story

□灰色の故郷と君の色
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例えばそれは、朝霧の様に街にまとわる煙で。
例えばそれは、昼夜を問わずアスファルトに反響する機械音で。
夜闇にプラズマの夜光虫が舞い、巻き上がる排気ガスが胸いっぱいに染みこんでくる。
そんな酷く現実的で幻想的なのこの街が、確かに俺達の故郷だった。







止まらないエンジン音を聞いていると、まるで自分も機械仕掛けのからくり人形になってしまった気さえしてしまう。
吐き出す息すら灰色のこの街で、何時だって彼奴だけは妙に色づいて見えた。
自分には五人の兄弟がいて、まあ言ってしまえば六つ子で。
でもあの時俺達はただでさえ色を消してしまう世界だと言うのに、その上六つ子だなんていったらそれこそ、自分の色が掻き消されてしまいそうだと、そう思ったのだろう。
そんな形の無い不安に巻かれ、六つ子であることを少しだけ疎ましく思い、俺達は自分の色を求めた。
煤けたって自分だって分かる様に、錆びたこの街には眩しすぎる色を身に着けて、俺達は自分の道を歩き始めたのだ。

彼奴は、緑色だった。
植物なんて枯れてしまうこの街に緑なんて他になくて、それは灰に巻かれた路地のずっと先に居たって見つけられる色だった。

俺が顔すらぼやけて見えるうんと遠くから彼の名前を呼ぶと彼は、何時も数秒戸惑って、近寄ってきて、それで漸く俺の顔が確認できたら「よくあんな遠くから僕だってわかったね」って驚くのだった。
俺が「御前の事は俺、どんなに遠くからだって見つけられるよ」って返すと、彼奴は綺麗な赤色に頬を色づかせて「馬鹿じゃないの」って返すのだ。
それはそのうちに歯車が毎日まわるような、彼奴に毎朝「醤油取って」って頼むような、つまり日常のやり取りの一つになっていったわけだけど。
そのたった二言三言の戯れ合いが、重油の匂い溢れる黒々とした日々をどれだけ鮮やかなものに変えてくれていたのか、きっと彼奴は知らないのだろう。
そしてそれは今も同じなのだ。








時が経ち六つ子はそれぞれの道に進んだ。

一人は警察官に。
一人は機械技師に。
一人は科学者に。
一人は探偵に。


彼奴は、新聞記者になったらしい。
馴染みの友人が配る新聞をたまに買ってみると、そこにはいかにも彼奴らしい、お堅い記事が載ってたりする。
机の上で頭ひねってこの文章を書いているんだって思うと、何だか愛おしくてたまらなくなっちゃって。彼奴の書いた新聞記事を読んだその夜は、染みのあるベッドの中で寝れないままずっと彼奴の事を考えてたりしちゃうわけで。
でも無法者になってしまった俺が会いに行けるはずもなく、会いにいこうとも思わずに、ただただインクの匂いしかしない紙束を抱いて、空が白むのを待つのだ。

きっとあの時の、まだ六つの色が鈍色の世界で美しく輝いていた時の事を、彼奴は思い出としか思っていないのだろう。
赤色は濁りくすみ、排煙にでもなってしまったのだと思っているのだろう。
配管の隙間で交わしたキスとか、朝霧の中でも十分に色づいて見えた頬とか。そういうのは全部過去の思い出でくすんだ記憶なのだろう。

あの時彼奴がたった一回だけ、一言だけ気まぐれに呟いた言葉も、彼奴自身忘れているのだろう。


「兄さん。外の世界、見てみたいね」


もやがかった朝日じゃない、透き通るような光を浴びてみたい。
重油と鉄の匂いじゃない、澄んだ緑の匂いを胸いっぱいに吸い込みたい。
歯車が噛み合う音じゃない、木々のざわめきが欲しいんだ、って。

確かに抱いた願望を、大人になった彼奴は今、煙に隠して生きている。


でも俺はちゃんと覚えてる。
まだ、過去じゃないんだよ。











俺は無法者だから。
外の世界に出てはいけないなんて、そんな掟は怖くもないし。
馬鹿馬鹿しいと皆が嘲る外の世界に目を向ける。
この生きづらくも安定な日々に、未練がないわけでもない。
それでも此処に留まるよりも、隠した未来を掴めって。
そう背中を押すのは紛れもない、あの時の御前の笑顔なんだよ。
排気ガスと、耳障りな機械音と、むせるような重油の匂いと、煙を縫って入り込む光に溶けそうな、御前の笑顔ただそれだけが、今の俺の原動力なんだ。



いつか必ず迎えに行くから。
赤色はまだ死んじゃいないって。
鼻先につけた重油擦りながら、抗議しに行ってやるからさ。
それまでもう少しだけ、この煙の中で揺蕩っててよ。
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