼつかない足取りながらも、なんとか沖田についていこうとしていた。
しかし、よほど虫の居所が悪いのか沖田はそんな藤堂を睨みつけると。
「……一番『暑い』って言ってるのは平助だよね。ちょっと黙っててくれる?」
「……なっ!」
こんなものは完全なる八つ当たりだ。しかし藤堂が言い返す前に、すかさず仲裁が入る。
「おいおい総司、落ち着けって」
永倉だ。沖田と藤堂がかつて在籍した高校で教師として勤務している彼は、日頃の気さくさとは別に、ときおり大人らしい生真面目な顔も覗かせる。
そんな永倉の言葉に多少の冷静さを取り戻したのか、沖田は建設的な提案をし始めた。
「……ねぇねぇ、新八さんに平助もどこか店入らない? 僕もう無理」
「そうだな……。じゃあどこか安くて休めそうなとこ探すか」
沖田に水を向けられて、永倉はあたりを見回した。繁華街らしく喫茶店やファーストフード店などが目につくが。
「まいったな。どこも混んでそうだぜ……」
夏休み期間中のせいか、どこも人であふれていた。しかし、目ざとい藤堂がよさそうな場所を発見する。
「――あっ総司もぱっつあんも! あそこにフリードリンクのカラオケあるし!」
「じゃあそこにしよっか。ちょうどよかった」
友人たちのおかげで思いのほか早く落ち着けそうな場所を見つけられ、沖田はあっさりと機嫌を直す。まるで気分屋の子供のような。もう大学二年になるのに、沖田のそんなところは未だ健在だった。
さっそくカラオケ店に入って受付を済ませ、沖田たちは店員からマイクやグラスの入ったカゴを受け取る。カラオケ店の明るく開放的なロビーは、多少混みあってはいたもののしっかりと冷房がきいており、三人はようやく人心地をつけた。
「ふあ〜〜 やっぱ店の中は涼しいよな〜〜 生き返るぜ!」
「カラオケかぁ〜〜 久しぶりだよな!」
ぐいっと伸びをする永倉に、ワクワクと楽しそうにしている藤堂。
「すぐに入れて良かったよね。僕らの部屋は二階だってさ」
沖田もまた上機嫌な様子で、さっそく案内された部屋に向かおうとする。しかし、そのとき。
「――あっ、あれ沖田先輩やない? 沖田先輩〜」
不意に甲高い女の声に名前を呼ばれ、沖田は反射的に声の方を向いてしまう。藤堂に永倉も何事かとそちらを見やる。カラオケ店のロビーの、沖田たちから少し離れたところに。数名の島原女子高の生徒たちがいた。そのうちの一人が沖田に向かって小走りで駆け寄ってくる。
どうやら声をかけてきたのは彼女で、向こうはこちらを知っているようなのだが……。
「――おひさしゅう。沖田先輩もお友達とカラオケなん、くるんやねぇ」
媚びを含んだ甘い声で、彼女は沖田に微笑みかけてくるが。沖田は辛辣な対応をする。
「えっ何、僕に何か用?」
警戒と嫌悪を隠そうともしない、素っ気ない返答。しかし、相手の女子もなかなかの猛者だ。冷たくされても笑顔を崩さない。
「え〜〜 そないないけず言わんといておくれやす」
それどころか、相手はとんでもない申し出をしてきた。
「うちらも女子三人でカラオケ来たんやけど、よかったら一緒に歌わへん? うちの友達のあの子ぉが……」
沖田に声をかけてきた彼女はここまで口にして言葉を切ると、意味ありげに自分の連れに視線を投げた。沖田もつられてそちらを見ると、そのうちの一人がはにかんだような笑顔を見せ、こちらに手を振ってきた。
なかなかの美人だ。制服の着こなしも様になっている。
「……沖田先輩ずっと気になる言うとって」
あかん? とでも言いたげに。沖田に声をかけてきた彼女は、顎を引いた上目遣いで見つめてくる。彼女もまた可愛らしい容姿で、並みの男であればこれに容易く引っかかってしまうのだろうが。
沖田は違った。顔色も変えずに彼女を突き放す。
「――ここのカラオケ、ナンパ禁止じゃなかったっけ」
沖田の発言と同時にすかさず藤堂がフロントの店員に目配せし、意を受けた店員が早歩きでこちらに近づいてきた。負けん気の強そうなメガネをかけた女性だ。島原女子の得意の武器が通じなさそうな。
さすがにまずいと思ったのか、女子生徒はあっさりと引き下がる。
「せやったっけ? 残念やわぁ。――ほな、ごめんやす」
不利な状況に陥ってもたじろがず、笑顔を崩さないのは島原女子の矜持だろうか。可愛らしい彼女はその可憐さを失わないまま、さっと友人たちのもとに戻っていった。