【short/他】
□一夜を共にした人は会社の上司でした
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『マスター・・・、もう一杯・・・』
カウンターに項垂れるように座る様子に、マスターは溜め息をついて磨いていたグラスを棚に戻した。
「お客さん、大丈夫かい?さっきからずっと呑んでるけど・・・そろそろ辞めておいた方がいいんじゃない?」
『止めないで・・・!二時間も待たされた挙句、他に好きな子が出来たからってメールで簡単に別れ話してきて・・・最悪な誕生日なんだから!これが呑まずに居られる!?』
目に涙を溜めて子どものように泣き始める。
『・・・近頃、彼の様子が変だなって薄々感じてはいたんです・・・私も仕事ばかりで・・・。でもプロジェクトメンバーに選ばれちゃったし、やるからには成功させたかったんですよ・・・。彼の休みの日も仕事してたりしてたのがいけなかったんですかね・・・』
「貴方が頑張っていること、きっと誰かが見ていますよ・・・お待たせしました」
目の前にスッと出されたのはジントニックだった。
『私が呑んでたのは別ので・・・』
「あちらのお客様からです」
視線の先にいたのはカウンターの端に座ってた男性だった。こちらに気付くと軽く手を振っていた。
「ジントニックのカクテル言葉は、"強い意志"、"いつも希望を捨てない貴方へ"」
『・・・・・・』
マスターの言葉と見ず知らずの人の優しい行動に、再び涙が溢れ出した。
見ず知らずの人に奢ってもらったカクテルを飲み干してお礼を言おうと、千鳥足で何とか彼の元へ辿り着いた。
『あ、あの・・・っ』
「ん?」
『先程は、ありがとうございました・・・』
「どういたしまして。それにしても随分呑んでいたね」
『元彼と色々ありまして・・・』
「こんなに素敵な人を振るなんて、その男は見る目が無いんですね」
『え、いやだな・・・素敵なんかじゃないですよ・・・』
「自分の仕事に誠意を持っている。素敵ですよ」
『ありがとう、ございます・・・』
「良かったら一緒に呑みませんか?松川と申します」
『はい、是非っ!△と申します』
お互いに名乗り、私は彼の隣に移動して飲み直した。
松川さんは都内にお勤めしている会社員で、私より三つ年上だった。ほとんど私が話しているだけだったけど、松川さんは嫌な顔せずに笑顔で話を聞いてくれた。
「もう、止めておきましょうか」
もう何杯目か分からないくらい呑んでいて、更に注文しようとする私を松川さんは手を取って止めた。
不意に触れる手に心臓がドキッと音を立てたけど、これはアルコール摂取による不整脈だと自分に言い聞かせた。
お会計をしようと財布を取り出している間に、松川さんは既に二人分の精算を済ましていた。私が一人で呑んでいた分も支払いしてくれたようで、その分は返金しようとするけど、松川さんはどんどん物事を進めてしまっていてタクシーまでも呼んでいた。
「乗らないんですか?」
『いや、歩いて、帰ります・・・』
「そんなフラフラで?何時間かかるんですか」
『・・・・・・っ』
「いいから、早く乗ってください。運転手さんも待ってますので」
運転手さんにジロリと見られて慌てて乗った。
「△さんの家とうち、意外と近いんですね」
松川さんの家と私の家は車で10分ぐらいのところにあり、頑張れば徒歩でも行けそうなくらい近かった。
『世間って狭いですね』
「そうですね」
世間話をしているうちに、アルコールを摂取した身体は眠気が出てきてしまい、船を漕ぐように眠気と戦っていた。
「着いたら起こしますので、僕の肩で寝てていいですよ」
『大丈夫・・・です・・・』
とは言うものの、眠気には勝てず、いつの間にか私は寝てしまった。
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