◆刀剣・刀さにNL小説◆

□【三日月】月夜の逢瀬
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 そして、まだ日も登りきらぬ早朝。審神者と同じ褥で向かえた朝だというのに、三日月は不機嫌だった。休めばいいと言っているのに、朝一番の演練に彼女が行くと言って聞かないのだ。

「――むやみに欠席するわけにはいきません。わがままもいい加減にしてください!」

「石切丸にはもう休むと伝えてあるぞ」

「もう、勝手なことしないでください!」

 昨夜三日月に剥がされた寝衣を羽織るように着て、裸の身体を隠しながら、審神者は三日月を叱りつける。

「とにかく、私は演練にはちゃんと行きます。三日月さんは早く支度して自分の部屋に戻って下さい!」

 本丸の朝は早い。早朝稽古に励む熱心な者から朝餉の用意の当番まで、様々な理由で早くから活動している者たちがいた。三日月の戻りが遅くなっては人目についてしまう。

 けれど当の本人は、不満げに眉を寄せて、ぷうと頬を膨らませた。

「……むう」

 しかし、そんな幼子のような振る舞いをしていても。情後の朝のまだ何も身に着けていない彼は、やはりさすがの美しさだった。

 夜半の薄明かりの中では分からなかった身体の細部も、柔らかな朝の日差しのもとではしっかりと見てとれる。まるで彫像のような肉体美。

 けれど、今が朝なせいか。三日月の裸体は爽やかに、そして涼やかに美しかった。

 昨夜の官能的な色香はそこにはなく、営みの最中とは打って変わって、今の三日月は優しげな眼差しが印象的な、穏やかな好青年そのものだった。しかし、そんな彼に対しても審神者はそっけない

「……だらだらしてないで、早く服を着てください。お手伝いなら致しますから」

「仕方ない……な」

 いまだ納得していない様子だったが、三日月は渋々と審神者に従う。おしゃれが苦手でいつも人の手を借りているという、人に世話をされるのが好きな彼。審神者は日頃からそんな三日月の世話を焼いていた。今も彼の後ろに陣取って、裸の上体に片篭手をつけてやっている。

 三日月の装束は複雑だ。手早く進めないと、どんどん時間が経ってしまう。けれど、作業が一段落した審神者は改めて、三日月の広い背中を見つめた。

 まだ首飾りと片篭手をつけただけの裸の背は、呼吸を忘れるほどに美しかった。

 意外なほどに線が細く、肩甲骨や背骨の浮いたすっきりとした背中は、まるで磨き上げられた玉のようだ。色白の薄い皮膚も、内側から淡く発光しているかのようで。

 そして、彼の右の肩口に昨夜の営みのさなか自分がつけた爪跡を見つけ、審神者は思わず頬を染める。

 男の背に爪跡をつけてしまうだなんて。いかにも生々しい行為の証左に、昨夜この美しい彼と自分が交わったのは決して夢ではないのだと、審神者は改めて思い知らされる。

 裸の身体をぴったりと重ねて、深くまで繋がりあい、ひとつになって、彼の切ない熱情を肉体の最奥で受け止めたのは、紛れもない現実なのだと……。

 ひとときの間にそこまで思考を巡らせてしまった審神者は、気がつくと内股をもじもじと擦り合わせてしまっていた。

はしたなくも、三日月の裸の身体を目にするだけで、脚の間が熱く疼いて、そわそわとしてしまう。

 男性なのにも関わらず、柳のように細い彼の腰。けれど、その腰つきがどれほど獰猛で男らしいか。それを知っているのは、この本丸で自分だけだ。そのことに審神者はどこか不思議な気持ちになる。

 しかし、今は時間のない朝。そのような空想に浸っている場合ではなく、審神者は三日月のむき出しの身体を隠すように、彼に襦袢を着せてやった。

 黙ったまま、さらに着付けを進めて行く審神者に、三日月は照れたように微笑む。

「……やぁ、嬉しいな」

 その子犬のような笑顔に、審神者は呼吸を忘れる。眉目秀麗な彼だから。刃を振るうときの凛々しい姿も、情事のさなかの切なく濡れた瞳も、どれも魅力的だけど。   

 三日月の一番素敵な表情は、今の柔らかな笑顔だと思う。審神者が彼に見とれていると、それに気がついた三日月は改めてにっこりと笑った。

「……そなたに世話をされるのは、やはり格別だな」

 てらいのないまっすぐな言葉に、審神者の胸は締めつけられる。しかし、いたたまれなくなった彼女は、三日月から瞳をそらし、あからさまに話題を変えた。

「……そんなことより、私は着替えますから、三日月さんはもう部屋に戻ってください」

 まだ寝衣の前を雑に合わせただけだった審神者は、そう言って三日月に背を向ける。そのまま支度を始めた彼女は、しかし思いがけず三日月に呼ばれた。

「――主よ、ここは俺のものを着るところだろう」

「え?」

「後朝の品だ。今度はきちんとしたものを用意してきたぞ」

「……きちんとしたもの?」

 不審に思った審神者は三日月を振り返る。

「ああ、洋装のそなたでも下に着れるものを準備した」

 どこに隠し持っていたのか。三日月は審神者に綺麗に折りたたまれたキャミソールを差し出してきた。

 なぜかいつも三日月は、情後の朝はインナーの交換をねだる。これまでは彼が着ていた襦袢を押しつけられていた審神者が、洋装なので無理ですと断っていたのだが。

「襟も袖のない洋風のものだ。これなら問題なかろう?」

 見るからに仕立てのよさそうなそれを差し出しながら、三日月は得意げに笑う。美しい彼のその笑顔に、審神者はついほだされてしまう。

「……わかりました」

 呟くようにそう言って、審神者は彼からの品を受け取った。

 元々、平安時代に打たれたという刀剣の付喪神と、審神者であるとはいえ現代を生きる人間である自分。普段あまり実感することはないけれど、価値観や感受性はきっと大きく違うはずだ。彼が何をしたいのかは分からないけど、これもきっと何かの意味があるのだろう。

 そんなことを思いながら、審神者は三日月に渡されたそれを着た。

「……なかなかに見えるな」

 早速、三日月が感想を述べる。頬を淡く染めて嬉しそうに微笑む彼は、少年のように可愛らしく、審神者はまたも彼の雰囲気に流されてしまいそうになる。

 しかし、彼女ははっと我に返ると、大急ぎで着替えを終えて、三日月を自室から追い出してしまった。



 かなり早めに起きたはずだったのに、既にもう結構な時間だ。他の刀剣たちは朝餉を済ませて、なかなか現れない自分を心配していることだろう。審神者は彼らにどう言い訳をしようか考えながら、小さくため息をつく。

 彼女は自室の鏡台に向かい、長い髪を整えていた。いつも通りに櫛を通して、しかし彼女は首筋に残された小さな赤い痣を見つけ、その手を止めた。

 それは営みのさなかにつけられた、彼の独占欲の証だった。見える場所に二つも残されてしまったそれ。こんなものを放置するわけにもいかず、彼女は鏡台の引き出しから絆創膏を取り出して、貼りつけた。

(やっぱりこれ、目立っちゃうな……)

 首筋の高い位置に二つ貼られている絆創膏。そのあまりの不自然さに、審神者の唇からもう何度目かのため息が漏れる。普段、彼女は長い髪を後ろでひとつに結んでいるのだが。

(今日はおろしたままにしよう……)

 そして、身支度を終えた彼女は、マイペースで自分勝手な彼を恨めしく思いながらも、自身の居室をあとにする。



***



 朝一番から始まった演練は昼過ぎに終了した。結果は見事な五連勝。達成すべき日課を無事にこなし、審神者と演練部隊は意気揚々とした心持で、本丸に戻ってきていた。

 よく晴れた青い空のもと。本丸の中庭で、審神者と小狐丸と石切丸は、先ほどの演練を話題にしていた。

「この小狐、ぬしさまのために勝利をおさめてきましたよ」

 部隊長でもある小狐丸は上機嫌だ。主のために活躍できたのが、よほど嬉しかったのだろうか。演練相手は強敵だったのに、小狐丸の艶やかな毛並みは少しも乱れていなかった。

 太刀の中では機動の高い彼。今日も舞い踊るような美しい動きで、あっという間に相手を倒して。機動の低い仲間……石切丸の出番を奪ってしまった。

 その彼が改めて、審神者を見おろしながら口を開く。

「しかし、今日は来ないのかと思っていたよ」

「……っ、石切丸さん」

 痛いところを突かれた審神者は、気まずそうに瞳を伏せる。

 今日の演練は、本来であれば彼女は欠席する予定だったのだ。審神者と少しでも長く過ごしたかった三日月が、彼女に無断で石切丸に休みの連絡を入れていた。

「……皆さんが頑張っていらっしゃるのに、私だけ休むわけにはいきませんから」

 そういった経緯もあり、責められていると思ったのか、審神者は言い訳めいた言葉を口にする。けれど、石切丸は気にしていないようで、朗らかな笑顔を見せた。

「はは、そうかい。無理のない範囲で励んでくれよ」

 節度が一番とばかりの彼らしい言葉に、安堵した審神者は表情を緩める。

「……そうですね」

 すると。小狐丸が審神者のそばにやってきて、不意に腰を折った。

「――そうでございますとも、ぬしさま。お身体は大切になさいませんと」

 小狐丸は審神者の顔を覗きこむようにしながらそう言うと、彼女の首筋に手を伸ばしてきた。

 どこか無遠慮なその手つき。しかしそこは三日月につけられた痕を隠すためのものが貼られているところで……。

「――絆創膏の数が昨日より増えておりまする」

「っ!」

 耳元でそう囁かれて、審神者は驚きに肩を竦ませる。

「顔色も優れませぬし、私どもには構わずゆるりとご養生ください」

 小狐丸の笑みがさらに深くなり、赤い瞳が細められる。そのとらえどころのなさは、まさに狐だ。

「え、そんな…… 大袈裟な……」

 審神者は動揺に瞳を泳がせる。吐息のかかる距離の小狐丸に、鼓動が跳ねる。

 けれど、これは美男子への甘いときめきなどではなく、隠し事が露見する心配と焦りによるものだ。なんとかこの場を切り抜けようと、審神者は焦る。

 しかし、小狐丸は審神者から離れようとしない。それどころか、手袋をはめていない方の手で、審神者の首筋に触れてきた。

「……大袈裟などではございませんよ」

 心なしか、小狐丸の手つきはまるで性感を煽るようなもので、いたたまれなくなった審神者はぎゅっと瞳を閉じる。

 けれど、彼女が怯えたような反応を見せてもなお、小狐丸は審神者に触れるのをやめなかった。彼らしくないほどの執拗さで、彼女に絡む。

「お部屋までお姫様抱っこでお連れいたしましょうか」

 喉の奥で笑いながら、小狐丸がからかうように言った、そのとき。

「――煩悩があるなら切って差し上げようか、小狐丸殿」

 凛とした声がしたと同時に、審神者から小狐丸が強引に引きはがされた。

「い、石切丸さん」

 割り込んできたのは石切丸だった。普段通りの穏やかな笑みを浮かべてはいるものの、その雰囲気には明らかな怒りの色をにじませている。

「おっと、祓うの間違いだったね」

 神社暮らしの長い御神刀なのにも関わらず、石切丸は意外なほどに好戦的だった。今日もまた刀としての本業に励んでいる。敵ではなく仲間に対してだけど。妙に剣呑な彼に審神者は慌てる。顔を真っ赤にして叫んだ。

「も、石切丸さん、平安ジョークやめてください!」

 先ほどから彼女は随分と忙しない。マイペースな三条派の刀剣たちにすっかり翻弄されていた。そしてついに、彼女は耐えきれなくなったのか、逃げるようにその場をあとにする。

「あ、そうだ! 私、加州くんに呼ばれてたんでした! 新しく刀装作らなきゃって!」

 ぽんと手を打ち、初期刀にして近侍の名前を出して。

「それじゃあ失礼しますね! またのちほど!」

 白々しい言葉を残して、審神者は逃げ出した。ぱたぱたと駆けてゆくその背が、小さくなってゆくのを見送りながら。

「そそっかしい方でございますなぁ」

 小狐丸は柔和な笑みを浮かべて呟いた。しかし。

「――そして詰めが甘い」

 不意に低くなったその声に、石切丸は目を瞠る。唇は笑みの形を取っていたが、小狐丸の赤い瞳は笑ってなどいなかった。

 いかに彼らの主といえども、人である審神者が狐の名を持つ付喪神を化かすのは、やはり難しかったらしく。

(……これは痛い目を見るかもしれないね)

 石切丸は心の内で息を吐く。どうしようもなく心配だ。審神者ではなく、彼女の相手である三日月のことが。

 気のせいかもしれないが、今朝の審神者の身体からは三日月の香の匂いがしたのだ。



***



 それから数刻が経ってから。加州との刀装作成を終えた審神者は、本丸の一角にある畑に向かっていた。本日の畑当番である岩融と小狐丸の手伝いをするためだ。

 野菜の沢山入った籠を抱える岩融の背を見つけ、審神者はさっそく声を掛ける。

「――岩融さん、小狐丸さん、お手伝いに来ました!」

「お、主殿!」

「あっ、あるじさま〜!」

「……えっ?」

 本来であれば、ここにいるのは岩融と小狐丸のはずだけれど、自分を「あるじさま」と呼ぶ甲高い声はまぎれもなく。

「今剣さん……?」

 岩融と一緒に畑作業に勤しんでいたのは、意外なことに今剣だった。岩融の大きな背に隠れて、遠目に彼がいると気づかなかった。仲がよくて日頃から一緒にいることの多い二人だけど、今剣の今日の内番は手合せのはずで、審神者は心配そうに彼に尋ねた。

「……小狐丸さんはどうなさったんですか?」

「小狐丸さまは、ぼくと手合せをこうたいなさったんですよ」

「えっ?」

「はたけしごとはにがてなんですけど、小狐丸さまがどうしてもっておっしゃったから」
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