◆刀剣・刀さにNL小説◆
□【長谷部】月下美人
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ある夏の日の、ここはとある旅館の一室。小規模ながらも部屋付きの露天風呂のある高級な客室だ。そんなところで審神者は短い夏季休暇を満喫していた。
「ああ…… 気持ちいい」
石造りの浴槽の中で手足を伸ばしながら、審神者はほっと息をつく。艶やかな長い髪を後ろで結い上げ薄手の湯帷子だけを纏ったその姿は、可憐でありながら艶めかしく、えもいわれぬ色香を放っている。
「本丸の近くにこんないいお宿があったなんて知らなかったわ」
まるで独り言のようにそう口にして。おもむろに彼女は、浴槽の外の自らのほど近くで体を流している彼に声をかけた。
「ありがとう長谷部、あなたのおかげよ」
「……お気に召して頂けてよかったです」
主人からのねぎらいの言葉に、長谷部と呼ばれた彼は切れ長の瞳を細めてそんな言葉を返す。
へし切長谷部。彼女の本丸の近侍であり、このような場所に二人きりでいることからも察せる通り、彼女の情人でもある打刀の付喪神だ。
均整のとれた逞しい体躯の腰部に大判の手ぬぐいを巻き付け、しとどに濡れた鈍色の髪からしずくが滴るままにしている彼は、まさに水も滴るなんとやらだった。
審神者である彼女に仕える近侍らしく、この旅の手配は日々の業務の合間を縫って長谷部が行った。この隠れ家のような旅館を見つけてきて宿泊場所に選んだのも彼で、審神者はそんな長谷部に改めてねぎらいの言葉をかける。
「こんなことまで頼んでしまってごめんなさいね。本当は私がしなきゃいけなかったのに」
「……とんでもないです。あなたとの旅の手配でしたら、いつでも喜んでやらせて頂きますよ」
唇の端をわずかに上げて、まるで世辞のような言葉を本心から口にする彼に、審神者は瞳を伏せて苦笑する。
長谷部のこういうところは相変わらずだ。日頃から自らの主への態度とそれ以外の者への態度が全く違う長谷部は、一事が万事この調子で。
彼が今浮かべている穏やかで嬉しげな笑顔も、砂糖菓子を溶かしたような甘さを含んだ声も全て、彼の今代の主人である審神者にしか向けられないものだ。
そう。長谷部がこのような愛情や優しさを見せるのは、彼の主であるこのひとに対してだけだった。
やがて、身体を洗い終えた長谷部は浴槽のふちに手をかける。彼のそんな様子に気がついた審神者は少しだけ位置をずれ、長谷部が湯船につかりやすいように場所をあけた。
湯に浸かるとすぐに、長谷部はその逞しい腕を審神者に伸ばし、そっと彼女を抱き寄せる。後背からの抱擁だ。ほっそりとした白いうなじに顔を寄せ、長谷部は審神者の柔らかな肌に口づける。
まるで愛しい恋人に甘えて愛撫を乞うような彼の仕草に、審神者は淡く頬を染めた。
「……もう、もう少しゆっくりすればいいのに」
「お嫌でしたか」
「……ん」
改めて長谷部に尋ねられて、審神者は返事を濁してほんのわずかに俯く。彼女があいまいな答えを返すときは、進めてもよいということだ。
こういったときの審神者の振る舞いの意味など知り尽くしている長谷部は、今一度彼女を抱きしめると、湯帷子の帯を解くべく腰のあたりに手を伸ばした。
長谷部がこれから何をしようとしているのか、気づいていないはずはないのに、審神者は抗わなかった。素直に帯を解かれ、そのまま着物を肩から落とされ、美しい裸身をあらわにされる。
女らしい細い肩口、すっきりとした背。柔らかな色白の肌はこれまでの長湯で淡く火照り、ふるいつきたくなるような優艶さだった。
自らの女主人の、可憐な蝶がさなぎから抜け出るかのような風雅な脱衣に、長谷部は美しい天女からその羽衣を奪い取ったかのような錯覚を起こしてしまう。
彼女は神のしもべではなく人であり、神であるのはむしろ自分自身のはずなのに。
ただの配下のひとりに過ぎない身にもかかわらず、貴人である彼女に心奪われ、その寵愛を独占すべく日々奮迅している長谷部にとっては。
清らかな神の御使いを自らの手中に収めるべく、その力の拠り所であるものを奪い隠してしまった卑しい男は、堕天を強いられた気高き存在などよりよほど、自身に近しいものに感じられた。
そう、罪だとわかっていても手折らずにはいられないほど。長谷部は自らの今代の女主人に魅了され、執着してしまっていた。
今の自分はまぎれもなく堕とされる側ではなく、堕とそうとしている側なのだ。清らかで美しいあのひとを汚し狂わせ、自らと同じ修羅の道へと引き込む。
審神者の白い裸身を後背から愛でながら、長谷部はそんなことを夢想する。
力を奪われ堕天させられた天女が、自身を堕とした卑しい男に囲われて飼育されるという空想は、美しい女主人への忠義と独占欲をたぎらせていた長谷部にとっては、この上もなく甘美であったが……。
しかし同時にかつての主に下げ渡された過去を持つ長谷部は、ときおりどうしようもない不安にとりつかれることがあった。
一糸まとわぬ女主人と愛を交わしあうさなかであっても、長谷部はいまだに主である彼女に捨てられるという根拠のない恐怖に苛まれ、苦しめられていた。
その痛みはまるで錆びついた刀で胸を刺され抉られるかのような耐え難いもので。
その短気さと激情さで名高いかつての主人によってつけられた、長谷部の心の傷はいまだ癒えることなく、誇り高い彼を蝕んでおり、それはふとしたときに顔を出す。
いつしか長谷部の審神者を愛撫する手は止まってしまっていた。
「……長谷部?」
彼の異変に気がついた審神者に心配そうな様子で名を呼ばれ、長谷部は我に返る。交接のさなかの愛撫をおろそかにするなど、女主人に対してなんたる無礼を。
「……いえ、申し訳ありません」
続きを致しましょう。審神者の耳元でそうささやくと、嬉しそうな小さな頷きと甘い吐息が返される。
こうやって審神者の肉体に触れることを許され、彼女からも求められるこのときだけは、この方のただひとりの特別として、必要とされている実感を得ることができる。
たとえこれが交接のさなかのひとときの錯覚だったとしても、常に心に苦しみを抱える長谷部にとっては、彼女との情事は欠かすことのできない鎮痛剤のようなものだった。それはまるで医者が死を目前にした病人に処方するモルヒネのような。
不意にごうと強い風が吹き、自分たちが浸かっている湯船の水面が波打った。長谷部は改めてここが屋外の、部屋付きの露天風呂だということを思い出す。
ちょうど気候のよい季節で、冷涼な夏の夜気は、長湯で火照った身体には思いのほか心地よく感じられ、空を見上げれば瞬く星々が美しく、今宵はこの趣ある空間で彼女と愛し合いたいと長谷部は願う。
本丸では不可能な野外での情交。審神者との交接の経験は幾度となくあったが、屋外で行為に及んだことはこれまでに一度としてなく、長谷部はその期待から我知らず笑みを浮かべる。
「……それでは場所を変えましょうか」
そうとだけ口にして長谷部は審神者を抱え上げ、湯船から立ち上がった。
***
硬い床で交わるのは、まるで不埒な男に無理やり組み敷かれて犯されているかのような、不思議な錯覚を覚えてしまう。相手はもう幾度も交わり慈しみ合った、ただひとりの愛する刀だというのに……。
審神者は自らに覆いかぶさる男の裸の背に爪を立てながら、めくるめく性の官能を夢中で貪っていた。
愛しい男性と屋外で行為に及ぶなんて初めてのことで、いけないとわかっているのに、夏の夜気の心地よさと解放感の虜となってしまっていた。
目を開ければ満天の夜空が広がり、石造りの露天の浴槽を取り囲む野趣あふれる庭園からは、木々の葉擦れの音や野鳥の鳴き声が意外なほど近くに聞こえ、今まさに屋根も壁もない開かれた世界で、愛の営為に耽っているのだと思い知らされる。
部屋の露天風呂の洗い場で肌を重ねているだけなのに、やはり野外での営みは驚くほど新鮮で、いつも以上に感じてしまい、どうしようもなく乱れてしまう。
屋外で一糸まとわぬ裸身を晒して愛し合うだけで、これほどまでに良くなれるだなんて知らなかった。ただ場所を変えただけで、それ以外は慣れた人との慣れた行為のはずなのに、まるで淫らな薬でも使われたかのように、無防備な肉体のそこかしこが過敏になってしまっていた。
審神者は甘やかな喘ぎを漏らしながら、その裸身をしならせる。まだ彼のものが入れられたばかりだというのに、もう頂点を迎えてしまいそうだ。
「っ…… 長谷部……」
これではいけないと彼の名を呼ぶ審神者に、しかし長谷部は煽るような言葉を返してくる。
「いつもよりずっと潤っておいでですよ。屋外でいたすのがそんなによろしいのですか」
「っ……! もう……!」
長谷部もまたこの状況に興奮しているのか、いつもと違う様子だ。妙に饒舌でことさらに不埒な物言いをしてくる。
「……あまり大きな声は出さないでください。隣に聞かれてしまいます」
これまでも手加減のない愛撫を施し、今も抜き差しの水音がするほどに容赦なく突き上げているくせに、嘲るように喉で笑い、あまつさえ窘めようとしてくる長谷部に、さすがの審神者も違和感を覚える。
行為のさなかの彼は感情の振り幅が大きく、いっそ高慢な振る舞いを見せることも多かったが、それを差し引いても今宵の彼はどこか様子がおかしかった。
「長谷部っ…… ならもう少し……!」
優しくしてと審神者は続けようとするが、長谷部は彼女の先を読み、彼女の言葉に被せるようにして、自らの剥き出しの感情を吐露してくる。
「……俺は聞かれても構いませんからね。むしろ聞かせて、見せつけてやりたい。あなたが俺に貫かれて感じている姿を」
「……っ!」
「俺のあなたがこんなにも可愛らしいんだって…… あいつらに知らしめてやりたい」
審神者が思っていた以上に、長谷部は情交の興奮と狂騒に毒されているようだった。不自然なほどに高揚した様子で、彼らしくないような、あるいはとても彼らしいような言葉を口にする。
そして長谷部は自らの女主人を揶揄するような、酷薄な笑みを浮かべると。
「……そうだ、今度は本丸の庭で致してみましょうか。連中に見せつけながら愛し合えば、もっと良くなれるかもしれません」
「長谷部……! ダメよ……」
情交のさなかの睦言とはいえあまりなことを言い出す彼に、さすがの審神者も動揺してしまう。審神者は長谷部をなだめようとするが、すっかり発情してしまっている彼は止まらない。
「……俺は構いませんよ。あなたがこんなにも俺で感じて、俺で満たされている姿を見れば、俺のあなたに手を出そうとする不届き者も―― ……きっと心を折られて消えてくれる」
前半はいっそ違和感を覚えるほどに威勢のよい口ぶりだった。しかし一転、後半の痛切な苦悩と悲哀に満ちた囁きに、審神者は胸の痛みを覚える。
ああ、やはり彼は、いまだ苦しみの中にいるのだ。どこまで心を捧げれば、このひとは自分からの愛を確信してくれるのだろう。
これほどまでに傷つき病んだ存在を癒し支えるというのは、彼の今代の主とはいえ、ただの人でしかない審神者にとってはあまりに重く、しかしそんな闇を抱えた彼の全てが切なく哀れで、どうしようもなく愛おしかった。
「……長谷部」
二人だけの秘め事を「見せてもいい」と口にしつつも、審神者に対して狂おしいほどの独占欲と執着を示す。らしくないなどとんでもない。やはり今の長谷部もまた、紛れもなく長谷部だった。
愛しい人を永遠に自分だけのものにしたい、その人が誰かに奪われ、自身が捨てられることに我慢がならない……。
その想いの強さ激しさたるや、むしろ普段以上にその荒々しい本性を剥き出しにしているくらいだった。
かつての主人の狼藉をその名の由来にもつ長谷部は、しばしば名前通りの容赦ない苛烈さを覗かせていた。
けれど、そんな彼を愛する審神者は、彼の荒唐無稽な戯言を脳裏にまざまざと描いてしまう。
それはどこかの土地の庭園で、見知らぬ男たちに覗き見られているのに気づきながらも、一糸まとわぬ裸の身体で長谷部と交わり愛し合うという、まさに狂気そのものの空想だ。
煌々とした月明かりのもと、無防備な裸身で同じ姿の長谷部に絡みつき、やがて名も知らぬ人々に、このような開かれた場で愛欲の営為に耽っていることに気づかれても行為をやめず、寝そべる長谷部の下腹部に跨り、脚の間の秘唇に彼の男根をあてがって、そのまま周囲に見せつけるかのように、ゆっくりと腰を落としてゆき……。
「ああ……っ!」
いけないとわかっているのに、審神者は長谷部に抱かれながらも、この狂った妄想を止めることができない。
しっかりと腰を落として長谷部の男根を根元まで咥え込んでからは、もう駄目だった。