◆薄〇鬼NL小説◆

□【SSL原千】CANDY NIGHT
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金曜日の夜はいつも浮かれてしまう。大好きな原田先生に会えるから……。

 通いなれた道を小走りで駆け抜けた千鶴は、見慣れたマンションに辿り着くと、エレベーターで上階へ上った。表札を確かめて、貰った合鍵で部屋に入る。

(やっぱり、ドキドキするな……)

 たとえ何度も訪れたことのある恋人の部屋であっても、他人の家に自分ひとりで上がり込むのは緊張してしまう。原田からは変な遠慮はいらないともう何度も言われているのに……。

 室内に人の気配はなく明かりはついていない。原田からは今日は仕事の飲み会で遅くなると既に連絡をもらっていた。千鶴はリビングの電気をつけて荷物を床に置いてから、ソファーに腰を下ろす。

(左之助さんのお部屋だ……)

 改めてあたりを見回し、千鶴は妙な感動を覚える。一線を越えたのは最近だけどお付き合い自体は長くて、原田のこの部屋に来たことも何度もあるはずなのに、いまだにこの癖が抜けない。

 千鶴は短大の一年で、高一の終わりから原田と付き合い始めたから、もう二年以上。仕事の都合で早く帰れないときもある、迎えに行けないときもあるからそういうときのためにと、合鍵を渡してくれたのは原田の方で。

 そして今日「遅くなるから先に部屋で待っててくれ」と、千鶴を自室に呼び寄せたのも原田だった。

 千鶴の方から「合鍵が欲しい」「部屋に先に行って待っていたい」などと言い出したことはないけど、控えめな彼女の性格を知っている原田は、日頃からこうして先回りをして、千鶴に恋人らしい振る舞いを促していたのだった。

 千鶴はひとしきり室内を見回して感慨に浸ってから、改めてスマホを取り出すと原田に連絡を入れた。

『今お部屋に着きました。夕飯は済ませてきたので待ってますね』

 するとすぐに返信が来た。

『俺も今終わったからすぐ帰るぜ。わかってるとは思うが、ちゃんと支度して待ってろよ?』

 原田の意外なほど早い返信と妙な念押しに、千鶴は思わず笑みをこぼす。ちゃんと支度しておけというのは、先にシャワーなり風呂なりを済ませておけということだ。会ってすぐに抱き合って愛し合えるように。

 しばらく前、今よりずっと子供だった千鶴は当初その意味を理解できずに、原田に苦笑されてしまったことがあった。

「シャワーも浴びてねぇし、風呂にも入ってねぇのか? 俺は…… すぐ始めたかったんだがな」

 その日は結局、明るいバスルームで仕置きのように長々と愛されてしまった。……恋人同士の暗黙の了解を千鶴に教えてくれたのは原田だった。ときに言葉で、ときに行動で。原田は年上の男らしく、まだ幼かった千鶴の無垢で無防備な心と身体に、そのひとつひとつを教え込んだ。

 甘く優しく、そして熱く……。彼を愛する千鶴はその全てを疑うことなく受け入れて、素直な彼女は今やすっかり原田に染められていた。全てを捧げるように愛されて守られて、甘やかされてしまったら、そうなるほかない。自分でも気づかないうちに、千鶴はすっかり原田に骨抜きにされていた。

「早くシャワー浴びとかなきゃ……」

 無意識のうちに漏れたつぶやきに滲んでいるのは、焦りではなく期待と喜びだ。早く愛し合いたいと願うのは千鶴も同じ。原田が大好き、会えるときはいつも浮かれてしまう。倦怠期とは無縁の二人は、いつだって付き合いたての恋人同士のようだった。



 その後しばらく経ってから。ようやく原田が部屋に戻ってきた。部屋の鍵を開けて早速、中にいるはずの恋人に声をかける。

「――ただいま。おい千鶴、待たせて悪かっ……」

 しかしその声は途中で途切れた。部屋の明かりはついていたが、人の気配がないのだ。千鶴は彼女は先に来ているはずなのに。自分の声かけに何の返事もないことも妙だった。

「……おいおい、勘弁してくれよ」

 若干の焦りをにじませてカバンを投げ捨てるように置いて、原田は千鶴を探す。しかし、幸いなことに彼女はすぐに見つかった。

「……ったく、心配させやがって」

 ベッドルーム。シャワーから出て髪を乾かしていたのだろう。彼女はドライヤーを出したまま、原田のベッドで彼のグレーのワイシャツを着て眠っていた。

「……こういうところは、なんというかやっぱり子供だな」

 準備万端といった様子で自分を出迎えて、そのまま嬉々として押し倒されるような大人の女も、それはそれで魅力的だけど。ちゃんとやろうとして失敗している詰めの甘い年下の彼女も、原田にとっては愛おしく感じられた。

 懸命に背伸びをしている姿がいじらしく健気で。さきほどまで自分の心を満たしていた欲望やよこしまな感情も、すっかり鳴りを潜めてしまった。

 女の寝顔なんて見慣れていたはずなのに、千鶴のいかにも年下の女らしいあどけなさや無防備さは、原田にはとても新鮮で眩しく映って。

(……いや、年下だからってわけじゃねえか)

 千鶴がこんなにも眩しく愛おしく思えるのは、彼女が年下だからじゃなくて、千鶴だからだ。

(……すっかり毒気を抜かれちまったな)

 原田は瞳を伏せて苦笑する。

(でもまぁ、たまにはこういうのもいいいか)

 今夜は千鶴の可愛い寝顔をを肴に飲み直そう。風呂上がりに男物のワイシャツ一枚を着て、白い太腿もあらわに眠る姿を、せっかくの機会だから堪能させてもらって、気が済んだら隣で眠ればいい。

(……その前に、俺もシャワー浴びとくか)

 千鶴の頬にキスをして、ほんの少しの悪戯心を発揮してから、原田はバスルームに向かった。千鶴をひとり残しベッドルームをあとにする。



***



 そして。充分に疲れを癒し、加えて近くに人の気配を感じ取った千鶴は、ようやく目を覚ました。

「……っ、あれ?」

 数度まばたきをして、千鶴はいまだ眠気の残る頭で、今まで自分が何をしていたのか思い出そうとするが。

「――よぉ、起きたか?」

「は、原田先生!?」

 ほど近くから掛けられた声に、千鶴の眠気は瞬時に吹き飛ぶ。

「おいおい、今さら先生はねえだろうが。もう何度も言ってるが」

 缶チューハイをちびちびと飲みながら、原田は呆れたような怒ったような様子で不満を口にする。

 付き合いだした当初から、原田は千鶴に自分を下の名前で呼ぶように何度も言っていた。原田先生では周囲に不審がられるし台無しだからと。そのたびに千鶴は「左之助さん」と言い直していたけれど。

 しかし、また性懲りもなくその禁を破ってしまった千鶴は恐縮しきりだ。

「すっ、すみません……。あ、あと私、なんか勝手に寝ちゃってて、それも本当に、その……」

 瞳を伏せてしどろもどろになっている千鶴を、しかし原田は優しく励ます。

「いや別に、謝ることじゃねえよ。お前が俺を下の名前を呼びたがらねぇのは、今に始まったことじゃねぇし、俺もあえて起こさなかったからな」

「……え?」

 あえて起こさなかった。原田の意外な発言に千鶴は思わず顔を上げ、彼を見つめてしまう。原田は寝室の窓辺に置かれたスツールに腰を下ろして、千鶴を楽しそうに眺めていた。

 煌々と明かりが灯されたベッドルーム。部屋着のジャージのズボンを履いて、裸の上半身の首にフェイスタオルをかけている原田は、いかにも風呂上りといった様子でいつにもまして色っぽかった。千鶴は恋人同士の営みの直前の彼を思い出してしまい、どぎまぎとしてしまう。

 とはいえすぐ近くのテーブルの上には、ビールやチューハイの缶が何本も空けられていて、それなりの時間の経過が感じられた。風呂から上がったはいいものの、いつまでも千鶴が寝ていたから仕方なく、酒を飲んで時間を潰していた様子の。

「早く起こしてくれれば良かったのに……」

 千鶴は思わず唇を尖らせるが、原田は楽しげな笑みを浮かべたまま、いつも以上に甘い言葉を口にする。

「……お前の寝姿をもう少し眺めてたかったんだよ。こうやってお前が俺の服着て俺のベッドで、俺と同じシャンプーの匂いさせて眠ってるの見てると、なんかこう、妙に幸せな気持ち気分になっちまってな」

「……っ!」

「こういうのも、ベタには違いねぇが、やっぱりいいもんだよな」

「さ、左之助さん……」

 千鶴の頬はもう真っ赤だ。愛する原田にこんなことを言われてしまっては、何もかもがどうでもよくなってしまう。これまで口にしていた彼への文句も、全部どこかに行ってしまった。

 いつもいつも、この手口にしてやられてしまう。心を奪われ、骨抜きにされ、口に含んだ飴玉を舐め溶かすように甘やかされて、結局は彼の好きにされてしまうのだ。

(……左之助さんはズルい)

 千鶴は唇をきゅっと噛むと俯いた。すると、自分の太腿とベッドのシーツが目に入る。そう、自分のいるここは、原田の部屋の原田のベッド。本当なら、仕事の飲み会から帰ってきた原田をすぐに出迎えて、今頃は彼の濡れた髪をドライヤーで乾かしてあげながら、他愛ない世間話をしているはずだったのに。

 ……そういえば、少し前にも同じようなことがあった。不意に、千鶴は昔を思い出す。原田とお付き合いを始める少し前の、高校一年のお正月。二人で行った初詣のあと、原田が電車で海に連れて行ってくれたとき。初詣の早起きで疲れていた千鶴は、帰りの電車で原田の肩を借りて熟睡してしまったのだ。

 その頃から憧れにも似た好意を原田に抱いていたとはいえ、当時はまだ担任の先生と生徒という関係だったから、千鶴はずいぶん恥ずかしく、恐縮してしまった。

 それから二年以上の月日が経ち、原田との関係も変わり、自分も少しは大人になったはず、だったのに。昔と同じ失敗を繰り返す進歩のない自分に、千鶴は情けなくなってしまう。

 千鶴は眠っている間にすっかりはだけてしまったシャツの胸元を、きゅっと合わせた。おぼつかない手つきで、外れていたボタンを留めてゆく。シャツを着たときは胸元が見えてしまわないように、第一ボタン以外は全部留めたと思ったのに、起きたらなぜか全部外れていて、すっかり半裸の状態だった。

 胸を覆う下着はつけずに素肌に直接着ていたから、原田にはきっと全部見られていたはずだ。両方の胸の色づいた先端も、原田のために買った面積の少ないショーツだけをつけた下半身も。

 ……原田先生、じゃなくて左之助さん。そうここで、原田の部屋のベッドの上で、もう何度も愛し合っていて。彼からも変な遠慮はせずに恋人らしい振る舞いをしろと、もう何度も遠回しに叱られているのに。なぜかいつも上手くいかない。なんとなく悲しい気持ちになりながら、千鶴は長い睫毛を伏せて、意味もなくシーツを見つめ続ける。

 そんな彼女を不憫に思ったのか、おもむろに原田は話題を変えた。

「でもまぁ、せっかくお前が起きたんなら……。そうだな。――なぁ、顔上げろよ千鶴」

 前半は普段と同じ明るい調子。けれど後半はどことなく艶のある響きで、千鶴はハッと顔を上げ原田の方を見てしまう。彼の瞳には、先ほどまでの軽いやりとりをしていたときにはなかった欲望の色が、確かにあって。

 真剣な眼差しに射抜かれてしまう。蜂蜜を溶かしたような琥珀の瞳の甘い熱に囚われて、千鶴は動けなくなってしまった。

「……そっち行って、いいか?」

 そっちというのはベッドの上だ。原田が何を言いたいのかなんて、さすがの千鶴でもはっきりとわかった。頬が熱を持ち始め、羞恥で瞳が潤む。

「っ……!」

 知っている。こういうときの原田先生は――左之助さんは――決して逃がしてはくれない。原田は千鶴の返答も待たずに、首に掛けていたタオルを床に投げ、彼女の方に近づいてくる。

 そう広くない室内。ベッドのきしむ音はすぐにした。ベッドの上に乗った原田はその逞しい腕で、緊張に固まる年下の恋人を抱きすくめると、彼女の顔を自分の胸に埋めさせる。彼が先ほどまで飲んでいたアルコールの匂いが濃厚に漂う。

「……ほら、お前が返事しねぇから悪いんだぜ?」

「……左之助さん」

 原田はそのまま千鶴の髪を優しく撫でてやりながら。

「今夜もお前をたっぷり甘やかしてやりてぇんだが……。いいか?」

 熱い吐息が千鶴の耳元にかかり、千鶴の身体が切なく震える。どんなお菓子より甘い囁きに、これまで胸の奥に隠していた素直な欲求が溢れてしまう。どうしようもなく、彼が欲しい。

 千鶴は緊張に喉を鳴らすと、原田の背中にそっと手を回し自身のありのままの気持ちを伝えた。

「たくさん甘やかして…… ください……」

 羞恥のあまり、千鶴はぎゅっと瞼を閉じる。後半は消え入るようだった。しかし、原田は満足げに口の端を上げて笑う。彼の琥珀の瞳が細められ、赤茶の髪がわずかに揺れる。

「……いい子だ」

 確かな熱を孕んだ囁きが、千鶴の耳に届いた。



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