【short/他】

□一夜を共にした人は会社の上司でした
5ページ/13ページ

オフィスへ戻ると松川さんは自分のデスクで黙々と作業をしていた。同じフロアの女性陣は少し頬を赤くして、松川さんをチラチラ見ながらヒソヒソと話をしていた。ただ座っているだけなのに女性陣の噂の的になるなんて…イケメンとは恐ろしい人種だ。このフロアの男性陣はさぞかし身を小さくしているだろう。

そんな光景を横目に、私も作業を再開するために自分のデスクに戻ってパソコンを立ちあげる。しばらくすると、社内メールを知らせる音が鳴った。すぐにメールを立ちあげると見たことないアドレスだった。

W今晩、食事でもどう?W

メールにはそう書かれていた。この会社に就職して社内メールで食事の誘いなど受けたこと無いのに、一体誰から送られてきたのか。メールアドレスを見ると、@マークの最初にはWmatsukawaWと記載されていた。すぐに誰か気付いてその人物のいる方を見ると、彼もこっちに気付いてヒラヒラと手を振っていた。バッと目を逸らして再びメールを凝視する。
何で食事…?まさか揺すり…?俺の恋愛人生に泥塗りやがって的な?…あぁ、私の人生終わったわ…。
その後はまともに仕事に手が付かず、就業終了までの時間は着々と近づいていた。この時だけは時間が止まって欲しいと心から願っていた。

だけど時間は止まることはなくて業務時間は終了した。同僚が次々とオフィスを後にする一方で、私はまだ作業を続けていた。まだ帰らないのかと聞かれても、この作業をやってから帰るなどと、いつもはそんな素振りなど見せない熱心さを出して先に帰る同僚を見送った。
チラリと松川さんのデスクを見ると、いつの間にか居なくなっていて先に帰ったと思われる様子に安心したような溜め息が出た。


時間を見ると定時から数時間は経っていたので、そろそろ私も作業を終えて帰ることにした。一番最後にフロアを退室する私が鍵を閉めて、ゲート前の壁に設置されている鍵フロアボードの自分の所属フロア部分に鍵をかけてゲートを通る。


「お疲れ」
『うわぁっっ!!!』


エレベーターが来るのを待っていると急に耳元で話しかけられた。誰もいないと思っていたから驚きで大きな声を出してしまった。振り返って声の人物を見ると、私のあまりの驚きようがツボにハマったのか、身体を震わせて笑っていた松川さんがいた。


『ま、松川さん…まだいたんですか?』
「あー、笑った。うん。他の部署に用事あったからね。それにメールで誘ったでしょ」
『…あぁ、あれですか。冗談かと思ってました』
「酷いなー。本気だったのに」
『まさか食事に誘われるなんて思ってなかったし…』
「なんで?」
『…松川さん優しくてカッコイイから私のこと相手にすると思ってなかったし…それにモテるし…噂にでもなったら』
「噂になったら困るの?そんなの俺は気にならないよって言ったでしょ」
『だから、私が気にするんです。松川さんにはもっとそれなりの人が…』


その先を言おうと思ったら松川さんの指で口元を塞がれた。見上げると優しい表情で私を見ていた。


「俺が誘いたいと思ったから誘ったの」
『松川さん…』
「それで、ご飯は行ってくれるのかな?」
『は、はい…』
「良かった。じゃあ行こうか」


エレベーターに乗ると、機械音だけが響く空間に松川さんの鼻歌が聞こえる。その鼻歌を耳に入れながら広い背中をジーッと見る。
大きな背中だなぁ…スーツの上からじゃ分かりにくいけど意外と筋肉質かもしれない。抱きついたら腕回らなそう…って、何を考えてるの私!なんで松川さんに抱きつくとか…、あぁー!松川さんに出会ってから変な考えばかりしてる!
悶々としてるとエレベーターが着いた。ビルの地下にある駐車場の松川さんの車まで向かう。来た時には緊張してて気付かなかったけど松川さんの車は国産の高級車だった。さてはお金持ち…?
「どうしたの?」
『…高そうだなと思って…』
「あぁ、これは親父のお古。車はこだわりは無いんだけど、これはカッコ良かったから親父が新しいの買った時に譲ってもらったんだよ」
『そうなんですね…凄く綺麗にされてるから新車かと思いました』
「ありがとう。褒めてもらえると乗せがいがあるよ」


どうぞ、と松川さんは紳士のように助手席のドアを開けてくれた。今朝は何も感じなかったのに、あんなことを言われた後じゃ変に意識してしまっていた。


「苦手なものとかある?」
『いえ、ありません』
「りょーかい」


軽く返事をして松川さんは車を走らせた。




次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ