小説

□雪の思い出
1ページ/2ページ

◇ ◇ ◇

まずは声、それから感触、そして顔、最後に香り。
人が人を忘れていく順は、思いの数とは関係ない。
自分が死ぬその時まで大事に保ち続けていられるのは、名前とその記憶だけなのだ。

◇ ◇ ◇


短く早く紡がれる呼吸は、残りの生を使いきろうと暴れる心臓が肺を叩くからだろう。
固く握り締められた手に手を重ねる。
末端から冷えていく体は、この子の命が尽きていくのを感じさせた。

零れそうなほどに見開かれた瞳は何も見ない。
何も。


呆れるほどに愛していた。
恐れることなど何一つないと信じていた。
疑心渦巻くこの世界で、この子だけが確かだった。

「とと様、今日は何だかお部屋が冷えますね。外は雪が降りましたの?」
「雪はまだ降らないよ」
「うふふ、よかった」

屋敷の奥、日の光が一切入らない部屋で育ったこの子は、死人より白い肌を僅かに染めて笑う。

「ねえ、とと様。つぐみの眼はいつ見られるようになりますか?」

無垢なままでいてほしかった。
誰も彼もが人を殺める時世で、この子だけはそれを知らずにいた。
だから重ねて嘘を言う。

もうじきだ。
すぐに良くなる。
雪が降る頃には治るだろう。

そう言えば、この子は暖かな太陽のように笑うのだ。
太陽など見たこともないというのに。

.
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ