◆薄〇鬼NL小説◆

□【SSL原千】ENVY ME
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 空の端に茜色が混じり始めた今は、ちょうど学校や会社の終業時刻。

 帰宅ラッシュの人々で賑わう週末の駅構内で、雪村千鶴は耳慣れた声に名前を呼ばれると同時に、勢いよく肩を叩かれた。

「――千鶴ちゃんっ!」

「っ、きゃっ!!」

 よほどの不意打ちだったのか。千鶴は小さな悲鳴を上げ、自分の肩を叩いてきた相手の方を向く。

「沖田先輩!」

 そこにいたのは沖田総司。千鶴の高校……薄桜学園時代のひとつ上の先輩で、現在は近所の私立大に通う大学二年生だ。

 高校時代には薄桜学園の同じ学舎で同じ時間を過ごし、毎日のように一緒にいたけど。

 千鶴が高校を卒業し別の短大に進学してからというもの、以前ほどの接点はなくなり、こうやって顔を合わせるのも数か月ぶりだった。

 久しぶりに遭遇した懐かしい相手に千鶴は柔らかな笑みをこぼす。

「お久しぶりです。お元気でしたか」

「うん元気だよ。千鶴ちゃんも元気そう」

 良かったよ、短くそう続けて。沖田は不意に切れ長の瞳を細めると、あからさまに千鶴をからかい始める。

「っていうかちょっと肩叩いただけでそんな驚かないでよ、何かやましいことでもあるの? ……実は御陵衛士のスパイ活動中とか」

「そんなわけありません! 何言ってるんですか、沖田先輩は……」

 近隣の学校の名前をネタにしてくる相変わらずの沖田に、千鶴は慌てた様子で返事をするが。彼女の様子はどこふく風とばかりに、沖田は唐突に話題を変えた。

「しっかし、僕はてっきり大学でも千鶴ちゃんと一緒にスイートなスクールライフが送れると楽しみにしてたんだけど、まさか他所の短大の保育科に行っちゃうとはね〜」

 本気なのか嘘なのか。全然会えなくて辛すぎるじゃんと、あからさまに残念がる沖田に千鶴は戸惑ってしまう。

 沖田の言動はただ単に、親しい後輩や友人と離れて寂しがっているだけのようにも見えるけど。

 好きな女の子の気を引こうとしている男の子のそれのようにも思えてしまい、千鶴は反応に困ってしまうが。

 沖田は千鶴の戸惑いをよそに平然とした様子で続ける。

「……僕だけじゃなくって、千鶴ちゃんが他所に行ってみんな寂しがってるよ。たまにはこっちに顔出してよ。土方先生はいないけど、平助や一君はいるし」

「沖田先輩……」

 お世話になった面々の名前を出されて、千鶴の胸に母校への郷愁が呼び起こされる。薄桜学園を卒業してまだ一年も経っていないから、懐かしさもひとしおだ。

「はい、また近いうちに……」

「絶対だよ。嘘ついたら針一万本だからね」

 淡く頬を染めて微笑む千鶴に沖田は彼らしい念を押す。けれど、不意に。

「あ、そういえば……」

 そこまで口にして、沖田は意地悪そうな笑みを浮かべると、千鶴の耳元に唇を寄せた。

「……こないだのSNSに上げてたカフェの画像に、原田先生が映り込んでたけど、あれワザと?」

「えっ!?」

 急にそんな話を振られて、千鶴は青ざめる。ネットに上げる画像はきちんと確認しているはずなのに、まさか。

 千鶴は慌ててカバンからスマホを取り出すと、アプリを開いて問題の画像を開くが、そこには別段何の映り込みもなく。

「――嘘だよ」

「も、沖田先輩!! 怖い冗談やめてください!!」

 してやったりとばかりにニヤニヤと笑う沖田に、さすがの千鶴も文句を言う。いくら冗談でも言っていいことと悪いことがある。

 原田との関係をこれまでずっとひた隠しにしてきた千鶴にとって、彼とのことをこんな形でネタにされるのは、許容しがたいことだった。

 しかし、千鶴に強く非難されても、沖田は少しも悪びれなかった。それどころか、しれっと核心を口にしてくる。

「別にそんな焦ることないじゃない。千鶴ちゃんはもう高校卒業したんだから、二人もう公認なんでしょ? 堂々としてたらいいのに」

「それはそう…… なんですけど……」

 そんな彼の様子に千鶴はますます困惑する。

 高校の一年のときの担任の原田左之助と、千鶴は現在交際している。

 お付き合いを始めたのは千鶴が高校一年の冬。その後、千鶴の進級と同時に原田は外部の男子校に転勤してしまったけど、それまでは担任教師と受け持ち生徒という間柄で、その後も成人男性と未成年の女子の恋愛関係だったから。

 千鶴はこれまでずっと原田とのことをひた隠しにしていた。

 千鶴が高校を卒業した今は晴れて周囲公認になったけど、気恥ずかしさも手伝って千鶴はいまだに原田との関係を伏せがちだった。沖田はそんな彼女を見おろしながら、得意げに口を開く。

「……当ててあげる。今日も原田先生と会うんでしょ?」

「っ……! なんでわかるんですか?!」

「わかるよ、だって雰囲気違うもん。今日の千鶴ちゃんメイクもしてるし、髪もおろしてて毛先ちょっと巻いてるし」

 やはりさすがと言うべきか。めざとい沖田に千鶴はぐうの音も出ない。

 けれどまさか「そうなんです! 今日は私のお家でお泊りで……」などと口にできるはずもなく。

 返答に窮した千鶴は、紅潮し始めた頬を隠すように俯いた。デートのために頑張ってオシャレをしてきた自分を、改めて指摘されたのが気恥ずかしかった。

 そんな彼女を見おろしながら、沖田は隙ありとばかりに距離を詰めると、千鶴の髪の毛のひとふさをつまみ上げ、自分の口もとに持っていく。

「……なぁ〜んか妬けるなぁ。羨ましいよ。こ〜んなにかわいい千鶴ちゃんを独り占めできる左之さんが」

「っ、沖田先輩……!」

 前触れなく原田の下の名前を口にする沖田に、驚いた千鶴は反射的に顔を上げてしまう。すると、あまりにも近い距離で沖田と視線がぶつかった。

 まるで猫のようなアーモンドの瞳、その澄んだ緑の美しさに千鶴は釘付けになってしまう。薄桜学園時代に他校の女子生徒たちに騒がれていた整った容姿は今も健在だった。

 原田以外の男性とこんなに近い距離で見つめあったことのない千鶴は、動揺と緊張で固まってしまう。

 いつの間にこんなに距離を詰められていたのだろう。不思議に思うが、控えめな千鶴がお世話になった先輩でもある沖田を、冷たく突き放せるはずもなく。

 千鶴は沖田に距離を詰められたまま、彼のされるがままになってしまう。

「――ねぇ、せっかく会えたんだし。今から二人でどこかに行かない? 原田先生はどうせまだお仕事でしょ」

 千鶴の髪の毛を指先でもてあそびながら、沖田はまた思わせぶりな発言をする。

 薄桜学園の在学中から彼はずっとこの調子だった。冗談なのか本気なのかわからない意味深な言動で、いつも千鶴をからかってばかり。それは今も変わらなかった。

 千鶴を見つめる沖田の緑の瞳がますますその色を深くして、千鶴は今にも吸い込まれそうになってしまう。

 けれど。不意に沖田は大きく瞬きをすると、自分でつくりあげた雰囲気をぶち壊すかのようにイタズラっぽく笑った。

「……嘘だよ、千鶴ちゃん。早く先生のところに行ってあげなよ」

「っ! 沖田先輩……」

「早くしないと、僕みたいな悪いやつに攫われちゃうよ?」

 クスクスと忍び笑いを漏らしながらも、ようやく沖田は千鶴の髪をいじるのをやめ、彼女から身体を離す。

 沖田と適度な距離が保たれて、千鶴はやっと人心地がつくが。それが大きな隙だった。

 千鶴があっと思う間もなく、沖田は再び彼女目がけて大きく一歩を踏み出すと、彼女の前髪の上に自分の手のひらを重ねて、その上から唇を触れさせてきた。

 軽く瞳を伏せて自分の手の甲にそっと唇を寄せる沖田の姿は、普段のイタズラっ子なイメージからは程遠い、とても優しげなもので。

 まるで千鶴を慈しむかのような、意外なほどに穏やかなその口づけは、けれどほんの一瞬だけのことだった。

「悔しいからつまみ食い…… したかったけどやめとく」

 不意に訪れたあまりの出来事に呆然としている千鶴を見おろしながら、沖田は普段と変わらない飄々とした様子で小さく肩をすくめた。

「左之さんには内緒ね。僕まだ死にたくないし。……じゃあね、千鶴ちゃん」

「っ、沖田先輩」

 千鶴に釘を刺し、今度こそ本当に彼女から身体を離して、沖田はひらりと手を振って歩き去る。千鶴はいまだに早鐘を打つ胸に手を当て、夕刻の雑踏に紛れていく沖田の背中を見送った。

 思わせぶりなことを言われてからかわれるのはこれまで何度もあったけど、あんなキスをされるのは初めてだった。けれど。

「っ……! それより、左之助さんが……っ!」

 原田のことを思い出し、千鶴はハッと我に返る。大きくかぶりを振って気持ちを切り替えると、これまでのことなどなかったかのように、小走りに駆けだした。

 今日は原田との約束がある。彼が来る前に部屋を片付けなければならなかった。



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