PAST
□染井吉野は孤独に笑う
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その時、私はたった6つの幼子だった。
「おとうさま!おかあさま!」
「ん?」
「あら、桜。どうしたの?」
私は、働き者の父と病弱な母の間に生まれた。
家は貧しかったが、優しい二人に囲まれて、私は幸せだった。
しかし、そんな家族に楽をさせたい、と幼心に思ってもいた。
桜「おしろからのおてがみがきたのです!わたしのれーりょくを、みかどさまがみとめてくださいました!なので、みこさまになるしゅぎょーをさせていただけるのです!」
私は、祖国の主の許可を示す印の刻まれた手紙を、両親に見せびらかすように差し出した。
父は、呆れたように溜息をついていたが、声色は喜んでいた。
「お前、まだ巫女になる気だったのか」
桜「あたりまえです!おばあさまはみことしてみかどさまにおつかえいたしました!おかあさまは、おからだにきをつけなければならないので、さくらがかわりに、みかどさまにおつかえするのです!」
「まあまあ・・・母さん、嬉しいわ。あなたの望む道を行きなさい。私、応援してるから」
そう言う母の瞳には、薄っすらと涙が滲んでいる。
この手紙が届いた時ーそれは、私がこの地を去る時なのだ。
二人の元を離れるのは寂しい。
しかし、私の意志は揺るがなかった。
桜「はい、おかあさま!」
「全く・・・辛くなったらいつでも帰ってくるんだぞ。いつでもお前の好きな桜餅、用意してやるからな」
桜「ほんとうですか!?むしろおくってください!」
「おうよ、飽きるくらい送ってやる!」
父が、私の頭を少々乱暴に撫でた。
それが、悲しみを隠して強がりたい父の癖だと悟ったのは、最近の事だった。
桜「やったあ!さくら、おとうさまだいすきです!おかあさまもだいすきです!わたし、りっぱにおやくめをはたします!」
「ははは、調子いい奴め」
そう言うと、父は数瞬動きを止め、私を抱きしめた。
母もそれに続き、父の腕ごと私を抱きしめる。
「私達も、あなたが大好きよ・・・そうと決まれば、準備しなきゃね」
腕を解くと、母は真っすぐに、私の目を見据えた。
既に離別の覚悟を決めている顔だ。
母は、私の知る限りでは、一番強い女性だった。
私は、母の泣き顔や恐れた顔を見た事が無い。
「そうだな。今日の夕飯は、お前の食いたいもんにするか!」
桜「じゃあ、ちかくのおいしいおそばのおみせがいいです!」
愛しい愛しい私の家族。
住み慣れた、美しく温かい故郷。
あの時の、何も知らない私。
ーもう二度と、戻っては来ない物。
ーもし。
もしあのまま、何も知らないままだったなら。
巫女になる事が無かったならば。
私は、幸せな幻想を見ているままー”いなくなる”事が出来たのだろうか。
桜「あ、ことりさん!」
「あらほんと。可愛いわねえ」
ーそんな事、考えるだけ無駄なのだけれど。